【オフィスミギ】晴れ男なものですから

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グレイス

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ジェフ・バックリーといえば「ハレルヤ」だろう。
レナード・コーエンがオリジナルでジェフによっての
カバーだが、別次元で圧倒的だった。
暗い曲といえばそれまでだが、
深みがあって聞かせてくれる。

ジェフはたった1枚のアルバム「グレイス」
を発表したのみで、この世を去ってしまうのだが、
後のアーティストに与えた影響は凄まじい。

ジェフを一躍メジャーへ導いたきっかけは、
彼の父、ティム・バックリーの追悼コンサート。
ティムは60年代に活躍したシンガーで、
20代後半でヘロインのオーバードーズにより死去。
父親には殆ど会ってなかったというジェフは、
葬儀にも立ち会うことがなかった。
NYの教会で、父に対する想いを歌に込め、
その美しい声で観客を圧倒したという。

昔、兄とその教会に行ったことがあったが、
なんともいえない空気が流れていて素敵だった。

短命なアーティストといえば、ジェフもティムもそうだが、
カートコバーン、ジムモリソン、ジャニスジョップリン、
ジミヘンドリックス、など皆、強烈な個性と才能を放って、
素晴らしい作品を残していった。

かと思えば、シクスト・ロドリゲスのような、
ありえないドラマで、晩年にブレイクする素晴らしい
アーティストもいるのだから人生は不思議だし、素敵だ。

原稿書きの予行なり。
来月は写真のみに集中したいな。
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by officemigi | 2013-05-26 14:19 | 林建次の日々 | Comments(0)

一ノ瀬泰三のドキュメント見る

戦場カメラマンとして、情熱の全てを賭けて生きた人。
若くして戦地で亡くなってしまうのだから、親不孝者ともいえるだろう。

この映画は彼が映った戦地での写真がたくさんでてくるのだが、
そのどれもが実にいい顔をしている。
鋭く、未知のものに対して迷いなく挑んでいくような孤高の眼。
そればかりでなく、彼の喜怒哀楽すべて。

戦場カメラマンは、あらゆる情報を得て、考えに考えて行動し、
最低限生き残るための条件などを考慮するものだと思う。
生きてこそ、意味や価値があるからだ。

この映画で彼と関わった方々のインタビューを聞く限り、
一ノ瀬泰三はあまりにも純粋で、自分の求めた感覚だけを
頼りに行動した。
勇気がありすぎた。

ベトナム戦争のまっただ中を、徘徊し、引きずり回り、
悲惨な現実を見せつけられながら、彼は無邪気な子供
たちを撮り続けた。

そんな彼は戦時下の中で決して入ることの許されない、
アンコールワットに恋い焦がれる。
確かに、アンコールワットに入って写真を撮れたなら、
カメラマンとしての勲章を手に出来たであろう。

だが想像するに、最初の動機はそうであてっても、
最後に目指した時点ではもはや名誉のためではないように思う。
彼は明らかに、一か八かの賭けに挑んだ。

「戦場カメラマンとして、決して褒められたものではない。」

誰かがそう言っていた。
その通りだと思う。
彼はアンコールワットには辿り着けなかった。

けれど、あの時代に「聖地」に最も近つくことの出来た人間の
一人だったのは間違いない。
あれだけ拒絶されながら、彼はアンコールワットに何を求めたのだろう。

無謀であれ、カメラだけを持って、一人の人間として純粋に求め続けた
行為に理屈抜きの美しさを感じる。
思うように生きたということのみにおいて、
彼は幸せだったと言わなければならない。
切なさは残る。

 一ノ瀬泰造の写真はこれから先も、
「生きる」ことの何か問い続けると思った。

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by officemigi | 2013-05-17 16:08 | 小話 | Comments(0)

終われない想い


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渋谷桃子 SHIBUYA momoko マネージャー 田園調布学園

