【オフィスミギ】晴れ男なものですから

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前日は




あまりの身体の痛みに、20年前の恐怖と地獄を思い起こさせたが、事なきを得る。思うように動けるのに限りがあるのはみんなそうだが、気持ちばかり焦ってもしゃぁないので。身体と精神は繋がっていて、どの世界においてもそのバランスは重要でとても大切。それらが最高の状態であるならば最上級のパフォーマンスを得られるのだろう。当たり前のことだ。けれど、身体が最悪の状態であっても、なんらかのきっかけで精神というか魂が、オンボロの身体を見事に突き動かすことがある。というか、それを知っている。そんな時なんだよな。考えられないようなものが撮れるときっつーのはさぁ。
「東京中の電気を消して、夜空を見上げてぇ。。。。」いいねぇ、これ。
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by officemigi | 2013-06-27 01:05 | 林建次の日々 | Comments(0)

マイク投げ

こういうまとめ方は、悪くないねぇ。

さて、あちこち行ってきますかね。

最悪は宇佐美さん、よろしくお願いします。


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by officemigi | 2013-06-23 10:07 | 林建次の日々 | Comments(0)

BAD LOSER 崖っぷちのギャンブラー

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 男は言った。

「俺、違法カジノでファイトマネーの200万全部擦って、地方に逃げたんです。その前にも友人とか欺いて全部で1000万の借金してて。全部ギャンブルでした。19の時、ばあちゃんが教えてくれたんです」

 小学生の極真空手の王者で、プロデビューは1998年、ヨネクラジムから。殺るか殺られるかのファイトでB級、A級トーナメントを制した元日本Sフェザー級のランキングボクサー。男は小澤大将という。彼は瞬きせずに真っ直ぐこちらを見据えながら続けた。

「4回戦の頃は喧嘩の延長でした。俺の力を示してやるっていう。ボクシング、なめてた。不良ボクサーとかいわれてたけど、坊ちゃんボクサーでしたね。後援会もあって喰うための仕事をしなくてもよくって、練習はしてたけど、あとは遊び惚けた。ギャンブルにハマって1日で400万儲けて、狂ったように豪遊して1週間で使い切ったり。儲けた金は全部使切りゃなきゃ気が済まなかったんです。試合2日前にも行ったこともありました。賭け事って、緊張して集中するから減量の空腹感がごまかせるんです。計量前日までタバコも吸ってましたね。俺、才能あるって言われ続けたけど、こんなんじゃチャンピオンなれるはずがないですよね。」

 小澤は真剣にボクシングに取り組んだことがなかった。ある意味、才能だけで勝ってきた。様々なことがあり小澤は2階級制覇の戸高会長と巡り会う。

「初めて戸高会長と会った時、あの瞬きしない目で見るんです。正直えぐられてるって、怖くて会長の目見れなかったです。世界チャンピオンとしてはもちろんですけど、人間として尊敬してます。会長に心を寄せてからやっと解ったんです。会長の凄とかかっこよさとか。人生で初めてこの人についていきたいと思いました。会長は言葉じゃなく、後ろ姿で示してくれるんです。俺もそういう男になりたいんです。俺、口ばっかりだったから。言葉じゃなくて行動で示したいです。もう調子いい言葉はいらないと思ってるんで」

 小澤は最近まで半年間ジムを離れた。
 しかし、それは今までの逃げとは違い、徹底して自分と向き合っていた。
 解体の仕事をしながらもロードワークは欠かさず、今までになかったぐらい身体を鍛え抜いた。ハードなトレーニングをしながら散々だった過去を振り返り、本当に求めているものを時間をかけて確認していった。精神的に苦しい日々だったが、導かれるようにひとつの答えに辿り着く。

「今回が最後だなって思うんですよ、運まかせの人生も。ボクシングが生きるパワーを与えてくれてるんです。ボクシングやってるっていうより、やらされてるって感じがするんです。なんていうか、見えない何かに動かされてるような。だからここで最後に真剣にボクシングやってチャンピオンにならなくちゃいけないなって思うんです。俺が裏切った仲間たちのためにも。連絡とれなくなってしまた母も、チャンピオンになったらきっとみつけてくれると思うんです。頂点に立つことで自分のやってきたことを清算したい。ボクシングが自分の人生を救ってくれるって解っるんで。もう気持ちは東南アジアのボクサーくらいにハングリーですよ。もうただ単にのうのうとボクシングだけやってるお坊ちゃんとは違うんで。」

