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【オフィスミギ】諸行無常

言葉

さて。
緊急事態宣言もゆるやかに解除されたということで。
けどまだまだ緩くなるわけにはいかにようですが。

5月に入って粛々と取り組ませてて頂いていて、現在「書く」ということの佳境に入ってます。
相変わらず器用になれないので、こういう状況になってくると「漂えど、沈まず」という、開口健が愛した言葉が浮かぶのですが、なるほど、おっしゃる通りと思うに至るのです。

それにしても直近の言葉の扱いかたに関連したニュースを目にしてとても残念でね、悲しくなる。言葉とは怖いものだなと思う。言葉の扱い方ね。人間の在り方っていうかね。

そんな中で、今月入ってにまったく面識のない方からメッセージを頂きました。

その方は、2010年の日本カメラ4月号に、あるタイミングで出会ったのだそうです。メッセージは無駄のないまっすぐな言葉だけでね、こころに響いて嬉しく思ったものです。

以下に許可を頂いたのでメッセージを掲載します。
言葉というものはこういう具合で使えたら素敵だと思う。




林 建次 様

はじめまして。
私は後藤究と申します。

私の父は後藤九と申しまして、写真家として活動しておりました。
父の活動の中に原稿執筆があり、日本カメラやアサヒカメラ等多くを行っておりました。
三年近く前に父が亡くなり、父が執筆したそれらの雑誌を全て処分したのですが、何故か私の手元に一冊だけ日本カメラが残っておりました。

それは2010年4月号の日本カメラでした。
それの巻頭口絵が林様が撮影された、「生きるために人は夢を見る」でした。
写真が載った最後のページに林様が事故により、右腕の機能を失われたことが書かれておられました。

私は父と同様にカメラマンとして活動しておりましたが、2015年9月にくも膜下出血になり半年程入院をしました。
記憶障害が残ってしまい、リハビリに通い大分回復はしましたが、まだまだな自分がおります。

「生きるために人は夢を見る」は私にとって、大切な人生の指針です。
ありがとうございます。

後藤 究





後藤 究さま

メッセージありがとうございます。
とても嬉しく思います。

もう10年前になりますね。
当時のお父様の記憶は思い当たらず大変失礼なのですが、本当にお世話になりました。

あの当時は本を出版するためだけにある意味執念で生きていたような気がします。
〜中略〜
そうやってめちゃくちゃやって現在写真で生きているので、どうにも自然と肝が座ってきたようです。

コロナによって世間は当たり前だったことに意識や感謝がいくようになったと感じます。

身体にダメージがあることはキツイことです。
自分も当たり前の状態が変わってしまうことを受け入れて生きていくことは簡単ではなかったです。
未だに首から腕にかけて神経の痛みがあり、寝ることもなかなか大変です。
でも、その苦しみの中にいるからこそ、または身体の状態を受け入れているからこそ、一瞬でも見いだせる喜びや幸せを感じることが出来るようになりました。
とても小さくて、ささいなことです。
人間はそれだけでも生きるに値するものだと思います。
おそらく、きっと、後藤さんもそんな体験を日々されていると思います。

その日本カメラはお父様が残されたメッセージなのかもしれませんね。
ある種の奇跡でもありますね。
ありがとうございます。

林建次



by officemigi | 2020-05-29 10:41 | 林建次の日々 | Comments(0)
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