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「これで最後なんだ。」

いつもの様に慌ただしく試合の準備
に追われながら、渋谷桃子は思った。
12月の夕暮れが迫ったアミノバイタ
ル・フィールドは、2試合目の入れ
替え戦が終わったばかりだった。
 敗退して1部昇格を逃した学芸大の
選手やマネージャーが、涙を流しなが
ら戻ってきた。
渋谷はそれを見て、思った。

「勝ちたい、勝たなければならない。
このチームはその可能性を持っている。」

 チームを1部に上げること、それを証
明して、渋谷はすべてを終わりにしたか
った。日は陰り、照明がフィールドを照
らし始めた頃、ついに試合は始まった。
渋谷は戦況を見守った。いや、正確には、
彼女も、チームと一緒に闘っていた。
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 渋谷は中学、高校と6年間バスケット
に打ち込んできた。選手として充実した
日々を送っていた渋谷は、大学ではもう
体育会系の部活をするつもりはなかった。
何かスポーツのサークルでも入ろうと、
いくつか廻ってみたが、どれにするか決
めかねていた。そのうち、以前から、ア
メフト部のマネージャーから熱心に勧誘
されていた渋谷は、勧誘した先輩が同じ
学科ということもあって、友達について
きてもらい練習を見学しに行った。マネ
ージャーの先輩が楽しそうにやっている
のを見て、渋谷は雰囲気がいいなと感じ
ていた。しかし、いままで選手としてや
ってきた渋谷は、逆の立場となるマネー
ジャーなど出来るのか不安な部分もあっ
た。彼女は、4月の終わりにアメフトの
早慶戦を観に連れて行ってもらった。そ
こで初めてアメフトの凄さと迫力を知っ
た。ルールなどを教えて貰いながら、マ
ネージャーの先輩と打ち解けた渋谷は、
迷いはあったが、アメフト部のマネー
ジャーになることを決めた。自分でも、
ここまで決断できた理由は分からなかった。
 
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 中学、高校と女子校だった渋谷は、
男ばかりの世界というのは、初めてで
戸惑ったりもした。選手たちのハード
な練習を、最初は直視することが出来
ず、人間離れしていると思っていた。
一年目はとにかく雑用だった。選手の
ために炎天下の暑い日も、凍えるよう
な寒い日も、ひたすら、水くみなどで
グラウンドを走り廻った。様々な決ま
り事や、全体の流れを覚えるのに必死
だった。ただ、渋谷は6年間続けた部
活動のおかげで、要求に対応すること
は苦ではなかった。むしろ、忙しく動
き回るの方が楽しかった。
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 2年生になった渋谷は、新入生の勧
誘を初めて経験した。勧誘の仕方がま
だわからず焦っていた彼女は、本来し
てはいけない禁止されてるエリアで、
勧誘をしてしまった。このことがチー
ムの主将の耳に入り、こっぴどく叱ら
れてしまった。渋谷は来年から勧誘で
きなくなるのではないかと、責任を感
じて号泣した。その時初めて、自分一
人の行動がチーム全体に迷惑をかけて
しまうんだと自覚した。

 そんな出だしだったが、渋谷には学
生委員という役職が与えられた。選出
された各大学1名の代表者が集まる、
裏方でチームを代表する大切な役職だ
った。仕事内容は、他の大学の学生委
員とのやりとりをして、練習試合や合
同練習を企画、運営し、また関東学生
アメリカンフットボール連盟が主宰す
る会議に出席して、連盟から受けた通
達をチームに伝えることだった。他に
も多くの仕事を任されるなど、試合当
日はは1日に40回以上電話がかかって
くるのが普通で、大変なことは多かっ
たが、その分、やりがいも大きかった。
渋谷はこの仕事に取り組む中で失敗す
ることあったが、必死でこなしながら
学んでいった。様々なことを同時進行
させていくので、優先順位をつけなが
ら仕事を片付けていった。その結果、
3年生の時には、学生委員の仕事も見
事にこなせるようになっていた。ただ
伝えるだけでなく、何が最良なのか自
分の意見も言えるようになっていた。
この頃がマネージャーの仕事として、
一番充実していたと渋谷は言う。

