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【オフィスミギ】晴れ男なものですから

カテゴリ:林建次の日々( 632 )


11月12日

そういえば、風邪、発熱を24時間以内で治した林です。

悪寒、咳、発熱は、まず、熱い風呂に何度か入って汗を流し、水を大量に飲み、求めるがままに好きなものを喰う。
で、ちょっぴりお酒。
それで治すのがワタクシの方法論です。で、駄目なら医者、クスリ。

久々に展示を終えてあれこれ思うのだけれど、潜在的に自分の考えていることを具体的に観ることができるということかな。
昨年した展示は寺田冷機さんの職人たちの想いだったので、あらためて自分に中心を置いたとき、嗚呼、そうなうかと思った。
うすうす解ってはいたが、ですね。

最初は自分のことを見つめる作業なのですが、やはり、それはきっかけでね、結局、感動してるのは外から与えられているのもなんです。
それは、とっても普遍的なものだよな。

うんとね、嫌なものいっぱい見たり感じたりすることもあります。生きていれば。
けど、それも人間が持っている本質の一部だなと思うし、正しいとか間違っているということでもないかな。

けど、その中でとても美しいものを見たり感じたりすると、こころ揺さぶられる体験になる。
例えは悪いけど、普段恐ろしいオーラを纏った方(ヤクザ)がごく平均的なダジャレを発すれば、想像以上に受けてしまうっていいうのと同じでね。
そうね、美しく表現すれば、ハスの華の在り方ということだと想う。

だから、身体の痛みというものも、そうやって昇華させることだと思うねぇ。



by officemigi | 2019-11-13 02:51 | 林建次の日々 | Comments(0)

寒気にて

 寒気治まらず、めすらしく風邪をひく。


小さい頃の記憶があるが、ワタクシは人並みの風邪をひくと、異様なる食欲が湧いてくるのです。メシが上手い。これはなんだな、体力が落ちるから本能といて食べろという指令なのだろうか。


 熱があるから頭がボーっしてね、でも、これって、以外に心地い。小さいころは、その心地よさを抱えながら、学校が休めるという特典も与えられ、家族からはあれやこれやと大事に扱われ、さらにメシがガツガツ喰えるとはひとときの幸せを味わえるのだ。


 その記憶を抱えながら現在でも悪くない、というか、その状況を楽しめるワタクシは幸せのもだといえる。


 野菜たっぷりの味噌雑煮をつくっが、餠は3個。足りずに焼き餅を2個も喰らう。

まだ、足りない。嗚呼、なんでことだ。

 食欲よ、きっと秋のせいだ。



 さてさて、やるべきことあるので、明日までに治すべし。




by officemigi | 2019-11-09 19:38 | 林建次の日々 | Comments(0)

ふたたびゴッホ展へ

ふたたびゴッホ展へ上野にいきました。

公園散歩しながら、ああだった、こうだったなどなと想うこともあるもので、まぁ秋は少しもの想いにふけるのもいいものだ。

2010年の国立新美術館のときの作品群には及ばないかもだけど、うん、やっぱり凄いな。本当に凄い。


弟、テオに宛ての手紙というか、メッセージが在る。
「色調と色彩がどれほど重要なことか!それに対する感覚が掴めない者は、生命を表すことなど到底できないであろう」

確かにその通りだ。写真でも、色調、色彩が命だと思う。それは体温や感情を表すもので、個人的にはとても大切にしてる。モノクロであってもそうだと思う。それを駆使して何を潜在的に伝えるか、だと思う。

そのあと、ふらりとひとり新宿ピカデリーでゴッホの映画を観る。
ひとり狂気の世界に向かっていく様はね、ちったぁ覚悟あるのかと問われているように感じたかな。

言い訳がましくも、あなたとは違うけど、ワタクシはワタクシでそれぞれのいろんなことに粛々と向き合ってますものでして。ね。


by officemigi | 2019-11-09 00:05 | 林建次の日々 | Comments(0)

Lihgt of Hopes ~every prayer’s stories~

さて。


展示の最終日ということで、それじゃあ、ということで、大まかなことのなりゆきなどをお話させていただきました。
それで、展示した19編のストーリーの中でいつくかの詳細など。



