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【オフィスミギ】晴れ男なものですから

「ルディ」のように

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千尋海渡には夢があった。念願だった学生生活を手に入れた彼は、
4年間しっかりと部活に取り組んでみたかった。今までの自分に出
来なかったことをやってみたい。正直なところ、喜びよりも不安の
方が大きかった。2009年、千尋は大きな一歩を踏み出す。春の風
は、永い冬を過ごしてきた千尋の背中を優しく押してくれているよ
うだった。


 中学から千尋は青森で育った。野球部として3年間在籍。しかし、
ついに試合に出ることはなかった。もともと控えめな性格であった
が、もっとしっかりやっておけばよかったという悔いだけが残る。
卒業後、工業専門学校へ。人見知りだった彼は、なかなか友達も
出来ず、ひとりポツンとしていた。さらに勉強が思った以上に難
しく感じていた。学校へ行くことが出来ずに、何故か行ったことも
ない道をひとり歩いてしまうこともあった。そして、授業について
いくことが全く出来なくなってしまい、1年生の秋に学校を中退し
てしまう。
「いま思えば追いつめられていました。情けなかった。高校辞めるっ
ていうのは、人生終わりみたいな感覚だった。」
 千尋は、青森から逃げるように、生まれ育った宮城へ戻り、祖母の
もとから大検の資格を得るために学校へ通う。そこでは年齢も様々で、
いろいろな道を模索してる人たちがいた。もしかしたらドロップアウト
した自分でも、やり直せるかもしれない。
「大学へ行ってみたい。」
 ぼんやりとそんな夢を描いた千尋は、予備校に通う。しかし18歳、
19歳と二度受験するも、受かることはなかった。大検とは違い、受験
はやはり全くレベルが違っていた。以後、千尋はバイトもしながら、
受験生という肩書きに乗って安易な日々を過ごしていた。そして、
気がつけば21歳になっていた。マンネリとした毎日と、実はたいして
勉強もしていない自分に気づいていた。このままでいいはずがない。
本気で取り組もうと決めて、バイトを辞めた。予備校では誰とも話す
こともなく孤独だったが、なんとかスタートラインにつきたい一心で、
必死に勉強に取り組んだ。
もう後がない状況の中、ついに駒澤大学に合格する。

 千尋は晴れて、駒澤大学へ入学した。22歳だった。もちろん嬉しさ
はあったが、自分が年齢的にも遅れをとっていることは十分理解して
いた。勉強や人間関係も含めて、本当にここでやっていけるのか、卒
業さえ出来るのか不安になった。だが、ようやく辿り着いたスタート
ラインで、これまでの自分を変えてみたいと願う。この4年間に賭け
る決意は大きかった。昔、千尋はアメリカン・フットボールの映画
『ルディ』を観たことがあった。アメフトを愛する主人公のルディは、
高校卒業後、鉄工所で働きながら勉強し、様々な障害を乗り越えて、
憧れだったアメフトの名門ノートルダム大学へ行く。そして、エリート
ばかりのアメリカン・フットボールチームのテストにも合格する。
小柄で身体的に恵まれていないルディ。名門校ゆえに、彼はどんなに
頑張ってもベンチにすら入れなかった。ルディはそんな状況でも腐ら
ずに、誰にも負けないハードな練習とチームへの献身的な姿勢を貫いた。
その情熱は切ないほどに誰もが認めるものだった。だからこそ、憧れの
フィールドに立ちたいというルディの夢を、チームメイトたちは叶えさ
せたいと監督に直訴する。
「自分の代わりにルディを試合に出してください。」
 大学最後の試合。ゲーム終了のホイッスルまで僅か27秒。
ついにルディは、求め続けた夢のフィールドに立った。与えられた27
秒を、これまでの想いを乗せて全力で走り、そして最後に渾身のタック
ルを決めた。チームメイトやスタジアムの観衆は、ルディの真摯な姿に
喝采を送り続ける。この真っ直ぐな主人公を描いた映画は、実話だった。
千尋は、困難にも諦めずに夢を叶えたルディと、この場所までようやく
辿り着いた自分の未来を重ねた。
「学生スポーツで活躍してみたい。」
 熱心な勧誘もあって、千尋は駒澤大学アメリカン・フットボール部へ
入部する。想像していた以上に、毎日がハードな練習だった。中学時代
に野球を経験しただけで、165センチ50キロという身体の千尋には、つ
いていくのさえ困難だった。体力的にも、運動神経という意味でも劣っ
ていると感じた。同級生に出来ることが、自分には出来ない。やはり自
分には無理なんだと何度も思った。実際に帰りの電車で、いつも一緒だっ
た同期の斉藤大樹に、もう辞めたいと漏らしていた。その度に「一緒に
頑張ろう」と励ます斉藤の言葉を聞いていた。ここで辞めたらいつもの
自分に戻ってしまう。揺れ動く千尋は、斉藤の優しさでなんとか踏みと
どまった。
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 駒澤大学はこの年、2部リーグで優勝。そして入れ替え戦にも勝利し
て、1部昇格という最高の結果を残した。千尋はレギュラーはおろか、
試合にすら出ることはなかったが、こんなにも素晴らしいことがあるの
かと胸を震わせていた。尊敬する先輩たちの努力の姿勢、勝利を勝ち取っ
てゆく姿はチームの一員として何よりの誇りだった。2部リーグから
1部リーグへ。千尋はチームが這い上がる姿を、これまでの自分に重ね
ていた。自分が一番望んでいた体験が、1年目で叶えられたのだ。振り
返ってみれば、千尋にとって人生で一番がむしゃらに過ごした1年だっ
た。ひ弱だった身体はハードな練習の積み重ねで、10キロも増えていた。
2部優勝を決めた後の消化試合だったが、試合にも出してもらえた。
まさか自分が出れるなんて考えもしなかった。緊張と喜びで、頭の中
は真っ白になった。初めて公式戦のフィールドに立った自分に、チーム
メイトは声援を送ってくれた。忘れられない時を過ごした。本当はあま
りの辛さに、今シーズン終わったら辞めようと考えていたが、もう一回
頑張ってやると強く思った。再び最高の感動をチームで共有したい。
そして、千尋は自分がルディのようにフィールドで活躍する姿を夢見た。
次は自分の番だと、素直に思えた。こうして1年目は瞬く間に過ぎてい
った。
 

