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【オフィスミギ】晴れ男なものですから

Wasted Days

 ジョン・メレンキャンプとブルーススプリングスティーンが共演してるのには驚いた。80年代から90年代の彼らの活躍、現在でもカントリーロックのビックネームとして二人は存在しているけど、初めての共演だという。ジョンのアルバムにスプリングスティーンが参加したカタチだ。高校生の頃からジョンのファンであるワタクシとしてはかなり感慨深い。ミュージックビデオを観たけれど、70歳を超えた二人の佇まいが堪らない。眼差しがなんとも深く、白髪や刻まれた顔のシワが年輪を表して、意図していなくともいつくもの喜怒哀楽を体験しながら老いていくことの味わい深さを示してくれているよに思う。ここまで来たんだなと思いました。

 ジョンがつくったWasted Daysという曲はネガティブのように感じる。自身の内面に様々なこと問いかけながら、もう終わりはすぐそこにあるって歌ってる。老いと死という不条理に対しての実に正直な想い。不安とかじゃなく、なんて表現すればよいのかね。彼らはかつて華やかに見える場所にいて汚いものにもまみれてきたのであろうけど、その中で大切なものを見出すことができたのだろうか。未だ見出すことができないのかもしれない。限りあるものの儚さに向き合うこと。作家、開高健も、かたまり、覚悟し、悟ったとか思えば、揺らぎ、迷い、漂う、というようなことをどこかでいっていたように記憶している。この曲は若者に受けるものではなが、晩年を生きいる誰もが深くうなずいていることなんではないだろうか。実にジョンらしいなと。また渋く深くなった歌声。


 ジョンは80年代、彼が30代のころに発表したsmall townという曲がある。インディアナ州シーモアという片田舎で育ったジョンが、反抗に反抗を重ねて自分のアイデンティティを育んだsmall townに敬愛を込めてた曲。pvの最後に「いつかこの街で死んで、ここに埋葬されるんだろうな」と歌い上げると、祖父スペック・メレンキャンプの墓がズームアップされたのちに、アウトフォーカスしていく。おそらくスペックの死によってだろうが、ジョンがこの頃からいつかやってくる死を意識しているのが分かる。

 またjack & dianeではアメリカの片田舎で生きる10代の恋人の青春群像をノスタルジックに描きながら「生きることのスリルがなくなっても人生は続く」と歌い「16歳の頃を忘れるな。変化はあっというまに訪れて、本当の男と女に変えてしまう」と言い切る。農業などが中心の保守的な地域で暮らすアメリカ人の典型的な生活や抱えている想いを表しているのだけど、ジョンは刺激のない退屈で当たり前の生活でも、みんななんとかやっていけるよっていう自身の体験を含めた想いを伝えてる。ビルボート全米no1になったこの曲は、あの時代の若者だけでなく、中年や晩年を生きる人たちのある種の慰めだったように思う。80年代から行われているファームエイドという小規模農家を援助するチャリティーコンサートをいまだに続けている。ジョンの曲は当たり前に生きる人たちへひかりを当てるようなものが多いと思う。


 かつて不良で、今は素朴で、ずっと田舎者。もし生きながらえるなら、あんな趣あるジジィになりたいものだね。






# by officemigi | 2021-10-21 22:30 | 林建次の日々 | Comments(0)

記憶の片鱗

視えずとも感ずること在り。聴こえずとも解ること在り。敢えて知らぬふりを演ずる孤高なる所作は、ときを経てそれが最良の選択であったことを知ったとき、誰もが慟哭を共わなずにはいられないであろう。



# by officemigi | 2021-09-29 20:20 | 林建次の日々 | Comments(0)

8月15日

靖國神社へ。神保町、九段下近辺に来るときは必ず寄るようにしています。
英霊たちの御霊が祀られている場所。これについて様々な意見や見方があるけれど、靖國神社は戦争を肯定しているわけではなく、戦争という不条理に殉じなければならなかった時代に生きた人々、自分の家族、愛する人たちを守るために、日本という国を憂いて亡くなっていったすべて人たちのために存在するというのはご存知だと思います。

 今日は終戦記念日であり、あらためて何があったのかを感じるために、また、広島の原爆の影響で亡くなった祖父(父方)のために昇殿参拝させて頂きました。これについてはやはりひとりで伺いたかったので、というよりあまり団体行動が得意でないことによくよく気づきましたが、多めにみて頂ければ幸いです。

 九段下から第一鳥居へ向かうのですが、黒く巨大な鳥居は威厳に満ちていて、気軽に参拝するような感覚にはなれないある種の重たさがあります。これは他の神社にはない感覚かもしれません。ですが、コロナにも関わらず本当にたくさんの人たちが参拝にいらしてました。

 昇殿参拝は時間ごとに区切られているので、受付を済ませたあと時間まで遊就館へ。10代、20代で戦地でなくなっていった若者たちの遺書や写真、様々な資料があります。かなり胸が詰まりますが、きちんと受けとめないといけないと思います。

 私の母の父、私にとっての祖父は中国で従軍していました。戦時下でありながら趣味のカメラ(ライカ)でよく写真を撮っていたそうです。当時のカメラは今では考えられないくらい高価で、そこそこの家が買えるぐらいの値段だったと聞いてますが、祖父は裕福な家庭だったそうで、先に財産を分けてもらってカメラを買ったと聞いています。祖父の撮る写真は、マグナムフォトのようなシビアな顔をした軍人たちの記録的なものでなく、内側から撮った写真で、みんなでワイワイと肩組んだり、ふざけあったりしてとびきりの笑顔で写っている。これは現代の若者たちと何一つ変わらないのですが、唯一の違いはみんな軍服を来て銃を抱えて最前線にいるということ。祖父の手製のアルバムにはそれらの写真にコメントが記されてありました。そこには戦地で亡くなった友人たちに対する、なぜ君が亡くならならければならなかったのかというような慟哭の想いのみでした。

 昇殿参拝のためにお祓いを受けて本殿の中に入ります。第一鳥居のような、また本殿の外観に感じる寄せ付けない厳しさや重たさははなく、神聖ですがとても優しい場所のように感じるのは自分だけじゃないように思います。なぜでしょうね。順番に手を合わせてお祈りしました。その後、神池庭園へ。水面は雨にうたれてましたがそれはそれで情緒があって、本殿の中と同じく、あるいはそれ以上に優しく美しい庭園です。計算してつくったのかはわからないけれど、まるで一番大切なものを守るかのように、荘厳な外観の本殿から上手奥に神池庭園はあるのです。しばし佇んで帰路へ。戦争が正しいとは思わないのですが、ここに来て何かを感じることは大切なことだと思うのです。8月15日に限らず、お時間があれば一度靖国神社へいらしてみるのも価値あることだと思います。





# by officemigi | 2021-08-15 19:53 | 林建次の日々 | Comments(0)