人気ブログランキング |

【オフィスミギ】晴れ男なものですから

カテゴリ:京都大学アメリカンフットボール( 2 )


深堀遼太郎

先月、深堀遼太郎と東京で会った。


京大アメフトの選手の頃は周りに流されることなく群れない独自のストイックさがあった。試合の時にポートレートを撮らせてほしいと声をかけたときも、断固拒絶するほど、「何か」を貫いていた。骨のある奴だなと嬉しくなり、嫌がる深堀を強引に説き伏せて撮った時の彼の顔は撮影を疎ましく思いつつも、これから闘う場所へ向かう氣を存分に漂わせていた。



引退した深堀は現役の頃とは打って変わって、人懐こい笑顔でこれからを語った。

そして、最後に今後は遼太郎と呼んでくれとせがまれた。

無条件で楽しいひとときだった。

ここに本来の遼太郎がいるように思った。


懸命に身体を磨き上げ、闘うために纏っていた鎧は当然チームの勝利に捧げられていたが、もっと言えばおそらく繊細な自分を守るためにもあったのかもしれない。


遼太郎は引退してその想いを後輩たちに託した後、社会に出て行く自分をこう表現した。

「生まれたての、丸裸の自分」

遼太郎は求道者のように心に秘めたものを持っている。

それは地位や名誉というような代物ではなかった。


きっと泥臭く生きていくのだろうな。


以下、2017年イヤーブックから抜粋したテキスト。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


b0119854_16542820.jpg

b0119854_16542794.jpg
b0119854_16542711.jpg




深堀遼太郎は丹念に磨き上げた身体を深く沈ませて、合図が鳴るのを静かに待っていた。凝縮された一〇〇メートルを生きるために、この瞬間を祈る。


 深堀は全神経を集中させてスタートに反応する。緊張から解き放たれた身体は全開でエネルギーを放出させながら一気にトップスピードに達した。本能に殉じて疾走する身体にすべてを委ねた深堀は、空気が切り裂く風の「音」だけを感じていた。それは、いつもとは全く違う「感覚」だった。あらゆるものを振り払い臨界点を超えたスピードは、深堀を異次元へ導いていく。

「なんて心地いい世界なのだろう」

 一〇秒八〇。

 一一秒を破った体験は、高校二年の深堀にある境地を知らしめてくれた。それは、これまで感じてきた苦痛から、すべてを転ずることが可能なのかもしれないということだった。忘れられない感覚が記憶に刻まれた。



 名門京大フットボール部において、深堀は卓越した身体能力だけでなく異端児として存在する。フットボールはチームプレイだが、彼はあまり群れることをしない。テレビも観なければゲームもしない。孤高であり、素朴でもある。

 深堀は父親の仕事の関係で四歳までニューヨークで育ち、帰国してからは東京で生活すようになった。小中学校の頃から社会の建前から伴う不条理さを感じて、自分の想いを素直に表現する度に学校の先生と衝突するようになった。同時に温かみを感じることのない無機質な都会の喧騒がどうしても好きになれない。突出した身体能力を有し、自分の考えを堂々と主張する深堀は中学ですでに際立つ存在になっていたが、それは本人が望んでいることではなかった。当時の深堀は日本独特の社会性と器用に折り合いをつけて生きていくことが出来ずに、独り塞ぎ込んで苦しみ抜いていたという。個人の考えや力を重視するニューヨークで育ったということもあるかもしれないが、持って生まれた素朴さと繊細な彼の本質がそうさせているようだった。都会の喧騒や煩わしい人間関係から離れて、美しい自然の中で農業をしながら静かに暮らしていくことも考えた。だが、高校だけは行くようにと両親の説得もあって都立国立高校へ入学する。いつくかの候補はあったのだが国立高校を選んだのは、先入観を持たない深堀の独特の嗅覚によるものだった。理屈ではなく本能で感じるままに生きようとする。

「学校案内で国立高校の門を潜ったとき、何故かここしかないと感じたんです。他の学校ではそう感じることはまったくなかった」

 国立高校はクラス替えをぜずに三年間おなじメンバーで過ごしていく。まだ心を閉ざしていた深堀はクラスメートによって救われていくことになる。そして陸上一〇〇M走に没頭することで、閉ざしていた心を徐々に開いていった。そして深堀は、かつて名将水野監督の下で活躍した父に一言も相談することはなく京大ギャングスターを目指した。なぜフットボールだったのだろう、なぜ京大にこだわったのだろう。深堀が単に自己を追求していくのであれば、個人競技の陸上でもよかったはずだ。

 「もちろん父の影響は少なからずあったと思います。それとは別に日本一になるという目的のためならば、煩わしい人間関係や建前など関係なく実力で勝負できるというか、何をやってもいいという文化がここにあるんです。そして激情を必要とするフットボールが自分に合っていると思った。でも何より、ギャングスターへの抑えられない本能的な衝動があった」