実は昨年から今年にかけて、大なり小なりの様々な方々の前でお話させて頂く機会がありました。丁度、出版した2009年から2010年あたりもそういう機会をいくつから頂いていましたが、当時の自分は、そういう「自分」についていけんというか、あわせられる力もなかったかな。でも、この頃はそういう「自分」にもついていけるようになったというか、受け入れるようにはなったんじゃないかな。ようは「オッサン」になった、ということね。ここでいう「オッサン」てのは、結構いい意味で使用してる。笑 「役割」ということね。だからそういうことに殉ずるのもいいかな。


全然完璧なわけじゃなけど、今回の展示はこれまでにない大きな収穫がありました。それはここでは長くなるからあれこれは書かないけれども。

で、何より、新丸子という場所までわざわざ来ていただいた方々。たくさん誘って繋いでいただいた方々、そして、ひとつひとつ丁寧に観てくださった方々に感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。


「私」や私に関わってきた方々の写真や文書の中から、なにかがシンクロして、感じられて、それを持ち帰って咀嚼してくれたのなら何よりです。

賢一さん、りつさん、けんたろうさん、麻子ちゃん、スタッフの方々、嘉子さん、良子さん、健太さん、他、たくさんの方々。おかげさまでカタチになりました。ありがとうございました。うん、マルコ会も楽しみです。


 で、、、引き続きナーリッシュの営業時間で展示してます。

で、そのうち、月に2度ほど週末にバータイムやるんでね、なんと俺が。笑 

21時から23時半過ぎあたりまで。静かに観れる時間だったり、物語の奥行きを知りたいひとに提供したいかな。なんで、まだ観ていない方や、ゆっくり観たい方はメッセンジャーでもなんでも連絡くださいませ。雰囲気も変えてやりますよ。1〜3人ぐらいがちょうどいいかもね。

知っていても、全く知らんでも、ふらり入ってまたまた座った席で、ちょっと一息できたらいいんじゃないかね。
へぇ・・・ってね。


さて、このシリーズね、本にしたいと思います。


Lihgt of Hopes ~every prayer’s stories~ 





by officemigi | 2019-11-07 01:38 | 林建次の日々 | Comments(0)

写真展 Lihgt of Hopes  ~every prayer’s stories~


昨年に続き突然という状況も同じですが、写真展展示しています。

10月19日〜11月4日 11:30~21:00(LO.20:30)

定休日:なし

 VEGAN BURGER NOURISH
〒211-0063 
川崎市中原区小杉町1丁目526-21
笛木ビル1F
.
東急東横線 新丸子駅から徒歩2分
東急東横線 武蔵小杉駅から徒歩6分
JR横須賀・南武線 武蔵小杉駅北口から徒歩5分
.
TEL:044-543-8603
11:30~21:00(LO.20:30)
定休日:なし


VEGAN BURGER NOURISHオーナーの兼松さんと出会っていろんな想いを感じて
「じゃ、やってみるか!」
という衝動だけで短期間で怒涛の勢いで構成してみた。
がっちゃがちゃやってて本日初告知ですいません。

 

ですが、実験的な展示になったかな。

ギャラリーとしてのイメージだと違うと思うし、そういう感覚だと見ずらいときもあると思います。

が、ふらっと入って、その時の状況で、何点がだけでも何か感じられたらと思います。
 

19編の、ワタクシも含めた敬愛するのひとたちのそれそれの生き方、物語を写真と文で構成。


店内に入ってね、身体にいい美味しいバーガー頬張りながらみてくれたらいいな。

さらにはビールとかお酒もあるよ。

飲食店なので混み合っている時間の観覧はなかなか大変かもです。

そこはどうかご了承を。。。


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Lihgt of Hopes 1



暗闇に見上げるほどの満ちた月

魂を宿したひかりは

蒼い大地がすべてを拾う


それは褐色の海に沈められ

静かに真紅の底に落ちていく


蒼い大地はふたたび浮かぶことを望み

姿を変え宿された魂のすべてを刻む


一瞬で葬られたひかりは永遠となり

華のようにただ佇むのみ


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「Light of Hopes」を単に訳せば「希望のひかり」になる。


