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【オフィスミギ】晴れ男なものですから

1月11日

今取り組んでいる現場は、
シベリア抑留のお話。

故郷、命、家族、愛する人、
遠く離れた地からそれぞれが想いを馳せる。
ただ、帰りたい、逢いたい、という想いだけ。
いつか、という僅かな希望を持って過酷な日々を過ごす。
けど、叶わないかもしれない。

実際、極限の寒さの中での強制労働で
多くの方々が亡くなった。
無念だったと思う。

そんな稽古現場の写真撮っている時、
どこからか洪水のような感情が溢れてきて
涙が堪えきれなくなってしまった。

最初、何がどうシンクロしたのか分からなく、
正直、そういう自分に驚きもした。

これまでにもそんなシーンはなくはない。
大嶋宏成の最期の試合はそうだった。
けど、それとはまったく違う種類のものだった。

そそさくと現場を離れ、落ち着いて考えてみた。
これは、いろんなことを堪えていた感情だったように思った。

2012年の5月、父はいなくなった。
看取ってあげられなかったという悔いがあった。
いろんなことがあって家族は崩壊していた状態だったが、
家族4人で集まって食事でもしようという約束が、
ようやく出来た頃だった。
独りでいる父が少しでも喜んでくれたらと思っていた。

戦後の混乱の中でまだ小学生の父は
原爆で亡くなった父親代わりで、
新聞配達をして家族を支えて生きてきた。

遺品整理をしに父が暮らしていた小倉へ行った。
父はベッドで倒れていたのだが、
隣にある机には二つ家族写真が飾ってあった。

意地っ張りで、威厳を保つ父だったから、
寂しいような素振りは一切見せなかったが、
ずっと逢いたいと思っていたことだろう。

小学生の頃と中学生の頃の写真。
これを眺めながら独りで逝ってしまたのだろうか。
今でも父への申し訳なさと、自分への情けなさが募る。

いろんなことがあって家族がバラバラになったのは
本意ではなかったけど、どうしても仕方ないことだった。

きっと冷たい息子に思えたのかもしれないけれど、
本当は誰よりも尊敬していたということを伝えたかった。


父の部屋にあった写真は今、自分の机の上にある。
オルゴールのついた小さな額は父が選んで買ったのだろうか。
父は両腕に小学生の兄と自分を抱えて写っている。
三人が見つめる先はカメラを構えている母。

またいつかあの場所で写真が撮れる日がくるのなら。













by officemigi | 2017-01-11 23:37 | 林建次の日々 | Comments(0)
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