「この仕事は、ずっとやっていたかっ
たです。でも2年間で交代という決ま
りがあるので仕方ないですよね。この
仕事のおかげで、もの凄く視野が広が
りました。」

 最後の年を迎えた渋谷は、学生委員
の仕事を後輩に引き継ぎ、マネージャ
ーとして全体を見て、円滑に流れるよ
うに、同期で主務の幅美幸のフォロー
をしつつ、後輩たちの面倒をみていた。
チームは最上級生となった6人の同期
の選手たちの中から、主将は伊藤淳太、
副将は佐伯勇造となった。だがあとの
副将は同期からではなく、3年生の近
藤圭介と齋藤龍太郎だった。3年生の
彼らが副将となることに対して異論は
なかったが、本来は4年生から選ばれ
るはずで少し残念だった。今の4年生
は、選手としてのスキルの高さは認め
られても、チームを引っ張っていくこ
とに関して頼られていないのかと実感
した。1部リーグで全敗していた2年
生の頃に、さまざまなことから同期の
チームメイトの多くが辞めていった。
そういう苦しいこともあって残ってき
た6人だからこそ、あと少し頑張って
後輩たちに示してほしい、と願うよう
な気持ちがあった。渋谷は今年で最後
となる同期の彼らを、幅とともに、な
んとか支えていきたいと強く思ってい
た。
 
 チームは2部優勝して、入れ替え戦
の出場を勝ち取った。渋谷は嬉しかっ
た。マネージャーとして何より嬉しい
のは、チームが勝った時だった。一見
、控えめそうに見える渋谷が言った。

「サポートしてきたことが報われる瞬
間ですね。選手が闘って勝った時が、
本当に嬉しい。私はフィールドに立つ
ことはなくても、チームメイトとして
一緒に闘っているつもりなんです。マ
ネージャーの仕事ですらも、チームの
戦力になってるはずだって思っている
し、思いたいんです。最後は絶対に勝
ちたいです。」

 渋谷は辞めていった多くの同期に対
しても、みんなで結果を出して証明し
たかった。
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2012年12月8日、アミノバイタル・
フィールドは、寒さの中でナイターの
試合が進んでいった。上智は駒澤を出
だしから圧倒していた。3Qで伊藤淳
太がタッチダウンを奪うも、4Qに入
り、さらに点差は広がり31対7となっ
ていた。しかし、フィールドの立つ選
手やサイドラインの監督、コーチ、マ
ネージャーたちも必死で闘っていた。
残り時間が無くなっていく中で、渋谷
は、もはや勝てる状況ではないことを
悟っていた。何も考えられず、呆然と
していた。その時、彼女はある感情が
湧いてきたことに気付いた。
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「このままでは終われない。社会人に
なっても、マネージャーをやってみたい。」

試合が終わり、伊藤淳太が観客席にむ
けて皆を整列させた時、渋谷は顔を上
げられないくらいに泣いた。観客席に
は父や、先輩や友人たちが見守ってい
た。終わってしまったという寂しさと、
勝つことが出来なかった悔しさ。さま
ざまな想いがこみ上げてきた。だが、
泣いてばかりもいられない渋谷は、マ
ネージャーとして最後の仕事をこなし
ていった。自分に湧いてきた感情に不
思議だなと思いながら。

 渋谷は振り返って言った。

「楽しかったことしか思い出せないで
す。辛いこととか、大変なこともあっ
たけど、忘れました。そして、まさか
私が社会人でマネージャーを続けたい
なんて思うなんて。自分でも、驚いて
いるんです。就職したら土日は普通に
休んで、暮らしてくものだと思ってい
たんです。それが、どこのチームなら
入れそうかなとか考えてる自分がいる
んです。」

 4年生は入れ替え戦で戦い終えたそ
の日に、食事をした。その後、みんな
は帰ると言ったが、渋谷はどうしても
カラオケに行きたいと強引に連れて行
った。

「私、カラオケが、死ぬほど好きなん
です。生きてる瞬間で一番好きかも。」

 普段、控えめで大人しそうに見える
彼女の意外な一面だった。

「歌うことも好きなんですが、みんな
を楽しませるのが好きなんです。」

 彼女は、そう言って笑った。
 渋谷は、最後に勝てなかった悔しさ
を吹き飛ばすかのように歌い、みんな
にも歌わせて、大いに楽しんだ。結果
は出せなかったけれど、頑張って闘い
抜いた4年間を、みんなで肯定したか
ったのだろう。