 小澤の生い立ちは多くの悲しみに溢れていた。
 小さい頃、母親の記憶もほとんどなかった。
 仲間を家族のように思ってしまうのも、ギャンブルに身を投じてしまったのも、良くも悪くも枠にとらわれず本能のままに生きたのは、それを振り払うためだったのかもしれない。
 多くを失った小澤にはボクシングだけが残されていた。
 喜びも、悲しみも、失敗も、常にギリギリで走り続けた男は、本物の「賭け」に出る。

「俺、本質はギャンブラーなんですよ。絶対に辞められない。ただお金とか、そいういものにはもう賭けないですよ。崖っぷちにいる自分を徹底的に磨いて、ボクシンに、その先の人生にすべてを賭けたい。それが最高のギャンブルだとやっとわかったから。」
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by officemigi | 2013-06-18 10:03 | BAD LOSER | Comments(0)

Simply Red

先日、たまたま店で聞く。
ももいろクローバーも、なにやらパワルフで楽しくていいじゃないかと思いつつ、最終的にここに落ち着いてしまう次第。

シンプリーレッドは80年代後半だろうか。ほぼハックネルのワンマンバンド。
Holding Back The Yearsと If You Don't Know Me By Nowが がよく知られるところ。
グラミー賞はほぼ確実といわれていたのを、その後にデビューしたブルース・ホンスビーにさらわれてたっけね。
Holding Back The Yyearsはハックネルの生い立ちや、トラウマの発散とでもいおうか。暗い曲だがハックネルのボーカルは聞かせてくれる。全米NO1になるのだから、やはり多くの人たちの共感を得たのだろう。ハックネルはそうとうこの曲にこだわっていたようだ。
If You Don't Know Me By Nowはハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツのカバー。こちらも全米NO1になった名曲。よい。


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by officemigi | 2013-06-16 12:29 | 林建次の日々 | Comments(0)

BAD LOSER   時間(とき)が動き出すまで

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光矢について、思い出すことがある。
 まだ4回戦の頃だ。判定勝ちだったにもかかわらず、悔しさと情けなさ
のあまり、控え室で泣きじゃくっていたことがあった。そんな選手はあま
り見かけたことがなかった。普通ならば、反省することがあるにせよ、勝
って生き残ったことに安堵するものだが、光矢は違った。わんわん泣きな
がら、声にならない声で、自分に言い聞かせるようにこんなことを言って
いた。
「すいません。こんな試合では上にけないです。次は必ずいい試合をしま
す。」
 
 2006年、東日本新人王決勝。
 入場時にそれぞれの選手の決勝に対するコメントがアナウンスされた。
すべての選手が勝って「新人王になります」という月並みな言葉を口にし
たが、光矢だけが「世界チャンピオンになります」と堂々と言い切ってい
た。

大村光矢。日本スーパー・フェザー級9位。
23戦16勝(12KO)6敗1分。

 光矢のファイトはスリリングで勝つにしろ、負けるにしろ、ボクシングの
本質を伝えてくれる。リングで光矢は下がるということをしない。拳に狂
気を宿らせて、恐れることなく打ち込んでいく。決して器用なボクサーで
はない。勝負に賭ける気持ちが強すぎて空回りし、前のめりになりながら
も飽くなき前進を続け、死んでも構わないといういような闘いっぷりは、
観る者に彼の意気込みがずしりと伝わってくる。だが、その姿は、独り生
き急いでいるようで切なくなる時もある。
「愛媛でヤンチャばかりやっていて、中1の頃、日に1度は喧嘩しようと
決めてました。自分からつっかかったりして。高校も16で中退してしま
いました。悪事の限りを尽くしていたから、地元では嫌われていたと思う。
落ちぶれた自分が嫌だった。だから有名になって地元に発信したかったん
です。一番強い男になってみんなを認めさせたかった」

