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【オフィスミギ】晴れ男なものですから

孤高の裏側で

孤高の裏側で 

斎藤大樹 17 QB/DB

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 完敗だった。逆転の余地もないまま、
試合終了のホイッスルは鳴った。それ
は選手たちにとって、2012年のシーズ
ンが終わったことを意味していた。上智
大学に破れ、1部リーグ昇格の夢は叶わず
、駒澤大学の選手たちは打ちのめされて
いた。とりわけ4年生たちにとっては最後
の試合であり、涙する者が多かった。
 その中でも、グランドにしゃがみ込んで、
立つことすら出来ずにいる選手がいた。
それは同期や後輩たちにとっても、まさか
と思う人物だった。普段クールに振る舞っ
ていた男は、溢れる感情を押さえ切れずに
ひたすら号泣していた。
「あぁ、俺は泣いてるんだ。」
 斎藤大樹は、そんな自分に驚いていた。
本当に想像すらしていなかった。
 彼は内に秘めた想いを初めて、人に、
そして自分にもさらけ出していた。

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 斎藤は一見してクールな人間に見える。
皆でべたべたするようなタイプではない。
練習においても、激しく声を上げて自己
主張することもあまりしない。ヘルメット
越しの表情は真剣な時もあるが、不思議
と穏やかなことのほうが多い。2012年の
リーグ戦。いつも試合前に、彼は笑顔で
同じことをチームメイトに語りかけていた。

「いいか、緊張するなよ! 表情筋を
緩めよう! この瞬間を楽しむんだ、
試合を楽しむんだぞ!」

楽しむこと。これは斎藤が生きていく上で
、最も大切にしていることだっだ。
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 中学まで陸上をしていた斎藤は、高校から
アメフトを始めた。小学校の時の友人と横浜
の白山高校で再び出会い、その彼に誘われる
ままに入部した。廃部寸前だったアメフト部
には、斎藤も含めてなんとか7人集まったが、
当然試合をすることは出来ず、ひたすら走っ
て当たっての厳しい練習の日々だった。
 まだアメフトを理解することが出来ず、正直、
何をやっているのかよく分からなかった。
辞めようかとも思ったが、7人の仲間意識の強さ
に抜けるに抜けられず、続けることにした。

2年生になって、ようやく部員も増えて試合が
出来るようになり、斎藤もテレビでNFLを観た
りして、アメフトの楽しさや、奥深さを理解す
るようになった。3年生の時に副部長となった
斎藤は、アメフトにのめり込んで真剣に取り組
んでいた。後輩たちにも厳しく指導することも
あった。ただ、アメフトはひとり頑張っても勝
てる競技ではなく、結局、高校の試合ではすべ
て一回戦負けだった。斎藤は1度も勝てないまま
辞めてしまうのは、どうしても嫌っだった。
白山高校の監督が駒澤大学のOBということもあり、
大学で何度も練習してきた斎藤は、アメフトの
スポーツ推薦で駒澤大学へ進学出来ることになった。
斎藤は4年間、アメフトに没頭する喜びに湧いていた。 

「1年の時は本当に楽しかったです。初めてチーム
として勝つ喜びを味わえた。2部優勝で次の年は1部
リーグという最高の舞台だったから、こんなに嬉しい
ことはなかった。下級生だから責任というのもなく、
自由にやらせてもらっていたと思う。当時の4年生
の先輩たちは、本当に凄い人たちばかりで尊敬出来た。
あの先輩たちに引っ張られて来たんです。」
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 1年目から試合に出場していた斎藤は、最高の経験
をした。しかし、2年生になってから彼は苦しむこと
になる。チームは1部リーグではまったく歯が立たず、
レベルの差を見せつけられていた。さらに様々な問題
で同期の選手たちが次々と辞めていった。同期がいな
くなってしまうのは、辛いことだった。斎藤にとって
アメフトとは楽しむものだった。そのために真剣に取り
組むことは当たり前で、練習から楽しむことを意識した。
それが斎藤の持論だった。だから、つまらなさそうに
やっている者をみると何故だろうと思っていた。
精神的にきつい時にこそ、斎藤はあえて楽しもうと
自分の気持ちを高めるように努めた。
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 3年生の年、斎藤は左足の靭帯のケガによって
試合に出れず、ほぼシーズンを棒に振ってしまった。
だたグランドを眺めて指導するだけだった。本音を
言えば辞めたいと思うことが多かった。あえて楽し
もうと試みても思うようにいかなかった。
さすがに気持ちは折れそうになった。
それでも斎藤は後輩たちをどう指導していけばよいか、
自分なりに模索していた。アメフトは激しい競技だ。
それは練習も同じで、常に罵声や怒号が飛び交う。
斎藤はそういうものを高校時代に経験していた。
チームプレイ故に、一人のミスが大きく状況を左右する。
ミスした人間を怒鳴ったりすることは、悪いことだとは
思わない。それも必要だと思う。ただ皆がそれをしてし
まえば、ミスを犯した人間は萎縮してしまい、思い切っ
たプレーが出来なくなってしまうこともある。斎藤は
敢えて、怒鳴ったりしたこともあったが、これでよくな
っているのか疑問だった。本当にその相手のためを思う
ならと、少しでもいい状況になるように、後で冷静に接
して優しくアドバイスを送るようにした。周りの状況を
見て何が必要なのかを考えた結果、これが自分の役目な
のではないかと判断した。まれに怒鳴りたくなることも
あったが、そこは辛抱強く堪えた。ただ時として斎藤の
そのような姿勢は、新倉監督からすると、上級生として
物足りなく見えることがあった。それは斎藤のみならず、
4年生の選手の全てに言えることだった。もちろん斎藤
は監督の想いを感じていたが、自分をアピールするため
にそれをするつもりはなかった。
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「周りから見て自分は冷めてるように見えるかもしれない。」

