【オフィスミギ】晴れ男なものですから

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祈り  1


ょいといろいろ振り返って書いてみるか、と思う。自分自身がどう感じてたのかっていうことを、今の自分で、だ。

言葉で言えば「祈り」になるんだけど、そういうものを撮ろうってことはなんでかって。
「祈り」ってもう、太古の昔からあるでしょ。「祈り」の形態は違えど、国籍問わずね。人間どんなに進化してもそこだけはっていうもののひとつだと思う。

 一番最初にそれを感じたのは、23歳の時に事故った瞬間だったんだ。夕暮れ時の環八を横浜からの帰りに、のんびり走ってたんだけどね。考え事してたのかな、はっとした一瞬で目の前に車のテールランプが迫ってきてて、つまり前の車が急ブレーキ踏んで、俺、追突するんだけどさ。まぁ、よく聞くスローモーションっていうのか、そんな状態になってね。
「あっこのままいったら死ぬな。絶対に死ぬわ」
てんで、ほぼ絶望的な状況を察知したんだ。今までに感じたこともないような悪寒っていうかね、冷たい感じ。ゾッとしたんだ。で、これまでの生きてきた映像が断片的に頭の中に浮かんできてね。同時に車のテールランプがゆっくり迫ってくるのも見えるんだ。
「え、俺、死ぬの?いやいや、俺、まだ何にもできていないし、やりたいことも、やりきれていないんだ。ちょっと待ってくれ、俺、まだ死にたくない、神さま、助けてく」
あたりで、異次元の異様な金属音だけがして意識がすっ飛んだ。ブレーキもかける間も無かったらしい。後で警察の方から事故の状況を聞かされるんだけど、ぶつかる瞬間に俺バイクを倒したらしい。普通そのままぶつかって、前方に放り出されて首の骨折って死ぬパターンが多いらしいが、そこは見事な反射神経でということで、ね。ギリギリで倒したバイクはそのまま車の下に滑り込んでクラッシュするんだけど、俺は追突した衝撃でそのまま吹っ飛ばされて、となりの車線に叩きつけられた。夕方5時の交通量が多い時間帯だけど、運良く引かれずに済んだのも大きい。あんた、運いいねって言われたっけ。
 ぼんやり意識が戻ったら、アスファルトからの目線で、どうやら生きているらしい、と。が、呼吸が殆ど出来ないのと、右腕が完全に麻痺しているのが分かった。で、電流を流されっぱなしのような異常な痛みに耐えられなくて、意味不明なうめき声上げているのを、俯瞰から見ている冷静な自分がいた。呼吸は苦しいが、肋骨は折れて肺に突き刺さっている程度で命は大丈夫だろうな、と。けど、右腕は骨折レベルじゃないなって、使い物にならなくなるような気がした。本能的になんだけど。で、そん時に思ったのが、これは神様に叱られたって思った。不思議とね。っていうのは、当時も今もだけど、日本を代表する写真家の助手の話が向こうからやってきたんだ。なんでかっていうと、当時スタジオマンやっていて、俺ものすごい汚いカッコしてたの。ホリゾント塗るのに白ペンキだらけで、おしゃれじゃなくってボッロボロのジーンズでさ。バリバリやりまっせって感じ見えたらしい。今時こんな汚いスタジオマンは珍しいってんで、セカンドの助手さんが、うちの事務所でやってみないかって。普通、行きたくても、行けない。募集とかしないから。で、何度かお手伝いしたんだけど、やるか、やらないか、みたいなことになって、俺、ビビって断っちゃった。こんなチャンスそうあるもんじゃないのにお前、アホかってんで、右腕ぐらい使えなくしないとコイツ分からんよねって。そう感じてた。
 ままぁ、そんなんで、そういえば俺、あの瞬間、助けてくださいって祈ってたなって。そんな習慣ないのにね。で、これって人間の本能だんだって、ぼんやり思ったものです。痛い痛いとうめき声をあげながら、ね。

で、何度か手術して3年後ぐらいに社会復帰して、その1年後にボクサー撮り初めて、その時、極限の状態で彼らの「祈り」を感じることになるんだよな。
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by officemigi | 2016-09-27 02:04 | Comments(0)

