【オフィスミギ】晴れ男なものですから | |||||||
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某フィルムメーカー勤務のSさんと会って、 ああしたい、こうしたい的なことを話してたんだけど、 よくよく聞いてたら、12月で定年退職されるとのこと。 ずっと同じ会社で働いてきて、全うされる、と。 「なんか、ホッとするんですかね、どうなんでしょう」 「いや、寂しいよ。あと10年はいたかったけどねぇ」 Sさんと会ったのは、数年前のあるイベントがきっかけだった。 穏やかで、物腰柔らかく、ちょっとしたオヤジギャクを かますひょうきんさも持っていて、誰にでも親しめる方だった。 お店出て、二人で下北の南口まで歩いて行く中で、 辞めてからのこととか、これからのささやかなことを話してた。 寒いなと思いつつ、うんうんと聞きなが人混みの中歩いていると、 Sさんが立ち止まって、何かを指差してる。 それは手袋なんだけど、俺も含めて、みんな素通りで気づきもしない。 気づいても、あぁ、落ちてる、ぐらいにしか思わんと。 Sさんは、それを大事そうに拾い、 持ち主の気持ちをあれこれ考えては、ぶつくさ言っている。 「これ、まだ落としたばっかりだよなぁ」 そういって辺りを見回すと、腰の高さほどのわかりやすそうな場所にかけてあげた。 ここに、ありますよ、みたいな感じで。 けど、まぁ、わかんないだろいうなぁ、と俺は思いつつ 話を再開して駅に向かって歩いていると、Sさんがある青年に話しかけた。 「手袋ですよね、それは、ちょっと歩いて行くと、あそこにかけてありますよ」 とか言ってる。 どうやらSさんは、歩いて行く道すがら、その青年が手袋を探しているらしいと 察知したようだった。 無事に持ち主の手に戻ったことを確認して、 よかったね、といって駅へ向かった。 この人通りの多い中で、道端に落ちている手袋を見つけ、 それを拾い、さらには、落としたであろう人に声をかけ、 教えてあげる。ごく、自然に。 Sさんは派手なことはないけれど、40年近く勤務した会社での存在は、 おそらくこのようなものではないのだろうかと思った。 別れ際に明日から大阪へ行く自分に、いたずらっぽく笑ってこう言った。 「お土産は、いらないからね」 ▲
by officemigi
| 2016-11-29 01:14
| 小話
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キャノンEOS3というカメラがある。 フィルムカメラで、自分がボクサーを撮り始めて1年経った1998年に発売された。 このカメラこそ、片腕で撮る自分にとってその欠点を最大限にサポートしてくれる、 夢のような機種だった。 視線入力。 ファインダーを覗いた長方形のフレームの中に上下左右にまんべんなく45点のフォーカスエリアが設定されている。 目の瞳孔を感知して見た場所にピントが合うという、自分がピントを合わしたい場所を見つめるだけでそこにフォーカスされるという当時の最新技術を持って作られた、次世代を担う実験的な機種だった。 その機能を意のままに操るには、様々な条件下で、情報を入力する必要があった。単焦点レンズ、24nn、50mm、85mm、ズームレンズなどを、日中の順光、逆光、曇り、蛍光灯下、など様々な条件で、ファインダーにあるフォーカスエリアの上下左右を見つめることで、自分の目の情報を入力していく。そうすることで、自分の目のくせを察知するようになり、本当に意のままにピントを合わすことができるようになる。左腕のみでカメラを持って、シャッターを口で切る自分には、夢のようなカメラで、自分のために作られたのではないかと思えるほどだった。 両手が自由にきくならば、右手はシャッター、左手はレンズを支えて、フォーカスを合わせるのが普通だ。けど、左手のみでカメラを持ち、シャッターは口で切る自分には、動きの激しい被写体にはオートフォーカスに頼るしかない。瞬間を察知してもフォーカスがあらぬ方向へいってしまう。感じているのに、撮れない。コンマ数秒でシンクロできないもどかしさを抱えながら、思うように操れないカメラと必死に格闘してボクサーたちを撮っていた。 だから、初めて手にとって、使ってみたときの感動は忘れられない。シンクロできる喜びを初めて感じることができた。使えば使うほど、自分の意思に正確に応えてくれる。欠落した右腕の役割を完全に担ってくれていた。だから、デジタルに移行するまでは、本当に愛すべき相棒といってよかった。 しかし、デジタルになってからは、多くのフォーアスエリアはそのまま継承されたが、そのフォーカスエリアを操るのは、シャッターを切る右手の人差指と親指でダイヤルを操作することになり、視線入力という機能は失われてしまった。 おそらく、視線入力という機能を使いこなすより、手で扱った方がいいということになるのだろう。右腕をもがれた感があり、あまりに残念である。 今は、来い、来てくれ、と念じながら、フレームをワザと外したり、わずかにずらしながら撮るということしかできない。カメラに自分を合わせる、というか、そういうもどかしさを感じながら、撮る。視線入力さえあれば、と思う。正直、悔しい。 もう一度、視線入力という機能を持ったカメラを復活させてほしい。 そのためには、自分が然るべき場所に立って初めて可能性が見えて来るのではないか、と思う。 また、無茶な、と言われるだろうが、 左手一本でやると決めていたたおよそ二十年前も、 出来っこないからやめとけ、と言われてたんで。 なにもなかった頃より可能性はあるんじゃないかね、と勝手に信じる、のだ。 ▲
by officemigi
| 2016-11-24 03:04
| 林建次の日々
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