 そう、かなりベタである。だが、このワードには、それぞれに意味を持たせている。


 「Light 」。つまり「ひかり」はカメラにとって最も重要なもの。カメラは一瞬の「ひかり」を受け取りフィルムに感光させる。また暗室においても、受け取った「ひかり」の情報を像にしたフィルムに対して、引き伸ばし機によって創られた「ひかり」の三原色の情報を透過させて蒼い印画紙に感光させる。必要なだけの「ひかり」の情報を吸収した蒼い印画紙を、褐色の発色現像液に流して真紅の漂白定着液に沈ませる。

 奇跡のような工程を経て最後に「写真」になる。


 「Hopes」は「希望」の複数形だ。そこに「祈り」という意味を込めている。「祈り」は私にとって写真の本質でもあり潜在的なテーマになっている。それは23歳の時のバイクによる交通事故の体験、それによって右上肢の機能の殆どを失った体験。大きく言えばこのふたつによって始まったと言っていい。私は事故の瞬間、なすすべもなく自分の命が終わってしまうかもしれないという現実を突きつけられた時、それまでのすべての記憶が淡々としたドキュメンタリー映画のように蘇った。結果、何一つ達成できていない未完成な自分であることを知らされて、「まだ死にたくない」という強烈な「生」への執着が凄まじい勢いで拡大する。藁にもしがみつく懸命さで祈る自分がいた。

「神様、どうか助けてください」

 スローモーションのように感じていたが、実際はカメラのシャッター速度のような1/1000数秒という瞬間に発生した思考だったのではないかと思う。車のテールランプが眼前に迫った瞬間、視界が消えて、音の無い暗黒の世界になった。同時に突き刺すような奇妙な金属音がして意識が飛んだ。どれぐらい経ったのか分からないが、意識と視界が戻るとアルファルトの細かい粒状が接写のように正確に見えて、上の方から緊迫した人たちの声などの騒々しい気配が感じられた。全身が痺れて呼吸もまともにできていなかったが、どうやら生きているらしいことが分かった。私は声にならない声で訳のわからないことをうめいているようだったが、まったく別の意識が存在して、さっきまで自分が必死で祈っていたことを冷静に認識していた。


 思うに、このような潜在的な「祈り」は、太古の昔から在る人間の「本能」なのだと思う。


 以後、右上肢の最低限の機能再建を試みる何度かの手術をしたが、右腕か使えない事実よりも頚椎で粉砕された神経の酷い痛みに対して身動き出来ずに耐えなければならない毎日が辛かった。当時、痛みを緩和するべくあらゆる手段を試したが、何一つ効果はなく、永遠にこのままなのではないかという恐怖があった。今現在でもあれだけの痛みを経験したことはなく、1年半ぐらいはきちんと眠れたという記憶はない。ゆえに体重は50キロを切っていた。まったく休まることのない拷問のような毎日に、殺してくれ、などと事故の瞬間とは真逆なこと叫びながらベッドの上でのたうち回っていた。だが、私は1年経てば今より絶対に楽になっているはずだ「hope=希望」、と必死でイメージすること「pray=祈り」を試みた。今抱えている痛みを巨大な氷の塊に例えて、ゆっくり溶けて1年後には半分になっている、という強制的な妄想を続けた。さらに1年後にはその半分になっているというイメージ。乗り切った現在だから言えることだが、激しい痛みの渦中で、1年かけて氷の塊を溶かしてやる、という単純なイメージとモチベーションだけで人はなんとか生きていけるものだ。

 

 およそ1年から1年半ぐらいまでほとんど睡眠は出来なかったと書いたが、正確に言えば、痛みを抱えていても、それを受け入れて憔悴した精神を少しだけ休めることができた唯一の時間帯が存在した。

  

 それは朝の「Light=ひかり」を感じたときだ。闇からひかりが射し始めるとき、もがくほど苦しんでいても自然と精神が安らぎ僅かにでも寝ることができた。

 夏ははやく、冬はおそくに訪れる。冬を過ごしているときは、ただ夏が待ち遠しかった。午前4時を過ぎれば朝の「Light=ひかり」を感じられるようになるからだ。夜の闇から「Light=ひかり」が差すのをひたすら待ちわびていた日々「pray=祈り」だった。ただベッドの上で悶絶しているだけだったが、それが当時の私にとって唯一の「hope=希望」だった。


