【オフィスミギ】晴れ男なものですから | |||||
昨日、祖母が亡くなった。自分はどうしても葬儀に行くことが出来ず、ただただ、手を合わせるのみだった。 祖母は激動の時代を生き抜いた。広島の原爆の残留放射能で、軍人だった夫を亡くし、様々な理由から、夫の恩給すら受け取ることが出来ずに、必死で働きながら、5人の子供たちを育てた。昨年亡くなった父は長男で、幼い頃から新聞配達をしながら、家計を支えていた。父は6畳一間で家族6人が丸まって寝ている中、みかんの段ボールを机がわりにして、勉強していたらしい。成績も優秀で、銀行員になった父は、祖母にとって自慢の息子だった。 祖母と父はこの数年、小倉で寄り添うように二人で暮らしていた。何十年と独りでいきてきた祖母にとって、苦労をかけた息子と暮らしたこの数年の日々は、それまでの孤独を取り返すような大切な時間だったように思う。普段言えないわがままや、甘えることも出来たと思う。それを受け止めていた父も、今にして思えば、素敵だと思った。晩年の父も、苦しい身体でありながら、愛情を込めて、祖母を介護していたのは間違いない。祖母は我が息子が亡くなったことを知らされてなかったけど、おそらく分かっていたのではないかと思う。 私は今年の始め、祖母に会いに行った。ベッドに横たわっていて、少し苦しそうだった。手を握って、ゆっくりと話しかけた。私は感謝と愛情を明確に、伝えたかった。抱きしめて耳もとで言った。 「おばあちゃん、ありがとう。あなたのおかげで自分がここにいる。愛してるよ。」 普段、自分がこんなことを思っていたとしても、出来ることはないと思っていた。素直に自分を表現することを、私は大嶋記胤に教えてもらった。プロボクサーでもあった彼の仕事は介護士で、晩年を迎えたすべての老人に対して、愛情たっぷりに接していた。昨年その現場をみせてもらったことがあったが、彼のやることは、仕事の域を越えていた。 「自分がそうしてもらったら、やっぱり嬉しいじゃない。みんな順番なんだよ。 亡くなっていく中で、それぞれの人生がある。おじいちゃん、おばあちゃん、こんな自分と接してくれてありがとう。純粋に。そんな気持ちだよ。」 散々孤独と闘ってきて辿り着いた記胤の答えは、私を素直に行動させてくれた。私は記胤がそうしていたように抱きしめて、「奇麗だよ、おばあちゃん。愛してるよ。」と何度も言った。苦しそうだった祖母は、細胞が蘇るかのように、奇麗な目で私を見てくれた。素敵な笑顔だったったので、写真を撮った。祖母の最期の写真になった。 外は雨が降っていた。 父が喜んでくれていると思った。
by officemigi
| 2013-02-09 01:11
| 林建次の日々
|
Comments(2)
Commented
by
enzo_morinari at 2013-02-09 04:54
おばあさまの御逝去を心よりお悔やみ申し上げます。
何度も繰り返し拝読させていただきました。 そのたびに胸の奥深くまで強く強く迫り、心打たれました。 しばらくはつらい日々がつづくかと思いますが、どうぞ 健やかにおすごしくださいませ。
0
Commented
by
officemigi at 2013-02-10 08:52
enzo morinariさん
お心使いに感謝です。ボクサーだった彼から学ぶことは大きかったです。ありがとうございました。
| |||||
ファン申請 |
||