人気ブログランキング | 話題のタグを見る

【オフィスミギ】晴れ男なものですから

大山千春

派手なことはないですがここ数年取り組んできたことで感じてきたことを少しても届いたらいいな、と思う次第でして。

知ってもらいたいな、というね。

今回はその一つ目です。


京都大学アメフト部と関わらせていただいて4年目。

アメフトといえば昨年あれこれ話題になったのですが、この競技は本場アメリカでは凄まじい人気だけど日本においてメジャーではない。自分もアメフトのルールを理解するのに本当に大変でした。


 この場において発信したいのはこのことではなくて、彼らがどう取り組んでいるか、ということ。


 国立の最難関校のひとつであり、私立のようなスポーツ推薦のない京都大学が、アメフト超名門校の名をほしいままにしていた関学と堂々と渡り合い、過去に何度も日本一に輝いた、という事実が存在する。雑な言い方になるけれど、大学からアメフトを始めた素人集団が、日本国内から集まった経験豊富な超エリート集団を打ち破るという図式だ。当然のことだが、並大抵の努力ではこのことは達成できない。


そんな歴史を持つ京都大学だが、結果としてこの数年は低迷している。しかし、この重い歴史を背負って日本一奪還に向けて彼らは必死で取り組んでいる。そんな彼らと3年の間にイヤーブック製作といいうカタチで短い期間ではあるけれど並走させていただいた。監督、選手、スタッフ。規模にしておよそ200人は超える組織であり、大学の部活としては国内初の社団法人となった。彼らはアルバイトしたりみんなで遊んだりというごく普通の大学生のような生活ではない。彼らは組織的にも、個人的にも、朝から晩まで下手な社会人には及びもつかないようなハードな日常を過ごしている。そこにあるのは「日本一に成る」という絶対的な目標のためだけ。


今回は昨2017年のイヤーブックからの抜粋です。選手ではなく、主務(マネージャーを統括する人)としてチームを支えてきた大山さん。

裏方としてチームをサポートするという価値は、決して表には出てこないけれど、彼女たち、彼らたちの存在があって選手は初めてフィールドで闘うことができるということ。


これは真剣に取り組むのであれば、ある程度どこの世界でも同じことが言えるものだと思うな。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
大山千春_b0119854_21001465.jpg

 いつものように住宅街を抜けると元田中駅の踏み切りに差しかかる。渡ろうとしたが踏み切りの警報機が鳴り始めたので、足を止めて電車が過ぎるのを待つことにした。なんとなく黄色と黒の遮断機が下りてくるのを見つめながら、今日のやるべきことを頭の中であれこれと巡らしていた。それにしても今朝の警報機はやけに心地よく響いてくる。思えば三年の月日の中で、この音が重たく聴こえるときもあれば、晴れやかに聴こえるときもあった。日常の風景に溶け込んだ音色は、日々の感情に寄り添いながら自分の気持ちを代弁してくれているようだった。趣ある二車両の叡山電鉄は、警報機とともに音を立てながらゆっくりと目の前を過ぎていく。そのすぐ向こう側には、毎日のように通う四階建ての白いクラブハウスが見える。しばらく眺めているうちに、いま自分が主務として慌ただしく過ごしていることが少し不思議に思えてきた。

「そもそも目立たなくて引っ込み思案なわたしが、フットボール部のマネージャーになるなんて想いもしなかったな…」

 警報機は鳴り止んで、遮断機がゆっくりと上がっていく。大山千春は電車が通った風を少しだけ感じながら、クラブハウスへ向かった。


 振り返れば、入学当時は宮城から出て来たばかりで期待と不安で一杯だった。大山が京大を選んだのは、天才肌の人間が集まってくるという面白さと、いつも家族のために尽くしてくれる母が大好きな京都に来て楽しんでもらえる環境ができるのではないかという想いからだった。大学では、農学部で勉強に励みながらバイトもこなりたりと、ごくありきたりな学生生活を送ろうと考えていた。けれどフットボール部の強引な勧誘でチェリーボールに渋々と参加するのだが、その時に出会った先輩が生き生きしていてとても素敵だったのが印象に残った。大山は小さい頃から音楽を続けてきたが、チーム一丸となって闘うというような体験をしたことがなかった。ここで日本一という目標に四年間を費やしてみるのもいいかもしれない。これまでの自分とは真逆のことをしてみようと思った。