 19才でワル仲間とは縁を切り、地元の造船所で働きながら空手道場に
通った。最初は軽い気持ちで始めたが、徹底的に打ちのめされたことでな
にかが目覚める。あいつらを絶対に打ち負かしてやる。その闘争心は光矢
の突き動かす原動力となり、強さを求めて、徹底的に自分を磨いていった。

 そして23才で上京、三迫ボクシングジムへ入門する。
 8年の歳月で23試合を闘ってきた。幾多の激闘を繰り広げてきた中で、
2年前に念願の日本タイトルマッチがあった。チャンピオンに挑む前日に
光矢のブログには、その決意がこう書かれていた。

〈俺、リングの上で死んでもいい。それぐらいのものを背負って9月4日
を迎える。東京にきて5年、上京初日にプロの方とスパーリングして、血
まみれにされたところからスタートしました。ボクシングルールでのスパ
ーなのに、自分のパンチがあたらず、歯痒くて蹴りを出して、会長にこっ
ぴどく怒られました。そしてデビュー戦、KO負け。自分の弱さに嫌気がさ
し諦めかけた時期もありました。そんな時支えてくれたのは周りの人たち
のサポートでした。本当に感謝してます。僕がベルトを獲ることで、みな
さんに少しでも恩返しできればと思います〉

 決死の覚悟で挑んだが、頂点に立つことは出来なかった。光矢はたった
ひとつの願いを勝ち取るためにリングの上で、全力で叫んでいるようだっ
た。

「みんなそうだろうけど、すべてがボクシングのためだけの日々。無様に
負けてしまい、本当に終わりにしたいと思うことは何度もありました。で
も、ボクシングを辞めてしまったら、いままで必死で生きてきたことがな
にも証明されず無くなってしまう。それだけはどうしてもできないんです」

 往生際が悪いと言えなくもない。
しかし、次の言葉は心に深く突き刺さった。

「覚悟して上京した23才の時からずっと時間が止まっているような、
そんな感覚なんです。志したあの頃のままでずっと時計が止まっている
ような。」

 31才になる男はこの8年間、焼けつくような想いで頂点だけを見据
えていた。光矢はそこに立つことで、止まっていた時間を進めたいのだ。
求め続けた人生の辻褄を合わせたいのだ。彼はいつか頂点に立った時、
一番強い男になると誓って上京した23才の自分に、感謝を込めてこう
伝えてみたいのだという。

「なぁ、俺はチャンピオンになったよ」

時間(とき)が動き出すまで、光矢は闘うのだろう。

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by officemigi | 2013-06-14 10:06 | BAD LOSER | Comments(0)

BAD LOSER 神様のテスト

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諦めてしまえば、すべてが終る。

チャンピオンになるまでに、もし神様に試されることがあるとするなら、
あとどれほどの試練を乗り越えなければならないのだろう。
 エリートという肩書きには、まるで縁のない男がいる。プロテストに
2度も落ち、4回戦で6敗を喫する苦汁をなめ続けた。無様な自分を変
えるために、独り東京へ出て追い込み、デビューから6年後にようやく
日本ランカーになる。そして栗生隆寛、松田直樹、天笠尚という一流の
チャンプたちに挑むが、挑戦は実ることはなかった。しかし、彼の闘い
は、見る者たちを必ず魅了した。そこには勝敗を越えて剥き出しになっ
た魂が、眩いほどに輝く瞬間があった。その一瞬だけはチャンピオンさ
えも凌駕していた。
トランクスに「雑草心」と刻む男は、何度踏みつぶされても、地に根を
張り、真っ直ぐに突き進もうとする。