 それは2年生になる頃のタックル練習中の出来事だった。
 千尋はまったく意識していないところから強い衝撃を感じた。いつも
のとは違う痛みが一瞬、頭に走った。倒れ込むことはなかったが、脳震
盪のようでふらついた。もっと注意深くしていれば貰わずにすんだと思
い、そのまま練習をしたが、どうも頭の違和感が消えない。家に帰って
から頭が痛み出し、氷枕をしてみたが、よくなることはなかった。さら
に深夜になって嘔吐する。翌日、痛みを抱えたまま病院に行った。レン
トゲンを撮ると脳に出血が見られ、かなり危険な状態であることが分か
り即入院となる。病院に来てからは頭の痛みはさらに激しさを増して、
もうベッドの上では身動きがとれなくなっていた。こんな激しい痛みは
経験したことはなく、寝ることすら出来なかった。両親が来て、周りは
とにかく慌ただしかったようだが、千尋はひたすらに痛みに耐えるのみ
だった。
「もう「フットボール」は出来なくなるかもしれない。」
 ベッドの上でぼんやりそんなことを思った。結果は大事にはいたらず、
安静を保ったまま回復し、10日で退院出来た。ただ今後については、一
度でも脳に障害を持ってしまうと、チームとしても続けさせるわけにはい
かなかった。脳は一度ケガをしてしまうとクセになってしまい、激しいコ
ンタクトをするアメリカン・フットボールにおいては、そのリスクが高す
ぎるということだった。病院や新倉監督も含めて話し合いをしたが、最終
的に選手として終わりにするという結論に達した。
「正直、もうあんなに激しくて辛いことは、もうしなくていいんだと思い
ました。入院した時にも、あんなに痛い思いしなくてもいいんだって、
ホッとしたんです。だけど、やっぱり寂しい気持ちがありました。スポー
ツで活躍する最後のチャンスがなくなってしまったって。ただ自分は今年
からこのチームが1部リーグでどんな戦いをするのか、それを間近で感じ
てみたかったんです。選手としてはもう無理だけど、スタッフとしてサ
ポートしながら応援するっていうスタンスなら続けられるかなって。」
 選手としての未練は当然あったが、学生スタッフとしてチームに残る
ことになった。それは千尋にとって賢明な選択だった。2年生の時はス
タッフとしての勉強の年でもあり、様々な経験をしながらチームの戦い
を見守ってきた。1部リーグでのチームの戦いは全敗というもので、
トップリーグでのレベルの違いを痛感した。ただ勝てる試合もあったと
感じていた。3年生になった時は、もう先輩の学生スタッフが卒業して
しまったので、千尋ひとりがその責任を持つことになった。自分なりに
考えてチームのために行動する。千尋のサポートは、チームにとってな
くてはならない大きな存在へと変化していった。
「3年生の時の目標は、2部に落ちたチームを再び1部リーグに上げて、
僕は新倉監督を1部で初勝利をさせることでした。けれど、入れ替え戦
にも出れなかった。僕は本当に監督によくしてもらったからこそ、今の
自分があるんだと思うんです。なんとかして恩返しがしたかった。」
 2012年、千尋にとって最後となるリーグ戦。千尋はチームをサポート
し、駒澤大学は見事に2部リーグを制した。そして、入れ替え戦に挑むが
上智大学に完敗する。
「悔しかった。上智に勝って、もう一度あの感動を味わいたかった。
1部リーグに上げて、後は後輩たちに託す。それが自分たちに出来る全て
でしたから。後輩たちに申し訳ない気持ちで一杯でした。」
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 最後の最後で、求めていた結果を手にすることは出来なかった。
しかし、千尋は結果には表れない、思いがけないものを手にした。
 12月8日のアミノバイタル・フィールド。入れ替え戦の試合前の控え室。
いつものように、選手たちがユニフォームに着替えていた。千尋も慌しく
試合の準備に追われていたが、ふと選手が持つヘルメットに目が止まった。
そこには「16」という数字が小さく、しかしはっきりと刻まれている。
見渡すとそれは全ての選手のヘルメットに刻まれていた。皆、なにも言わず
黙々と準備している。千尋は胸が熱くなって、震えた。「16」というのは、
千尋が1年生の時に背負っていた背番号だった。献身的にチームを支えてき
た千尋への、仲間からの感謝のメッセージだった。
「千尋と共に闘う。」
 映画『ルディ』のように、皆が彼を認めていたとうことに他ならない。
 それは、千尋海渡がアメリカン・フットボールに情熱を捧げた4年間の
勲章だと言っていいかもしれない。
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by officemigi | 2013-04-03 00:00 | アメフト | Comments(0)
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