 異次元の体育会の世界に飛び込んで戸惑うことも多かったが、とにかく無我夢中で取り組んでいった。一回生の時のチームは、成績が振るわず降格の危機にも直面して相当厳しい状況にあった。試合の時の大山の役割は、入り口に設営されたチケットテントでOBや観客への対応だった。当時はマネージャーが不足していることもあって、大山がひとりで担っていた。多くの人たちが不甲斐ないチームに対して苛立ちを露わにし、辛辣な言葉を大山に浴びせた続けた。まだ一回生の大山は傷ついた。サイドラインから遠く離れたテントにひとりで立ち、不満を言われ続ける状況があまりにも孤独で寂しく思えた。誰にも理解されない裏方の中の裏方にいる。こんな地味な場所よりも、選手たちを直接サポートするサイドラインにいたい、と思わずにはいられなかった。

「今はひとりかもしれないけれど、ここが自分の闘う場所なんだ。みんな愛情あるがゆえの厳しい言葉だとは思うけど、必死で闘っている選手たちには絶対に聞かせるわけにはいかない」

 大山は黙ってすべてを受け止めてみせると決めた。これも自分を大きくしてくれる経験には違いなかった。

 二回生以後はチームも最悪の状況から立ち上がり、いい試合ができたときはチケットテントにいてもOBや観客の方々と楽しく会話をすることが出来た。励みになる言葉もたくさん頂いた。かつてはひとりでつらい想いもしたけれど、逆にここでしか味わえない素敵なこともたくさんあるのだと実感した。

 誰も目を向けない地味な仕事を拾い上げて確実にこなしていくのが大山の特徴だったが、大山は主務になるつもりはなかった。だが、ゼネラルマネージャーの三輪誠司と会計の仕事をしていたこともあって、三輪から指名を受けていた。大山はスタッフの精神的支柱としてというより、業務上の責任者としての主務を実践してみようと考えたが、実際は主務としてチームを日本一へ導く日本一のスタッフに纏め上げなければならない。『スタッフは他大を圧倒しろ』という西村監督の要望もある。選手たちとも討論を重ねがならスタッフたちのバランスも考えるが、どうしても板挟みになることもある。スタッフの仕事は表に見えないことのほうが多いかもしれない。これは苦痛が伴うが、大山は決して想い悩んでいる姿は見せない。これまでは寡黙に仕事をこなしてきたが、主務になってから敢えて笑顔で明るく接するように意識している。大山は主将が目指しているチームをサポートできる主務になりたいと強く願っている。


 この春のシーズンの試合中も大山はチケットテントにいた。何事もないように佇んでいるが、フィールドから何も聞こえてこないと母親のように心配になって仕方がない。

「戦況はどうなのだろう?誰か怪我はしてはいないだろうか?」

 歓声が湧いてRB入山鼓のダッチダウンのアナウンスが流れると、大山は密かに歓喜する。

「やった!あいつ調子がいいんだ」

 かつて一回生のときに大山はチケットテントでひとり批判を受け止めた経験がある。伝統あるチームだから仕方のないことかもしれないが、同期の選手たちが日本一を目指して必死で過ごしてきた歳月を知っているからこそ、その批判はもう聞きたくない。選手、スタッフと同様に大山にもチームに対する深い愛情が芽生えていた。


 今日もクラブハウスを出ていつもの踏切を渡る。喜びや、悲しみ、様々な想いを抱えた自分と静かに向き合ってきた帰り道。わたしが力になれることはなんだろう、と考える。大山は祈るような想いで、残された日々を過ごしている。


「彼らを、このチームを勝たせてあげたい…‥」






by officemigi | 2019-03-05 21:08 | 京都大学アメリカンフットボール | Comments(0)
<< 3月14日 2019 >>