 上野則之。30戦14勝11敗5分。
彼も多くのことを試されている人間であるに違いない。

 上野は栃木の小さなジムでボクシングを始め、19歳でデビュー。デ
ビュー戦こそKOで飾ったが、その後は1勝6敗1分で最終的には4連敗
という無様なものだった。中途半端に取り組んだでいた結果だった。み
んなからの冷めた目線を感じていた。もう、辞めようと思った。だが、
惨めなままで終わりたくなかった。どん底に突き落とされて、彼の心に
狂気が宿る。
「くそったれ、全員ぶっ潰してやる。」
結果を出せなければ、地元に帰る。後には引けない覚悟を持って22歳で
上京し、ワタナベジムへ移籍。だれかれ構わず、スパーリングに挑んで、
最後は日本チャンピオンになる強打の福原力也に倒される。
「俺は何のために東京へきてるんだ。」
悔しい時こそ、常にそう言い聞かせて己を奮い立たせた。ジムの寮にいた
上野は、中途半端にやっている練習生と喧嘩もした。夜中まで騒いでいる
連中の部屋にいって一喝したのだ。
「うるせぇ、静かにしろ!本気でやっている俺の邪魔をするな!」
そして上野は宮田トレーナーと出会い、人としても、ボクサーとしても大
きく成長してゆく。
「自分だけのためだけじゃなく、宮田さんのためにも勝ちたい。誰かのた
めにと、始めて思えたんです。」
その想いはやがて、献身的に支えてくれる妻や愛しい娘へと広がってゆく。
上野はこの頃から激しく打ち合うようになった。彼の気持ちが伝わってく
るような、人の心に強く響くファイト。そんな闘いを繰り広げながら上野
はついにランキングを手にして、これまでに4度のタイトルに挑戦した。

 2007年には、世界チャンピオンになる栗生隆寛に挑戦。2009年
には松田直樹と闘い、2Rにダウンを奪う。その後松田に反撃され、おびた
だしい出血をしながらも闘い続けるが10回TKO負け。2011年には、
宮田トレーナーについていくかたちで、RK蒲田ボクシングファミリーの柳
光和博会長のもとへ行く。
 そして2012年4月、強打を誇る天笠尚に挑んだ。試合前には以前対戦
した栗生と松田が激励に来た。特に仲が良かったわけではない。彼らは闘っ
たものにしか分からない、上野の強さを知っていたからだろう。上野は天笠
との対戦にこれまでのボクサー人生を賭けていた。しかし、あの天笠から、
キャリア初のダウンを奪うもそれまでだった。その後、9月に再びチャンス
が訪れる。東洋太平洋タイトルマッチ。上野が勝っていたとい見方が多かっ
たのは事実だか、敵地大阪の試合でドローの判定。上野は負けら引退するつ
もりだった。

 12年間闘ってきて、上野はまだ何も手に出来ていない。

 諦めてしまえば、すべてが終る。

たとえば上野が神様に試されているのだとしたら、それは一体何故なのだろ
うと思う。ここまでの思いをして、いつか頂点に辿り着けることが出来たの
なら、それは多くの人たちに勇気や希望を与えることになるだろう。泥臭く
生きてきた「雑草心」を証明することが、上野自身に与えられたの役目のは
ずだ。もし次のチャンスが来た時は、上野は絶対にチャンピオンにならなけ
ればならない。肉を切られて骨を断つような、上野のファイトに魅せられた
人は多い。彼のファンだと言い切る柳光会長や、宮田トレーナー。そして、
ボクシングを始めた頃から見守り続け、ずっと側で支え続けてくれた妻のた
めにも。

 昨年の東洋タイトルマッチの翌日、憔悴しきっていた上野のもとに、妻か
らの電話があった。試合のことは一切ふれずに、上野の闘いを見た両親と大
阪観光をしたことを告げ、最後にこう言った。

「新しい練習着を買ったからね。じゃあね。」
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by officemigi | 2013-06-13 19:40 | BAD LOSER | Comments(0)

Don't dream It's over

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Crowded House

骨っぽいのもばかり聞いてると、
たまにはいいもんです。


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by officemigi | 2013-06-12 20:07 | 林建次の日々 | Comments(0)

ニッポンタカイネ

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大好きな写真集がある。

ニッポンタカイネ  吉永マサユキ

90年代の日本に出稼ぎで来ている外国人を撮った写真集。
廃刊になってプレミアつくほどの人気のある本だったが、2010年に復刊。

吉永さんと初めてお会いしたのはもう十数年前。写真展のレセプションだったり、出版社の編集部だったり、その都度ご挨拶させて頂いた。

ある時、後楽園ホールの通路で吉永さんに一喝されたことがあった。

「君はクスリでもやっているのか。」

当時の自分は、まだまだ身体の痛みも激しく、また体力もなく、目つきも悪かったかもしれない。カメラバッグを担いでホールに来るだけで、殆どの体力を消耗していた。そこまでの想いで撮っているという思い込みが、自分は他とは撮るものが違うのだという、他者と比較していて、慢心していたところがあった。ようするに生意気だった。ちょっとした行き違いはあったにせよ、当時の自分はしかられるに値すると思った。吉永さんのあまりの凄みに、これはたたじゃすまないなと思ったが、不思議なことにこの人にはもう、やられるだけやられてしまおうと思った。(実際は説教で終わる)