斎藤はポツリと言った。先輩としての後ろ姿を見せていない。
お前は何もしていないと言われることもあった。だが斎藤は
個人で出来る努力を、わざわざ人に見せるものでもないと思
った。よいものは積極的に取り入れようと思っているが、た
とえ仲間であれ自分が納得しないことに同調するつもりはな
かった。自分の意見を持たないで、流されるのは嫌だった。
自分の行動や考えをいちいちアピールしない斎藤は、外から
みれば飄々として、そっけなく見えていたところもあった。
心の中にある真を、人に見せることはなかった。だから誤解
されることもあっただろう。良くも悪くも、それが斎藤という
男だった。 

 4年生となり、チームの目標はやはり1部昇格だった。
斎藤は、ケガで試合に出られずにいた一時期の辞めたいとい
う想いを振り切って、やるしかないと決めていた。
「アメフトを楽しむ」

斎藤は自分の役目も含めて、それに徹しようとした。
 2012年秋季リーグ戦、チームは勝ち続けて、6戦目で
2部優勝を決めた。1部昇格への夢は目前だった。
「次が最後なんだなって思ってる。勝てば終えれると思う
んです。いま言えることはないです。自分がどう感じるの
かは、その時になってみないと分からないから。」
斎藤自身、これまでを想いながら、自分がどう変化するの
か期待しているようにも見えた。

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 上智大学との入れ替え戦に敗退してから数日がたった。
斎藤はアメフトを終えていた。彼は振り返ってこう言った。

「強かった。負けるのは分かっていても、精一杯闘った。
最後は勝つことが出来ずに悔しいけれど、本当にやって
てよかったと思う。辞めてたら何もなかった。なんとな
く生きて、なんとなく終わってたかもしれない。最後ま
で続けてきたからこそ、新しいものに会えたと思う。」

新しいもの。それは斎藤が人前で「泣いた」ことだった。

「試合が終わって観客に挨拶をした後、後輩に声を掛け
たんです。勝てなくてごめんなって。何故かその瞬間に
崩れちゃった。自分が人前でこんなに泣くとは思わなか
った。止められない。堪えられない。なんでか分からな
い。やりきったからか。悔しかったのか。人生最後のア
メフトだったからなのか。いま思い出すだけでも恥ずか
しいけど。」

そう言って笑った。
 斎藤は努力している姿を人に見せることはなく、どん
な状況でも俯瞰から冷静に物事を観ようと努めてきた。
自分を理解してもらうことよりも、チームが勝つために
どうすればよいか、彼なりに考え行動することを選んで
いた。誰にどう思われようとも、一人で苦しむことにな
っても、考えを曲げることはなかった。すべてはチーム
で勝つこと。そして、それを皆で分かち合い、楽しむた
めだった。

 かつて同期の千尋海渡が、何度も辞めたいと斎藤に漏
らしていたことがあった。彼はその度に励まし続けた。

「一緒に頑張ろう。続ければ必ず楽しいことがあるから。」

それは、普段隠していた斎藤の本質だった。
 優しさを持った、この意地っ張りな青年は、あえて孤高を
貫き通した。最初で最後に見せたあの涙は、突っ張り通した
自分を、ようやく解放させたという証だった。
孤高の裏側で、斎藤大樹は必死で生きていた。
彼はこれからも、自分を信じて生きていくのだろう。
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by officemigi | 2013-04-14 02:13 | アメフト | Comments(0)
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