 深堀にはささやかな夢がある。京大を卒業して社会人として様々な経験を積んだ後に、いつか小さなコミュニティーを創りたいと考えている。社会や人の業や欲にまみれることなく心の平安を得られる場所。農業をしながら人と人が触れ合っていける場所。自分と同じように社会や人と折り合いをつけることに苦しんでいる人たちを救える場所を創りたい。深堀の実家は東京から福岡の田舎に移った。心のふるさとはまさにこの田舎の原風景なのだと感じたという。

 深堀は四回生になって自らデフェンスリーダーを買って出た。勝敗を左右するほどの重責を担う立場である。深堀はリーダーシップという面において自分が適任であるのかと迷い自問自答した。今の自分では適任ではないかもしれないという想いが頭をかすめる。だが、彼はいつものように本能に従って自身を奮い立たせた。

「リーダーシップのある自分を創り出せばいいのだ。ディフェンス陣で、一番熱い奴は俺だ」

 深堀が責任の大きいデフェンスリーダーを選んだのは、彼自身の本能が潜在的に絶対に必要な体験だと判断したからなのだろう。それは、目指したコミュニティを創り出したときに大いに生かされることになるのかもしれない。


 チーム一丸となって日本一を奪還する。最高の瞬間を独りではなくチームで体感する。そして、またあらたな感覚が記憶に刻まれる。日本一という栄光は、手放しで手に入れられるものではない。たとえ苦しみの中であっても、諦めることなく日々の積み重ねによって初めて可能性が生まれる。そして、深堀は勝利を得た瞬間に訪れる究極の世界観が永遠となることを知っている。十一秒を突き破ったあの瞬間のように。

 それは、きっと深堀が求めた心の平安へと繋がっていくのだろう。




by officemigi | 2019-04-25 16:55 | 京都大学アメリカンフットボール | Comments(0)

大山千春

派手なことはないですがここ数年取り組んできたことで感じてきたことを少しても届いたらいいな、と思う次第でして。

知ってもらいたいな、というね。

今回はその一つ目です。


京都大学アメフト部と関わらせていただいて4年目。

アメフトといえば昨年あれこれ話題になったのですが、この競技は本場アメリカでは凄まじい人気だけど日本においてメジャーではない。自分もアメフトのルールを理解するのに本当に大変でした。


 この場において発信したいのはこのことではなくて、彼らがどう取り組んでいるか、ということ。


 国立の最難関校のひとつであり、私立のようなスポーツ推薦のない京都大学が、アメフト超名門校の名をほしいままにしていた関学と堂々と渡り合い、過去に何度も日本一に輝いた、という事実が存在する。雑な言い方になるけれど、大学からアメフトを始めた素人集団が、日本国内から集まった経験豊富な超エリート集団を打ち破るという図式だ。当然のことだが、並大抵の努力ではこのことは達成できない。


そんな歴史を持つ京都大学だが、結果としてこの数年は低迷している。しかし、この重い歴史を背負って日本一奪還に向けて彼らは必死で取り組んでいる。そんな彼らと3年の間にイヤーブック製作といいうカタチで短い期間ではあるけれど並走させていただいた。監督、選手、スタッフ。規模にしておよそ200人は超える組織であり、大学の部活としては国内初の社団法人となった。彼らはアルバイトしたりみんなで遊んだりというごく普通の大学生のような生活ではない。彼らは組織的にも、個人的にも、朝から晩まで下手な社会人には及びもつかないようなハードな日常を過ごしている。そこにあるのは「日本一に成る」という絶対的な目標のためだけ。


今回は昨2017年のイヤーブックからの抜粋です。選手ではなく、主務(マネージャーを統括する人)としてチームを支えてきた大山さん。

裏方としてチームをサポートするという価値は、決して表には出てこないけれど、彼女たち、彼らたちの存在があって選手は初めてフィールドで闘うことができるということ。


これは真剣に取り組むのであれば、ある程度どこの世界でも同じことが言えるものだと思うな。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
b0119854_21001465.jpg

 いつものように住宅街を抜けると元田中駅の踏み切りに差しかかる。渡ろうとしたが踏み切りの警報機が鳴り始めたので、足を止めて電車が過ぎるのを待つことにした。なんとなく黄色と黒の遮断機が下りてくるのを見つめながら、今日のやるべきことを頭の中であれこれと巡らしていた。それにしても今朝の警報機はやけに心地よく響いてくる。思えば三年の月日の中で、この音が重たく聴こえるときもあれば、晴れやかに聴こえるときもあった。日常の風景に溶け込んだ音色は、日々の感情に寄り添いながら自分の気持ちを代弁してくれているようだった。趣ある二車両の叡山電鉄は、警報機とともに音を立てながらゆっくりと目の前を過ぎていく。そのすぐ向こう側には、毎日のように通う四階建ての白いクラブハウスが見える。しばらく眺めているうちに、いま自分が主務として慌ただしく過ごしていることが少し不思議に思えてきた。