武士道

武士道×岩手日報

7月に発行された岩手日報140周年記念で
岩手出身の世界チャンピオン八重樫東さんの世界タイトルに挑む姿を
ドキュメントして新渡戸稲造の武士道の言葉を掛け合わせて、
全16ページの迫力ある紙面になりました。
やっぱり新聞だから大きい。
何ができるか分からないっていう緊張感は仕事として凄く楽しめました。
いろんなご縁を頂いて出来たことに感謝です。
岩手日報の柏山さん  アートディレクターの横尾さん
他、関係者の皆様、本当にありがとうございました。
そして何より八重樫さん、素晴らしいファイトです。
まさに武士道そのものでした。

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by officemigi | 2016-09-24 00:32 | 林建次の日々 | Comments(0)

雨とかで、ね

とにかく身体痛てぇ。
誰かなんとかしてくれや、と思う時もある。
でも、まぁ、おかげさまでうまく気晴らし出来てます。
あれこれ、写真のことや、ドキュメンタリーの話しているだけでも楽になるもんです。
感謝しかないね。

でね、思うのだが、痛い、痛いという、そんなポンコツ加減も自分です。
認めるしかないよね。もうさ、我慢することねぇんじゃんか。
だって、23年間もやってるんだぜ。かなり、凄いんじゃないか、俺。

ポンコツだからダメなことばかりではなく、
ポンコツだからこそ感じられる世界もある、と思う。

なんだね、今までそうは思えなかったが、
ポンコツな自分がいるから、執着してやれてるんかもしれないねぇ。
写真とかさ。
ま、いいことなんじゃないかね。
開き直れるのも、強さかもしれんね。
と、思うことにする。

さて、明日は撮影。
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by officemigi | 2016-09-20 01:24 | 林建次の日々 | Comments(0)

 ずいぶんと

昔の話である。
2001年だから15年前か。大阪は中津、カンテグランテというインドチャイのカフェに併設されているギャラリーがあり、そこで写真展をすることになった。人生において初の写真展である。
 きかっけは当時一緒に仕事していた伊藤さんが大阪に立ち寄った際に、みつけたんだったけかね。カンテってウルフルズのトータスさんたちがバイトしていたっていうんで有名なんだよね。
ピンクに塗られたブロック塀が壁になっていて、天井は相当高い。とにかく独特の雰囲気があって、そこではお芝居もできたりするっていう。そこに大四つ切りに焼いたプリントをおよそ300カットほど、壁一面に張り巡らした。ボクサー1人あたり15~7カットを、17人分だったけ。まぁ、ピンクの壁とあいまって、それはとてもカラフルで素晴らしいと個人的には言いたいが、見方を変えれば、暑さ凌ぎに涼みに来たのにカフェに入ってみれば外よりも暑苦しく、この異様な温度感は一体、という危惧は間違いなくあっただろう。ちょっとおしゃれな、デートで使うようなカフェで、だ。ギャラリー担当の方は、顔が引きつっていたような気がしたが、カンテのオーナーの井上温さんは意に介さず、むしろ、普通じゃない展示を面白がってくれた。
 写真は、リングで闘っている写真は1~2枚程度。あとは家族写真だったり、仕事仲間の写真、恋人、子供、それで、リングへ上がる前の静かな写真がメインだった。その写真だけはそれぞれ半切で焼いていた。そのボクサーの背景が浮かんでくる感じね。この当時、右腕のことは、あまり大きく言っていなかった。それをアピールする発想もなかったのか、余裕もなかったみたいで、とにかく必死で写真をセレクトして焼いていた。当時の自分はまだ、壊れた身体か出来ていなくて、53キロぐらいしかなく、それこそ骸骨のようだったな。そんな自分にアドバイスとして、いろんなこと言われたっけ。
「大阪って、見る目が厳しいよ。はっきりものいうからね、ボコボコにやられるよ。もし、受け入れられたら本物だね」
 知人もろくにいないし、どうなるんだかまったく分からなくて不安だったが、これが日を追うごとに人が増えて大盛況だった。40代の女性が、次の日には二十歳の娘を連れて、またその次は彼を連れて来てくれて、観ろって具合でね。写真観て泣いている人も何人かいて、びっくりしたな。
 写真観てる人は「ボクシング」を観ているんじゃないんだよね。俺、「ボクシング」の本質を伝えたいわけじゃないしね。これは「ボクシング」を選んで生きている若者の青春群像なわけで、「ボクシング」は観る人にとっての「何か」に置き変えてもいいわけで、というよりむしろ置き換えて貰えたらと。一人のボクサーの背景からいろんなものを読み取ってるんだ。家族とか仲間とか。生きるためにしている仕事だったりとか。妻の目線だったり、応援する側の目線だったり。
 「自分の息子が生きていたなら、きっとこんな青春を送っていたかもしれませんねぇ」
 目を細めてそう言って下さる方もいらした。そう、年齢層はかなり幅広かったな。
 そんなんで、展示は10日ぐらいだったとけど、その後の作家さんの展示までに数日あったので、ギリギリまで延長して下さいました。まぁ、最高に楽しかったな。カンテでの経験は自分の表現したいことは受け入れたれるっていう自信にもなった。その後、本を作るために出版社へ持ち込んで、話が決まるんだけど、そこからできるまでに8年かかったのかな。その間に、彼らの物語が進行していくことになるから結果よかったんだけどさ。それにしても、なんかもう、あの年月は死ぬほどキツかったな。今だったら、うまくまとめられたんだろうけど、あの頃は本当に写真だけで突っ走ってたっけね。