 事故をして2年半後に社会復帰した私は、その1年後に駆け出しのボクサーたちと並走を始める。

 不器用な彼らも同じく、極限で「pray=祈り」、勝利という「hope=希望」を抱いて、「Light=ひかり」が降り注ぐリングへ向かう。

 

 ボクサーだけでなく、おそらく人は月と同様に「ひかり」受けて、「希望」を見出し、そして潜在的に「祈り」生きていくものだと思う。「ひかり」を受けて初めて存在できる写真の工程と同じように。


 ボクサーを撮り始めた1997年から現在まで、私、仕事、ライフワーク、そして一期一会のそれぞれの人たちの、それぞれの立ち位置から生まれた祈るような想いと、その生き方。


  私が出会い、感じてきたごく一部を写真と文章で。

                                               

                                                   









by officemigi | 2019-10-20 11:38 | 林建次の日々 | Comments(0)

「勝って当たり前」ということについて

「勝って当たり前」という表現は闘う、あるいは、闘った人間だけが発言することを許されるように思う。自分に向けての良い意味でのプレッシャーや、応援してくれている人たちへ向けてのメッセージとしても、だ。

勝ってしまえば、実際にそういうものだと認知される。勝って当たり前の相手であり試合だったと。しかし、本来は簡単ではない。

世界ランク2位の和氣慎吾は世界前哨戦としてこの試合に挑んだ。勝って当たり前という結果が潜在的に求められた。対戦相手はフィリピンの選手。過去に東洋タイトルマッチでKOに下していて6年ぶりの再戦だという。対戦相手とホールの通路ですれ違ったが、寒気がするほど異様な殺気を放っていた。

相手の立場を想像する。実力差があろうと勝てば一気に世界ランカーになれる。失うものはない。守るべきものを持たないという優位性は実は怖いと思う。解放された精神で挑むことが可能だからだ。力量の差のある強い相手と闘うことは、モチベートと取り組み方次第では自身の実力以上の力を発揮する場合がある。レベルの高い相手の能力(今回の場合は和氣)によって自身の力(メンタル的要素も大きい気がする)が拡大するという現象。そして、その逆の場合は本来の潜在的な力が発揮しずらい状況に陥ることがある。圧倒的な実力差があっても、蓋を開ければなんとか判定で勝ったというような試合をみかけることがある。

最悪の場合、どういう現象が起こるか。和氣の持っている能力が200として相手の能力が100としよう。100の能力の差がある。だが、和氣の能力の高さによって引っ張られ相手の100の能力が最高で150になれるとしよう。この場合でも50の優位性で勝てる。だが、和氣が相手の能力の低さから(舐めているという意味ではない)本来の200の能力が全力で挑んだつもりでも150しか出せなかったとしよう。すると150対150のイーブンになる。最悪、このような現象が起こった場合、勝負はまったく分からなくなる可能性が生まれてしまう。

試合は3ラウンド途中まで和氣が圧倒的に試合をコントロールしていたが、一瞬で逆転されてしまう。意識を失うほどの危険な倒れ方だった。

ランキングを奪ってやる、という死に物狂いの相手に、当たり前の結果を残す、というのは実際は相当ハードで、常に危険が伴う紙一重の勝負なんだということを観る側の僕らに知らしめる。今回の結果を責めることなどできるはずがない。




by officemigi | 2019-10-14 01:05 | 林建次の日々 | Comments(0)

ネガ整理


ここ最近、ひどく大雑把にではあるがネガ整理を敢行。


10年前の出版に合わせてセレクトしたままだったのでごちゃごちゃしてるが、当時の熱量というか想いの強さがよく分かる。

あらためて膨大なるネガの一部をチェックすると、想像していた以上に気が滅入ってくる。


一生懸命撮っている(ワタクシ)のだろうが、20年前から12年前の当時の自分のダメさ加減の証明である恥部(ネガ)をわざわざ掘り起こして眺める行為は精神的に体力がいることに気づかされる。


確かに面倒な作業だが、なるほど、潜在的に避けていたということなのかね。


まったく酷いものだなと(被写体ではない、ワタクシが、だ)海より深く落ち込みそうになるが、その中で僅かに輝けるものがあるのは(被写体の、だ)救いになる、というか、あぁよかったな、と思う。