 最後の試合が終わるあの瞬間に、彼
女の心にかすかな灯火が宿った。
 もしかしたら数年後、渋谷桃子は社
会人のマネージャーとして、どこかで
闘っているかもしれない。
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by officemigi | 2013-05-16 09:27 | アメフト | Comments(0)

全ては尊敬する人のために

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島瀬信利 SHIMASE Nobutoshi SB/LB 東京都立石神井

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 2012年の秋季リーグ戦が開幕した。
1部リーグを目指すチームは初戦を迎え、程よい
緊張感に包まれていた。これが最後のシーズンと
なる4年生の島瀬信利は、張り裂けそうなくらい
に緊張していた。うまくプレー出来るのか、不安
が気持ちを支配していた。島瀬はこれまでを振り
返って、ようやくここまで辿り着いたとう感慨が
あった。入部してから3年以上ずっとケガの連続
で、そのほとんどが手術やリハビリに費やされて
いた。彼は、選手として初めての試合を迎えよう
としていた。やっとフィールドに立つことが出来
る。何よりも、望み続けたことだった。
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 島瀬は一般入試で駒澤に入学した。高校時代に
バンドに熱中していたが、大学では何をしようか、
まだ決めてなかった。都立石神井高校でラクビー
をやっていた島瀬は、駒澤大学のアメフト部にラ
クビー部の先輩がいたことを知った。先輩の熱心
な勧誘に島瀬は、断るよりは入部した方がた楽だ
と思ってアメフトを始めた。高校時代やっていた
ラクビーもケガの連続で鼻で陥没骨折を2回した
り、両足の靭帯を切ったりと大変な目に遭ってい
た。実際にプレーできたのは1年半だった。しか
し、大学で島瀬はさらにきつい思いをすることに
なってしまう。

 1年生の10月の練習中だった。島瀬はパスを取
って、初めてのタッチダウンを決めた。気を緩め
たその時、強烈なタックルを貰った。大怪我だっ
た。島瀬の右肩は、あらぬ方向へ曲がってしまっ
た。強い痛みを感じた。だが、島瀬は痛みに対し
て、かなり免疫があった。本来スポーツはそいう
ことがあって当たり前で、これくらいはみんな我
慢するものだろうと思った。いいのか悪いのか判
断出来ないが、ここが島瀬の不思議な魅力でもあ
った。次の日も痛みを堪えて、練習に行ったとこ
ろ、チームメイトに言われた。

「なんか、肩がへこんでるよ」

 よく見るとあきらかに陥没していた。病院でレ
ントゲンをとったら、脱臼と靭帯損傷と骨折とい
う最悪な状態だった。気落ちはしたが、なってし
まったことはしょうがないと気持ちを入れ替える
ことが出来た。独特な考えを持つ島瀬は、放って
おけば治るだろうと思い、そのままにしていたが、
それでは治るはずもなく、翌年の2月になってよ
うやく手術をした。島瀬にとってこの1年は、つ
らい思い出しかなかった。
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 手術後、練習も出来ずに悶々としていた島瀬は、
信じられないくらいの有名なバンドからメンバー
にならないかという誘いが来た。それは70年代に
活躍した、イギリスの「レイプド」というパンク
バンドだった。ひょんなことから来た話だったが、
そうそうあるチャンスではない。アメフトをやめ
てバンドをやろうか。