この件をきっかけに、吉永さんにはいろんなところで本当に良くして頂いた。ことあるごとに呼んで頂いては様々な方々を紹介して頂いた。それは自分ばかりではく、多くの人たちに対して吉永さんはいつも平等に接している。正すべきは、正し、褒めるべきは、褒める。

吉永さんは大阪の十三の出身で、自身も様々な生い立ちから、いろんな人間を見てきていた。そういった厳しい現実を知っていたからこそ、「ニッポンタカイネ」のような表現ができるのだと思う。

あれこれいうより、あとがきから少しだけ抜粋させていただきます。

「当時のアジアンパワーは凄まじく、政治的理由で日本に来ている人もおったやろうけど、殆どの人が経済的理由で日本へ出稼ぎに来ていて、見知らぬ土地で、聞き慣れない言葉で不安渦巻き、劣悪な労働条件のもとに働いていた人がほとんどやったろうに、それに伴う悲壮感は微塵もなく、却って、他国である日本で、自己のアイデンティティを守る為なのか、自己の存在証明を得る為なのか、ぶっちゃけ自分が自分らしくある為であろう、自国の祭りや風習を持ち込んで、それがやけに楽しそうで、溌刺としているのである。ひょとしたら、そうやって年に数度の不特定多数の集いに身を置いて、たくさんの同状況の人々を見て、知り合うことで安心し,自身を取り戻していたのかもしれない。10年前とは違い、現在の日本は不況のまっただ中で、自殺者は年々増加し、わけのわかんない犯罪が増えている。なんだか変な雰囲気になれば人々は落ち込み、暗~い悲壮感が滲み出て漂ってくる。そんな時こそ、拙著を見て、アジアンパワーのたくましさや、愚直なまでのわけのわかんない陽気さや、なんとかなるさという図太いまでのいい加減さを見て感じとって欲しい。実践できればなおよいと思います。なんてったって我々もここに写っている人々同様アジア人なんですから。(ニッポンタカイネあとがきより)」

 吉永さんは日本での評価はもちろんだが、海外での評価も高い。人間としての大きさ、愛情や正直さ、そういうものが常に根底にあって生き様そのものが写真になってるような。それゆえに己に厳しい。

ニッポンタカイネ

ページをめくる度に、楽しくなるのと、そして何故だか涙腺が緩くなるのである。
吉永さんの視線のやさしさがそうさせるのかもしれない。
以前、何気ない会話の中で、吉永さんのこんな一言が印象に残る。

「みんな同じ人間なんだから。」

写真作家を志す人には是非みて欲しい作品ですね。


2008年 吉永さんのNYでの写真展の様子


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by officemigi | 2013-06-12 18:49 | 林建次の日々 | Comments(0)

SONGS FOR DRELLA


掃除中、懐かしいCDがでてきたので。
ルーリードを知ったのは、高校を卒業した頃でNEW YORKというアルバムを見つけたのがきっかけけだった。
歌うとうより語るようなボーカルに何故かハマってしまった。
「ワイルドサイドを歩け」で分かる人は多いと思う。

SONGS FOR DRELLA

元ベルベットアンダーグランドのルーリードとジョンケールによるアンディ・ウォーホールの追悼アルバム。
アンディ・ウォーホールの生涯を架空のストーリーに仕立てたのもだが、 最後の曲Hello it's meだけはルーリードからアンディに対してのメッッセージになっている。

孤高のアーティストという印象のルーリードだが、人間的な部分を覘かせた唯一の曲。
もう、この世にいないにかつての友に対して「アンディ。俺だよ、しばらくだな」と歌い始る。

DRELLAとはドラキュラとシンデレラを掛け合わせた造語でアンディのニックネームだったそうだ。
それにしても懐かしい。


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by officemigi | 2013-06-09 08:03 | 林建次の日々 | Comments(0)