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【オフィスミギ】晴れ男なものですから

深堀遼太郎

先月、深堀遼太郎と東京で会った。


京大アメフトの選手の頃は周りに流されることなく群れない独自のストイックさがあった。試合の時にポートレートを撮らせてほしいと声をかけたときも、断固拒絶するほど、「何か」を貫いていた。骨のある奴だなと嬉しくなり、嫌がる深堀を強引に説き伏せて撮った時の彼の顔は撮影を疎ましく思いつつも、これから闘う場所へ向かう氣を存分に漂わせていた。



引退した深堀は現役の頃とは打って変わって、人懐こい笑顔でこれからを語った。

そして、最後に今後は遼太郎と呼んでくれとせがまれた。

無条件で楽しいひとときだった。

ここに本来の遼太郎がいるように思った。


懸命に身体を磨き上げ、闘うために纏っていた鎧は当然チームの勝利に捧げられていたが、もっと言えばおそらく繊細な自分を守るためにもあったのかもしれない。


遼太郎は引退してその想いを後輩たちに託した後、社会に出て行く自分をこう表現した。

「生まれたての、丸裸の自分」

遼太郎は求道者のように心に秘めたものを持っている。

それは地位や名誉というような代物ではなかった。


きっと泥臭く生きていくのだろうな。


以下、2017年イヤーブックから抜粋したテキスト。



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深堀遼太郎は丹念に磨き上げた身体を深く沈ませて、合図が鳴るのを静かに待っていた。凝縮された一〇〇メートルを生きるために、この瞬間を祈る。


 深堀は全神経を集中させてスタートに反応する。緊張から解き放たれた身体は全開でエネルギーを放出させながら一気にトップスピードに達した。本能に殉じて疾走する身体にすべてを委ねた深堀は、空気が切り裂く風の「音」だけを感じていた。それは、いつもとは全く違う「感覚」だった。あらゆるものを振り払い臨界点を超えたスピードは、深堀を異次元へ導いていく。

「なんて心地いい世界なのだろう」

 一〇秒八〇。

 一一秒を破った体験は、高校二年の深堀にある境地を知らしめてくれた。それは、これまで感じてきた苦痛から、すべてを転ずることが可能なのかもしれないということだった。忘れられない感覚が記憶に刻まれた。



 名門京大フットボール部において、深堀は卓越した身体能力だけでなく異端児として存在する。フットボールはチームプレイだが、彼はあまり群れることをしない。テレビも観なければゲームもしない。孤高であり、素朴でもある。

 深堀は父親の仕事の関係で四歳までニューヨークで育ち、帰国してからは東京で生活すようになった。小中学校の頃から社会の建前から伴う不条理さを感じて、自分の想いを素直に表現する度に学校の先生と衝突するようになった。同時に温かみを感じることのない無機質な都会の喧騒がどうしても好きになれない。突出した身体能力を有し、自分の考えを堂々と主張する深堀は中学ですでに際立つ存在になっていたが、それは本人が望んでいることではなかった。当時の深堀は日本独特の社会性と器用に折り合いをつけて生きていくことが出来ずに、独り塞ぎ込んで苦しみ抜いていたという。個人の考えや力を重視するニューヨークで育ったということもあるかもしれないが、持って生まれた素朴さと繊細な彼の本質がそうさせているようだった。都会の喧騒や煩わしい人間関係から離れて、美しい自然の中で農業をしながら静かに暮らしていくことも考えた。だが、高校だけは行くようにと両親の説得もあって都立国立高校へ入学する。いつくかの候補はあったのだが国立高校を選んだのは、先入観を持たない深堀の独特の嗅覚によるものだった。理屈ではなく本能で感じるままに生きようとする。

「学校案内で国立高校の門を潜ったとき、何故かここしかないと感じたんです。他の学校ではそう感じることはまったくなかった」

 国立高校はクラス替えをぜずに三年間おなじメンバーで過ごしていく。まだ心を閉ざしていた深堀はクラスメートによって救われていくことになる。そして陸上一〇〇M走に没頭することで、閉ざしていた心を徐々に開いていった。そして深堀は、かつて名将水野監督の下で活躍した父に一言も相談することはなく京大ギャングスターを目指した。なぜフットボールだったのだろう、なぜ京大にこだわったのだろう。深堀が単に自己を追求していくのであれば、個人競技の陸上でもよかったはずだ。

 「もちろん父の影響は少なからずあったと思います。それとは別に日本一になるという目的のためならば、煩わしい人間関係や建前など関係なく実力で勝負できるというか、何をやってもいいという文化がここにあるんです。そして激情を必要とするフットボールが自分に合っていると思った。でも何より、ギャングスターへの抑えられない本能的な衝動があった」

 深堀にはささやかな夢がある。京大を卒業して社会人として様々な経験を積んだ後に、いつか小さなコミュニティーを創りたいと考えている。社会や人の業や欲にまみれることなく心の平安を得られる場所。農業をしながら人と人が触れ合っていける場所。自分と同じように社会や人と折り合いをつけることに苦しんでいる人たちを救える場所を創りたい。深堀の実家は東京から福岡の田舎に移った。心のふるさとはまさにこの田舎の原風景なのだと感じたという。

 深堀は四回生になって自らデフェンスリーダーを買って出た。勝敗を左右するほどの重責を担う立場である。深堀はリーダーシップという面において自分が適任であるのかと迷い自問自答した。今の自分では適任ではないかもしれないという想いが頭をかすめる。だが、彼はいつものように本能に従って自身を奮い立たせた。

「リーダーシップのある自分を創り出せばいいのだ。ディフェンス陣で、一番熱い奴は俺だ」

 深堀が責任の大きいデフェンスリーダーを選んだのは、彼自身の本能が潜在的に絶対に必要な体験だと判断したからなのだろう。それは、目指したコミュニティを創り出したときに大いに生かされることになるのかもしれない。


 チーム一丸となって日本一を奪還する。最高の瞬間を独りではなくチームで体感する。そして、またあらたな感覚が記憶に刻まれる。日本一という栄光は、手放しで手に入れられるものではない。たとえ苦しみの中であっても、諦めることなく日々の積み重ねによって初めて可能性が生まれる。そして、深堀は勝利を得た瞬間に訪れる究極の世界観が永遠となることを知っている。十一秒を突き破ったあの瞬間のように。

 それは、きっと深堀が求めた心の平安へと繋がっていくのだろう。




by officemigi | 2019-04-25 16:55 | 京都大学アメリカンフットボール | Comments(0)
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