「そもそも目立たなくて引っ込み思案なわたしが、フットボール部のマネージャーになるなんて想いもしなかったな…」

 警報機は鳴り止んで、遮断機がゆっくりと上がっていく。大山千春は電車が通った風を少しだけ感じながら、クラブハウスへ向かった。


 振り返れば、入学当時は宮城から出て来たばかりで期待と不安で一杯だった。大山が京大を選んだのは、天才肌の人間が集まってくるという面白さと、いつも家族のために尽くしてくれる母が大好きな京都に来て楽しんでもらえる環境ができるのではないかという想いからだった。大学では、農学部で勉強に励みながらバイトもこなりたりと、ごくありきたりな学生生活を送ろうと考えていた。けれどフットボール部の強引な勧誘でチェリーボールに渋々と参加するのだが、その時に出会った先輩が生き生きしていてとても素敵だったのが印象に残った。大山は小さい頃から音楽を続けてきたが、チーム一丸となって闘うというような体験をしたことがなかった。ここで日本一という目標に四年間を費やしてみるのもいいかもしれない。これまでの自分とは真逆のことをしてみようと思った。

 異次元の体育会の世界に飛び込んで戸惑うことも多かったが、とにかく無我夢中で取り組んでいった。一回生の時のチームは、成績が振るわず降格の危機にも直面して相当厳しい状況にあった。試合の時の大山の役割は、入り口に設営されたチケットテントでOBや観客への対応だった。当時はマネージャーが不足していることもあって、大山がひとりで担っていた。多くの人たちが不甲斐ないチームに対して苛立ちを露わにし、辛辣な言葉を大山に浴びせた続けた。まだ一回生の大山は傷ついた。サイドラインから遠く離れたテントにひとりで立ち、不満を言われ続ける状況があまりにも孤独で寂しく思えた。誰にも理解されない裏方の中の裏方にいる。こんな地味な場所よりも、選手たちを直接サポートするサイドラインにいたい、と思わずにはいられなかった。

「今はひとりかもしれないけれど、ここが自分の闘う場所なんだ。みんな愛情あるがゆえの厳しい言葉だとは思うけど、必死で闘っている選手たちには絶対に聞かせるわけにはいかない」

 大山は黙ってすべてを受け止めてみせると決めた。これも自分を大きくしてくれる経験には違いなかった。

 二回生以後はチームも最悪の状況から立ち上がり、いい試合ができたときはチケットテントにいてもOBや観客の方々と楽しく会話をすることが出来た。励みになる言葉もたくさん頂いた。かつてはひとりでつらい想いもしたけれど、逆にここでしか味わえない素敵なこともたくさんあるのだと実感した。

 誰も目を向けない地味な仕事を拾い上げて確実にこなしていくのが大山の特徴だったが、大山は主務になるつもりはなかった。だが、ゼネラルマネージャーの三輪誠司と会計の仕事をしていたこともあって、三輪から指名を受けていた。大山はスタッフの精神的支柱としてというより、業務上の責任者としての主務を実践してみようと考えたが、実際は主務としてチームを日本一へ導く日本一のスタッフに纏め上げなければならない。『スタッフは他大を圧倒しろ』という西村監督の要望もある。選手たちとも討論を重ねがならスタッフたちのバランスも考えるが、どうしても板挟みになることもある。スタッフの仕事は表に見えないことのほうが多いかもしれない。これは苦痛が伴うが、大山は決して想い悩んでいる姿は見せない。これまでは寡黙に仕事をこなしてきたが、主務になってから敢えて笑顔で明るく接するように意識している。大山は主将が目指しているチームをサポートできる主務になりたいと強く願っている。


 この春のシーズンの試合中も大山はチケットテントにいた。何事もないように佇んでいるが、フィールドから何も聞こえてこないと母親のように心配になって仕方がない。

「戦況はどうなのだろう?誰か怪我はしてはいないだろうか?」

 歓声が湧いてRB入山鼓のダッチダウンのアナウンスが流れると、大山は密かに歓喜する。

「やった!あいつ調子がいいんだ」

 かつて一回生のときに大山はチケットテントでひとり批判を受け止めた経験がある。伝統あるチームだから仕方のないことかもしれないが、同期の選手たちが日本一を目指して必死で過ごしてきた歳月を知っているからこそ、その批判はもう聞きたくない。選手、スタッフと同様に大山にもチームに対する深い愛情が芽生えていた。


 今日もクラブハウスを出ていつもの踏切を渡る。喜びや、悲しみ、様々な想いを抱えた自分と静かに向き合ってきた帰り道。わたしが力になれることはなんだろう、と考える。大山は祈るような想いで、残された日々を過ごしている。


「彼らを、このチームを勝たせてあげたい…‥」






by officemigi | 2019-03-05 21:08 | 京都大学アメリカンフットボール | Comments(0)