【オフィスミギ】晴れ男なものですから | |||||
2006年9月 バンコク郊外。 独特の雰囲気を持つ古びたスタジアム。 スポンサーのロゴの入ったカラフルなリング。 タイの屋台料理の匂い。 ごった返す人たち。 ![]() ムエタイ(タイ式ボクシング)の試合が始まる。 鋭い目つきの選手たちはその独特な曲のリズムにあわせて、 ワイクルーを踊り始める。 鍛え上げられた身体にはワセリンがたっぷり塗られていて、 踊りながら照明が直にあたる度に、褐色の肌がギラリと光る。 ワイクルーとは感謝を捧げ、神に勝利を願う行為で この国ならではのムエタイの儀式だ。 神々しい。 ゴングが鳴った。 満員のスタジアム全体が一気に高揚する。 パンチや蹴りが炸裂するたびに、 オォーッという鼓膜を切り裂くような大歓声が起こる。 僕の目の前で客同士の乱闘が始まった。 早口のタイ語で激しく罵り合い、揉みくちゃになっている。 ムエタイは博打だ。 この場所には、〝欲〟が充満している。 猥雑で危険な空気。 皆が興奮している。 止まることのない大合唱の連呼でまとに会話も出来ない。 強烈な熱気でスタジアムが破裂しそうだ。 後楽園ホールもそうだが、どうやらこの古いスタジアムにも 闘いの歴史が染み付いていて、鋭い磁場がある。 落ち着こう。 僕はしばらくその場に留まって、それを身体に馴染ませた。 そして人垣をかきわけて、控え室へと向かった。 そこには、あのリングに上がる男いる。 大嶋記胤(のりつぐ) 入れ墨ボクサーとして名を馳せた大嶋宏成の実弟。 兄が現役の頃から彼がボクシングの練習をしているのは知っていた。 ただ、彼の場合、ほぼ全身に入れ墨が入っているために 日本でプロボクサーとしての道はこの段階では厳しいものだった。 彼も兄同様、その筋の道へ足を踏み入れる。 彼の右手の小指はない。 それはヤクザから足を洗うために自ら切り落としたのだ。 ![]() 幼い頃、親の愛情を知ることがなかった。 兄が親代わりっだった。 普段接する彼は、よく冗談をいう陽気な男だ。 しかし、時折、誰にも救うことの出来ない、 深い悲しみに満ちた表情をすることがあった。 それは彼が背負わざるえなかった地獄がそうさせていたんだろう。 それを見るたびに胸が締め付けられた。 ある日、シャイアンジムにふらりと行ったときのことだ。 ジムワークの途中だった彼が 全身汗だくで僕にこう言った。 「タイで、バンコクで試合することになりました。 一緒に来て下さい、俺を撮って下さい!」 濁りのない、まっすぐで、純粋な〝目〟だった。 その〝目〟に僕は強烈な何かを感じてしまった。 行くしかない。 大嶋記胤が自身を変えようとするその未知への挑戦に 同行することになった。 バンコクについた初日はクーデターだったが 戦車が道路にある意外は街は平穏そのものだった。 彼は減量でげっそりしていたが 身体を動かすためにバンコク市内にあるボクシングジムへと行く。 軽くシャドーを始めた。 かなり疲れてはいるが、キレのある動き。 次第に熱を帯びて来る。 この時の彼の身体を見て 改めて本気なんだと思い知らされた。 無駄な贅肉を削り取り 筋肉だけが浮き上がった身体から汗が吹き出す。 それが蛍光灯の光に反射して全身の入れ墨がギラギラと輝き出した。 ![]() ![]() ![]() 〝俺は今、ここにいる、生きているんだ〟 身体に宿った魂がそう叫んでいるようだった。 正直言ってこんなにも美しいものかと思った。 なにもわからない異国の地に乗り込んで来ているのだ。 不安、恐怖はあるに決まっている。 負けて帰る訳にはいかないのだ。 もの凄い重圧だったと思う。 しかし、彼はそれをうまくコントロールしているようだ。 なにより目が〝生きて〟いる。 大丈夫だ。 今回のこの挑戦に、大嶋記胤の引力に引き込まれたのは僕だけではない。 トレーナーの平川さん。 平川さんはタイ語が喋れる。 今回のマッチメーク、ジムの手配などは平川さんの力だ。 平川さんもボクサーだったがある試合で 脳に異常が出て引退を余儀なくされる。 志半ばでリングに想いを残していた。 記胤と関わることで自身の何かを託しているのかもしれない。 そして清水さん。 大嶋記胤の地元の友人だ。 清水さんは片足がない。 もう何年も前に交通事故で失ったのだ。 今回、彼のセコンドを勤める。 いままでずっと車いすの生活だったが 彼の挑戦に触発されて清水さんも初めて義足をつけてやってきた。 これは凄いことだと思う。 大嶋記胤の挑戦は人を変える力を持っているのだ。 控え室。 みんな物珍しそうに彼の入れ墨を見る。 タイでもそれは日本の何を意味しているか解っているようだ。 グラブをつけて出番を静かに待っている。 ![]() ![]() ここで僕が感じたこと。 それは大嶋記胤の強さだ。 完全に肝が据わってる。 彼は土壇場まで追い込まれて初めてその力を発揮するタイプなんだと思う。 リングに向かうボクサーがこれほど頼もしく見えたことはなかったかもしれない。 ![]() ![]() ![]() 自身の〝何か〟を変えるためにここまでやって来た。 自らの手で未来を切り開くために。 その夢を僕は買ったのだ。 リングに上がる時、あれほど殺気立った満員の観客はもうほとんどいなかった。 でも逆にそれがリアルで圧倒的な緊張感を生んでいる。 その〝時〟が来たのだ。 ![]() ![]() ![]() あの日から2年がすぎた。 タイでの戦績は3勝(3KO) 入れ墨を消すという条件付きで 日本プロライセンスを所得。 2008年11月19日 ついに後楽園ホールのリングに上がる。 今彼は、タイの時とは違ったもの凄い重圧を感じているだろう。 しかし、その重圧が大きければ大きいほど それを狂気に変えることのできる肝っ玉のすわった男だ。 大嶋記胤の強さはつまらない理屈ではなく、そこにあると思う。 地獄の底から這い上がって来たのだ。 全てを賭けることのできる人間は強い。 林建次
by officemigi
| 2008-11-16 14:49
| 林建次の日々
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Comments(3)
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