「撮る」という行為は、後悔の数をどれだけ減らすことができるか、ということに帰結する。


そういう意味では、へなちょこでもむちゃくちゃでもシャッターを切ってるらしい当時の自分は、とりあえず「よろしい」という評価にしようかね。




by officemigi | 2019-09-30 10:16 | 林建次の日々 | Comments(0)

夏に想う

暑い。夏だな。


ここも放置しっぱなしだからではないですが。。。。



ちょっとだけ落ち着いたかな。

だからひととき、だらりとしてる。


様々なことがあり、素晴らしいことも、考えさせられることもあるな。


まずはTOKYO BIG HOUSE 菊田代表のブックが完成したこと。

取り組んだのは昨年2月だから、永らくかかった。


成長を続けるTOKYO BIG HOUSEというか菊田代表の生き方は

これまで出会ってきた方々でも相当な個性とバイタリティを感じます。

そこに幹部会議や移動中の車内やミーティングなど普段ありえない状況の中、

べったりと側にいてたくさんのことを体験させていただいた。


広報の方々とのやりとりで最大限伝わる方法で本ができたと思う。

これらの体験はとても大きな引き出しになったかな。

菊田代表は本当に素晴らしいと思います。

菊田代表のような方が世の中を変えていくんだろうな。


同時に京大アメフト部のイヤーブックも完成。

ゼネラルマネージャーの三輪さんの情熱は素晴らしい。

それと青春の真っ只中ですべてを闘うことに賭けた彼らとの並走は刺激的だったし、イヤーブック担当のスッタフの方の想いの強さや仕事のはやさに感銘。

本当に素晴らしい。


代理店を通して川崎市のお仕事でまた様々な体験をさせていただいた。

川崎市は可能性の大きい素晴らしい市だと想う。

そこで生きて行く人たち。感動したな。

なにか価値あることが提供できたならと思います。


寺田冷機さまもブックが仕上がった以降もゆっくりと現場に入らせて頂いて本当に感謝です。

当たり前にあるインフラを維持していく。

目の前にある難関をひとつひとつ丁寧に取り組んでいく姿が修行僧のようでもあり、無欲のまたは無心の情熱は間違いなくこの国を支えてきた。

普遍的な最も素晴らしい生き方だと想う。ただただ敬意しかないです。


そしてもう17年ぐらい前だけど池上本門寺に満月の十三祭りで出逢った博報堂、JR東日本企画の長、森川さんとの再会において、ようやくお話できる場所までなんとかこれたかな。

漢の背中がすべてを語っているっていうのはこの人のことなんだって思います。ああいう人になりい。敬意込めて。


あとクムクム代表の阿比留社長。

あんなに純度が高い人はいないのではないかと思います。

それだけでなく徹底した情熱と絶対達成するという狂気。

強烈なエネルギーで多くの人を引き寄せていく。

ご一緒させていただいて、学ぶことばかり。

これまでにないものを創り上げていくのだろうし、絶対そうなるだろう。


8月1日に永眠された三迫ボクシングジムの三迫会長。

ときに生意気なワタクシを烈火の如く叱っていただき、また深い愛情のたくさん頂いた。

三迫会長がいなければここまでボクサーたちと関わることは出来なかったです。

遺影の写真は生前から依頼されて撮らせていただいた。

だから涙か溢れてきた。

会長、本当にありがとうございます。


マキノノゾミさん、キムラ緑子さんたちのひたむきな芝居人生も本当に素敵だった。

マキノさんは変わらずロックなオーラがかっこいい。

キムラ緑子さんはまたすごく美しくなられたと思う。

今の場所に立つということは、みえないところでものすごくタイトなことがあるはずです。

でもそれらを微塵にも感じさせない精神の美しさ。

蓮の花のようで、素晴らしいと思った。

久々にお会いできて嬉しかったです。また一緒になにかしたいな。


また残念なこともあるが、全力で取り組んだのであとはどうか頑張ってもらいたい。

最後は己の力でね。俺もそうだから。



さて、ちょっとだけ休憩してね、一気に走ろうかね。

もう目の前にある。

23歳のときに、こんちくしょうって思ってなんとしてもって誓ったことね。

まだたくさんどきついことを体験することになるのだろうけど、ね。



by officemigi | 2019-08-10 20:22 | 林建次の日々 | Comments(0)

