【オフィスミギ】晴れ男なものですから | |||||
仕事をしながら、プロボクサーとしてリングに上がる。 ボクサーにとっては当たり前のことだが、釈尊全雄(しゃくそんぜんゆう)は特別な職業を持っていた。 ![]() 神奈川県のお寺の一人息子として生まれ、家業を継ぐのは当然だと小さい頃から感じていた。 趣味は「お経」。 その朗々と唱えるお経を初めて聞いたときには感動した。 どうしてボクサーになったのか。 高校はイギリスに留学し、初めて親元を離れ、寮生活を体験する。グリーンが美しく、ゴルフ部に入ろうと楽しみにしていたが、夜、部屋にいるとジェイソンに襲われた。それが、部員集めの先輩からの歓迎の儀式と思うにはあまりにも恐すぎて、勧誘されるがまま、他の部活動へ入った。 もし、自分が強ければ、、、初めて弱い自分を悔いた。 そして、日本に帰ってきてからボクシングを始めた。 大学を卒業し、仏道を歩みながらも、ボクサーとしてリングに上がる。 いつの間にか、弱い自分のためではなく、自分を信頼してくれる人々を守るために強くなりたいと思った。 ついに、仕事も忙しくなり、引退を決意しなければならない。 そのための練習に余念はなかった。 今までで最高の試合。 確実に強くなっている。まだまだこれからの選手のような気がした。 この声援を、身体にしみこませて、これからは、仏道一筋となれるのだろうか? 試合後、案の定、また機会があったらやりたいと話していた。 数日後、田中光吉選手の引退式が行われた。最後の試合から2年経っていた。 この日に手渡す「激励賞」に添える言葉に悩んだ。 「おめでとうございます?お疲れ様?なんていえばいいの?」 とshioriが尋ねると、田中選手は 「ここはやっぱりご愁傷様でしょ」 と冗談とも、本気ともいえない言葉が返ってきた。 完全燃焼。田中選手のその言葉を聞いて、たとえタイトルが取れなくても幸せなボクサー生活だったのだとつくづく感じた。 林がタイに取材に行った大嶋記胤選手が、刺青が見えないように黒い長袖のTシャツに身を包み、田中選手のスパーリング相手に選ばれ、その引退の花を飾った。 記胤選手は、レーザーで治療を始め、日本のリングに上がれる可能性が出てきた。 来る者、去る者、戸惑う者、返り咲く者、いろんな人々が交差するリング。 一段と輝かしく見えた。
by officemigi
| 2007-07-14 10:16
| 林建次の日々
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