「一度部活に入ったら、辞めるもんじゃない。最
後までやり切るのが当たり前だと思う。」

 そう言い続けていた島瀬の気持ちが始めて揺ら
いだ。怪我もあって迷っていることを、新倉監督
に相談した。思わぬ答えが返ってきた。

「チームとしては残念だが、プロのバンドに行く
べきだ。そんなチャンスはない。アメフトでいう
なら、認められてNFLに行くようなことだから。」

 新倉監督は、快く送り出そうとしてくれた。
それは、島瀬にとって衝撃だった。

「こんな自分を応援してくれる人を、裏切っては
いけない。」

 初めて、監督へ尊敬の念が生まれた。自分のこ
とより、新倉監督のために頑張りたい。そして、
チームに貢献したい。島瀬は、アメフトを続ける
ことを強く決心した。
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 しかし、島瀬の試練はまだ続く。2011年、2
年生だった11月、ようやく復活したかと思った矢
先、再び両足の靭帯が切れかかり、歩くのも困難
な状況になる。チームをサポートしながら辛抱し
て年を越し、翌2012年2月から再び練習に参加
するが、3年生となった 4月になって、タック
ル練習で頸椎を痛めてしまう。頸椎は神経層があ
り激しい頭痛も伴った。コルセットを首に撒き、
とにかく動かず、安静にしながら時を待った。そ
して10月に復活をするが、今度はまた練習中で左
手の親指を粉砕骨折してしまう。チームのサポー
トを続けながら4年生となり、2012年4月に練
習に合流するが、そこで信じられないことに、百
日咳という病気にかかってしまう。咳が止まらず、
血を吐き苦しんで1ヶ月間チームから完全に離れ
た。

怪我のオンパレードで、とどめが病気だ。永遠に
アメフトは出来ないんじゃないか。いくら島瀬で
も、今回はさすがに参っていた。だが、5月から
は、今までのことが嘘のように、何事も起こらな
かった。島瀬は練習に集中した。とにかく必死だ
った。同期はもう4年目の実力があったが、島瀬
はいってみれば1年生と同じ経験値しか持ってい
なかった。スターターなんてとても無理だろう。
ワンポイントのポジションでもいいから、試合に
出て、チームに貢献したかった。島瀬は厳しい夏
の練習を乗り切り、初めて選手としてリーグ戦を
迎えた。

 緊張で何が何だか分からないうちに、試合は終
わった。とりあえず、チームが勝利していたこと
に安堵した。島瀬は怪我をした選手の代わりに出
場したのだが、今まで外から見てきた感覚と、実
際にフィールドに出て戦った感覚のズレは大きか
った。それを埋めるために、もっとアメフトを理
解しなければならないし、練習もしなければなら
ない。
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 島瀬は試合を重ねるたびに、プレーの精度を上
げていった。いままで何もできなかたことを晴ら
すかのように、フィールドを走り回った。チーム
は連勝を重ねて、リーグ戦を制し2部優勝を飾っ
た。チームの目標であった1部リーグ昇格は、入
れ替え戦に勝つことで果たすことが出来る。密度
の濃い7試合を経験した島瀬は、急激に成長し、
選手として最高の状態となっていた。

 そして、チームは上智戦を迎えた。そこでは、
イメージしていたゲーム展開にはならなかった。
上智は足が速くて、ヒットの強い選手が多かっ
た。点差が開いていく中で、島瀬は勝利が遠の
いていくことを感じていた。それでも、精一杯、
闘うしかなかった。試合後に涙した島瀬は、悔
しさを露にし、やはり勝って終わりたかったと
言っていた。そこには尊敬する新倉監督と後輩
たちに対して、申し訳ないという思いがあった。
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 数日後、島瀬は全てが終わって安堵していた。

「もう誰かと争わなくていいんだ。レギュラー
争いだったり、対戦相手だったり。好きな本を
読んで、映画を見て、音楽を聞いて。もともと、
そういうことが好きなんです。」

 3年間は地獄を味わったが、最後の1年は充実
した日々を過ごした。この4年間で得られたもの
はあるか、との問いに島瀬は、少し考えてから、
ためらくことなく素直に答えた。