さて久々の更新である。

ほとんどつぶやきにちかく
日記的にしかやっていない昨今ですが
以外にも期待してくれている方々もいるという事実もあり
日々、花を買うてきてはふらり写真撮ってますが
アップするとましょう。

蓮、ね。
このはなの意味はね、かなり素晴らしい、と思う。

まだ蕾でしてね。
どうか咲いてくださいな、と。

さてさて、
人間てやつはなかなか一筋縄ではいかんのですが
だから素晴らしいのかね。

明日からまた出発ですな。





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by officemigi | 2019-07-17 23:57 | 林建次の日々 | Comments(0)

5月4日

ちょっと前のことである。
私の身体についての仕事のスタンスの諸々の話になり
「覚悟はあるのか」
と問われたように思う。

悪意があるわけでなはい。
しかし、覚悟あってこの仕事を選んでいるのはとっくに話したはずだった。
まったく別の想いがあるにせよ、結局伝わってない、ということなのかもしれない。



人は目に見えるのもには反応するものだが、見えずらいもの、または見えないものには想像はしてみても、本当の意味で理解するのは自分も含めてなかなか難しいことなのかもしれない。


以前、ともに障害を患う夫婦の取材をしたことがあった。
彼らは見た目には分からない「音」を感じることが出来ない、
つまり聴こえない、聴覚障害を持っていた。
手話を交えながら本質を聞いていくうちに、勝手な想像はできても自分には体感できない領域で生きていることに気づかされた。


ふたりが望むべくは、ただ、人並みであろうとすること。


社会で生きいくために、それを意識的に、また潜在的に改善、克服しなければならないことがたくさんある。

その一つに、最低限、自分が生きていくフィールドにおいて抱えている問題を理解してもらう努力をしななければならない、ということがある。これまでに、そういうことはあまりしてこなかったように思う。


自分がいまだに写真なるものを続けている理由は、惨めなままでは終われない、という想いがすべてだった。そもそもセンスも才能もなかったけども。何としてでもという想いの反動として、後先考えずに行動した。若さゆえに相当わがままだったし、生意気だったと思う。


写真は私の右腕でしてね。

そもそも自分を写するとかはまったくやんないけど、なるほど、撮ってみると面白いもんだな。

愛着が湧いてくるね。


枝のように細いのだが、夏でも長袖を着ている。あまりみられたくないという小さな自分もいるのだが、それ以上に発汗が多く、クーラにあたれば飛び上がるほど痛んでしまう。その長袖の下にもサポーターを巻かなければならないのが日常で、さらに肩や頚椎にも響いてくるから、夏でも多くはストールがなければとてもじゃないがまともに人の話も聞けないくらいになることもある。
そして若干握れる右手には日常的にほとんどスマホを握っている。撮影中もだ。というのは、角ばった部分をあてがいながら握っていると抱えている痛みが若干和らぐからという理由で。決して、スマホで遠隔操作してシャッターを切っているわけでないのでして。
引き抜き損傷、上腕神経叢麻痺、という複合的な損傷で肩関節というのはすでに存在しない。
腕の不自由さ以上に、抱えてしまった痛みと日々どう向き合っていくかが重要で、時として気力まで削ぎ落とされてしまう、厄介なもの。


要は、特別に扱ってほしい、ということではなく、あゝ、そうなんだ、で十分でして。

具合悪い時はさっさと帰るし、あゝ、そいういことなんだとご理解して頂ければありがたいかな。


これまでにそれがわからなくて嫌な想いをした人もたくさんいると思うので。


いろんな意見や考えは存在するし、それを否定するつもりもないです。

それぞれの主観だからね。

よくも悪くも、そいういのもを受け入れながら社会と向き合っていかなければならないし、それが生きていく上で課せられていることだと認識している。まぁ、それが当たり前っちゃ当たり前なんでして。


ん、なんか重たい感じだが、令和になったんで、まぁいいかな。


黙って受け入れてくれてる方々には本当にありがたく思っております。感謝。
いつもと変わらず粛々と。

そんなんで、どうぞよろしゅう。



#ハンディギャップを乗り越える
#DO_ACTION
#みえない障がい

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by officemigi | 2019-05-04 21:35 | 林建次の日々 | Comments(0)