 で、まぁ話は戻るけど、写真展を終えて東京に戻ってその成果を報告したんだ。厳しいよって言ってた人とかに、感想とか書いてもらったブックとか見せてね。これは今でも宝物だよな。
「大阪の人は、いまいちアートというものが分からない人たちが多いんだよ。東京で結果を出さなきゃ意味がないよ」 
 だって。腹抱えて笑っちゃたなぁ。いやいや、すいません。楽しい思い出ということで。

どっちでもいいことなんだけどね。アートっていっていいのかな、そういうのってこう感じなきゃいけないっていうものじゃない、と思う。もちろん、その作家を好きで深く理解してその価値を見出すのも素晴らしいことだし、それは作家冥利に尽きるよね。その一方で、その人の価値観で自由に感じることって、それも素直で素敵だと思う。いいとか、悪いとか、つまらない、とか、わからない、でもね。
自分の心の師である工藤村正先生はこう言っている。
「Life is Art 」
 ん、確かに。
 そうだと思う。
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by officemigi | 2016-09-18 22:45 | 林建次の日々 | Comments(0)

今年に入ってからなんだけれども

こんなことがあった。
後楽園ホールでボクシングの試合。縁で撮らせていただいているノーランカーのA選手の試合で、対戦相手はランキングボクサー。図式としてはランキングボクサーの調整試合的なイメージもあるだろう。勝って当たり前というね。けど、蓋を開ければ、A選手が奮闘。判定までいったが、正直、間違いなく勝った、と思った。どんなに悪くても2−1で勝ちは揺るぎない、と。A選手のジムの会長であるK会長も確信があったらしくワタクシと目が会い笑顔で頷いた。が、しかし、判定はランキングボクサーの勝ちに。判定は主観だからある程度仕方ないことはあるが、これはあまりに酷すぎる。だが、そういう不条理があるのも、ボクシング。目に見えない力、的なね。小さなジムにはやっぱりそいういう力はない。だから、それを含めて勝たなきゃならないのが、ボクシング。要は倒して勝て、ということ。
 ですが、この不条理な判定に怒りを露わにした会長はリングへ上がり、レフリーに詰め寄る。ふざけるなと抗議したんだ。こういうのって覆ることはないけれど、精一杯闘った選手は嬉しいんだよな。
  ただ、その時、勝った選手側の若い応援団たちが、会長や、A選手の身体的な特徴を侮辱することをリングサイドから野次っていた。要するにからかっていた。
これに会長がさらにブチ切れた。収集がつかなくなって、会長や選手はとりあえず控室へ向かったが、会長はあの生意気な連中を全員連れてこいということになった。イカつい連中は多勢というアドバンテージがある安堵感なのか、当初は意気がっていたが、会長の凄まじい怒りは、ボクシングコミッションの方々でさえ手につけられないほど恐ろしい状況だった。会長をなんとかなだめようと、闘った選手が、
「会長、もう大丈夫です、倒せなかった自分が悪いんです」
と間に入ったが、
「うるせぇ、てめぇはすっこんでろぉぉ」
と会長はその選手に見事な右ストレートをぶちかましてほぼOK。のちにその選手は、試合の時よりも、会長の右が一番効いたと言っていましたが。
「俺をなめるんじゃねっっぇぇえ、ボクシングを侮辱するやつは⚪︎⚪︎だ、てめえら全員、⚪︎⚪︎だ、⚪︎⚪︎⚪︎すぞぉぉ」
 凄まじい罵声が廊下に響き渡る。もやは、神様でさえ止められません。意気がっていた若い方々は、自動的に正座して、土下座して謝ることになるのである。彼らは、本当に身の危険を感じたんだろうなぁ。ワタクシは本能でシャッター切ってましたが、公表できません。
 会長、理不尽だと芯から思ったら、全力で怒るっていうのが素晴らしいなと思った。若い方々対しても、なめんじゃなえと命がけで怒るっていうのが、またいいじゃないすか。
「こんなことやっていたら、ボクシングがだめになる」
連呼していた。ボクシングに対して本当に純粋なんだって。
本当に無茶苦茶なんだけど、愛のある、とってもいい時間だったな。
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by officemigi | 2016-09-17 10:34 | Comments(0)