「カタチになるものはないです。何か思い浮かぶ
ものもないんです。ただこれから生きていく中で、
アメフトをやっていてよかったと思えることがあ
るんじゃないでしょうか。続けてきたからこそ、
知らずに強くなっている自分に気付くことが出
来たんです。」
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 島瀬は、自分のためにアメフトをやってきたと
いう感覚はなかった。なにより、熱い思いをもっ
て、自ら望んでチームに入ったわけではなかった。
ただ、入ったからには、最後までやり抜くものだ
という絶対的な信条があった。それは古風なとこ
ろを持ち合わせている、島瀬独特の個性だった。
満身創痍の身体でも、それに耐えうる精神と身体
を持ち合わせていた。そして、新倉監督の男気に
惚れ込んだからこそ、何度も大怪我をしていても、
続けてこられた。

 島瀬信利は、自分のことよりも、尊敬する人の
もとで生きることで、忍耐を養い、その潜在能力
を発揮してきた。まるで、君主に使えるサムライ
のような。

「あんなに試合に出れるなんて思ってなかった。
一番嬉しかったのは、最後の試合で、スターター
に選ばれたことです。誇りです。本当に嬉しかっ
た。」

 怪我だらけの男は、胸を張って言い切った。
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by officemigi | 2013-05-15 07:58 | アメフト | Comments(1)

今日

深夜から富山へ。

いい音を聞きながら、のんびり行きます。

ここしばらくは多くの方々に感謝です。
十数年ぶりに連絡とれた恩師や、お世話になった方々。

写真をやっていく大きなきっかけを与えてくださったアーティスト、工藤村正先生。まりさん。
チャンスを下さり、暖かいく見守ってくださった堤社長。
無条件で奔走して下さった、栗山さん。
凄まじい生き様を聞かせて頂いたKさん。
なにも言わず男気を示して下さったMさん。

他にも、たくさんあります。

同じように、見守って与えられるようにとも思う。
あらゆることに祈りたいと思う。
覚悟の程は決まり、よいよこれからと実感。
精一杯やって、後は流れに任せる。

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by officemigi | 2013-05-11 00:30 | 林建次の日々 | Comments(0)

与えられた試練の先に

櫻井裕太 SAKURAI Yuta OL/DL 麻布大渕野辺

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 チームはリーグ戦を勝ち進んで、2部優勝を狙
える位置にいた。最後のシーズンを送る4年生の
櫻井裕太にとって、本来は喜ぶべきことだった。
だが、彼はこれまでの秋季リーグ戦に1試合も出
場していなかった。どんなに望んでも、出れない
ことは分かってはいた。しかし、プレーヤーとし
てフィールドに立ちたいという欲求は捨てられな
かった。自分はこのまま終わってしまうのだろう
か。残された試合は入れ替え戦を含めても、残り
3試合だった。やり切れない想いを抱えたまま、
チームを見守るしかなかった。試練にしては、あ
まりに厳しすぎる現実を、櫻井は突きつけられて
いた。

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 2012年に入ってのことだ。櫻井は身体に違和
感を覚えていた。筋トレ中に、左右の力の入り具
合が違うことを感じた。それに、いつもより重く
感じる。疲れているのだろうか。さらに自宅付近
を軽く走っていた時に、左足につまずいて3回も
転んでしまう。おかしい。こんなことは今までに
なかった。練習中も、まるでパンクした自転車に
乗っているかように身体が重く感じられた。自分
ではいつものように走っているつもりだったが、
同期の磯部に言われた。