 小さい頃は

とりわけ絵を描くことが好きだった。楽しいというより、緊張感というか、無心で集中するのがよかったのかもしれない。自慢だが、その方面での成績は最高だったっけね。あれこれ理屈を考えることをしなくても済むからなのか。だから、暗室作業は嫌いじゃない。覚えてしまえば身体が勝手に動く。思えば、どうもキチンと考えることはロクに訓練してこなかったようだ。
 19歳の時にいすゞで期間工として働いていた頃、とにかく正社員の仕事っぷりはやたらにかっこよかった。人に対して、美しい、とか、素晴らしいな、と感じるのは、やはり自分にはないものを持っている人たちのことで、自分には、およそ殆どの人がそう映る。だから、年齢が上とか、下とかは、あまり意識になかったりする。翻って自分には、特別なものなどないな、と思うのが本音でもある。
 確かに、怪我をした当初は左腕一本でやってやるっていう気概が、あの頃を生きるモチベーションだったと恥ずかしながらに思う。若さというか、青いとういうかね。だが、曲がりなりにもカメラマンでいる現在は、正直、それがどうとも思わない。まぁ、自分が望んでやったことだから。もし、それが今でも心の拠りどころだとしたら、ちょっとまずいだろう。そいういものを解消するために、ボクサーたちと並走してきたんだと思う。
  思えば、十数年という歳月をかけた本を出すことが出来れば、わりとみじめな自分が変われるはずだと思っていたようだが、実際は周りが変わるだけで、自分自身は何も変わることがなかった。それだけのために、頑張ってきたはずなのに自分が変ったという実感がなかった。正直、それが相当辛かったように思う。周りが盛り上がっている中で、当の自分はひそかに冷めていたっていうかね。表にあるいものだけが、すべてじゃないというか。目にみえてこないものをどう感じうるかっていうのか。まぁ、うまく言えんけど。

 で、まぁ、そのことだけしかしてこなかったツケっていうのかな。社会性のない自分がいて、そういうものを払わなければならないんだなと、実感する。まぁいい年ぶっこいて、だ。
 写真ていう作品っていうか、そういうのは基本、自分の「欲」ためにやってきたことは事実なんだ。けど、幸いにしてそれだけではなかったと考えることができれば僅でも自分を救えることになる。自分にとって撮るという行為は、誰かのために全力で打ち込める行為でもあった、と思う。おそらく、今でも基本そうだ。それが、痛む身体を動かせる源だった。恥ずかしげもなく言わせてもらえれば、相手を愛するということ。自分にとって最大限の愛情表現なんだと思う。 
 そう考えられた時、まぁ褒められた人間ではないし、足りないことばかりだけど、まぁいいんじゃないか、人として欠落しているものを補える要素も多少あるんじゃないか、と強引にでも思うことにする。もちろん、進歩はしなければならないが。とにかく、振り返ってみても、これまでの多くの方々に感謝しかないのだ。本当に。
 さて、風呂にでもはいるか。
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by officemigi | 2016-09-14 23:27 | Comments(0)