「お前、走り方おかしいよ。」

 櫻井は、片足で10秒も立っていられないことに
気づいた。これはまずいかもしれない。自分の身
体に異常があることを、認めなければならなかっ
た。

 櫻井は病院へ行った。レントゲンで、脳に腫瘍
らしきものがあることだけが分かった。さらに検
査手術で頭を開いた結果、脳が炎症を起こしてい
ることが発見され、「多発生硬化症の疑い」と診
断された。多発生硬化症とは、脳や視神経などに
病変が起こり、様々な神経症状が再発を繰り返す
疾患で、未だ原因不明の指定難病とのことだった。
次、もし再発すれば、アメフトをやるどころか、
社会生活に支障をきたすことを覚悟しなければな
らなかった。やがて、一時期の症状はなくなり、
櫻井の身体はいつものように戻っていた。だが、
彼のポジションはハードコンタクトがあるオフェ
ンスラインだった。チームとしては、プレーさせ
るわけにはいかなかった。だが、櫻井は現役最後
となる、2012年に賭けていた。
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 それは、苦しかったこれまでを、ようやく乗り
越えて来たからこそだった。スポーツ推薦の櫻井
は1年生の時から試合に出てチームに貢献してき
たが、2年生になると、本来の面倒見のよい性格
が認められ、下級生の教育係になった。一生懸命
やっていたが、その分、自分のスキルアップが全
く出来ずストレスになっていた。さらに、スポー
ツ推薦の同期の多くが辞めていくというトラブル
もあった。チームも1部で全敗という状況で、せ
っかく昇格したのに1年しかもたず、2部降格に
なった。そして、3年生となった櫻井はオープン
戦で、スターターから外されてしまう。気がつけ
ば、不平、不満ばかりを言って独りよがりになっ
ている自分がいた。ありのままを真摯に受け止め
て、変わらなければならなかった。一度、スター
ターから外れたことは、自分自身を見つめ直し、
チームの一員として自分に出来ることは何かを考
える機会になった。だからこそ、最後の年を全力
で取り組みたかった。しかし、肝心の年に、多発
硬化症の疑いに見舞われるという、大きな試練が
待っていた。櫻井は神様を恨みたくなった。納得
がいかない。どうしても試合に出たい。櫻井は、
練習も試合も、学生スタッフとなっている同期の
千尋と同じく、チームをサポートする側にまわっ
ていたが、いつでも試合に出てもいいように、密
かに筋トレもしていた。モチベーションを維持す
ることが出来ずに、心が折れそうになることは、
何度もあった。ただ表向きは、最上級生として振
る舞わなければならない。落ち込んでいる素振り
は見せず、嫌われようとも懸命に後輩たちを指導
した。
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 そんな日々の中で、櫻井は僅かな可能性に賭け
ていた。あきらめることなく、打診を繰り返した
結果、やっと医師の許可書が出たのだ。あとは、
チームの判断にかかっている。新倉監督と墨田ト
レーナーに「試合に出たい」と直訴した。しかし、
新倉監督は、何が起こるか分からない状態である
選手に、プレーをさせるという選択は取れなかっ
た。何度も懇願する櫻井に、彼の心は揺れていた
のは事実だった。櫻井の気持ちは痛いほど分かる。
学生最後の年に思う存分、闘わさせてあげたい。
だが、涙を堪えて言い切らねばならなかった。

「プレーヤーとして残り、チームのために闘うこ
とも大切だと思う。だけど俺は、お前を健常者と
して卒業させてあげたい。オフェンスラインのポ
ジションではダメだ。」

 櫻井は泣いた。わがままなのは分かっていた。
だが、試合に出るならば、どうしてもオフェンス
ラインのポジションでやりたかった。彼は高校2
年から、アメフトを始めた。通っていた高校には
アメフト部がなかったので、よその学校の部活に
参加していた。そこまでして、やってみたいとい
う憧れを、中学から持っていた。当初、ラインを
任された櫻井は、もっと目立つポジションをやっ
てみたかったが、実際に経験してみると、やりが
いがあることが分かった。ある練習試合の時だっ
た。櫻井が相手をブロックしてスペースを作った
ところを、ランニングバックが走り抜けていった。
自分が味方の道しるべを作る。これだ、と思った
。以来、櫻井は、そのポジションに誇りを持って
いた。

 だが、新倉監督としては、接触の危険を伴うラ
インで櫻井を出場させるわけにはいかなった。彼
は考え抜いた結果、コンタクトの可能性がほぼな
い、スナッパーという役目を櫻井に与えることに
した。フィールドゴールを狙う時のみに発生する、
ワンポイントのポジションだった。

「体を壊すことなく、チームの人間として、最後
まで残って欲しい。」

 新倉監督の櫻井に対する、最大限の愛情だった。
それを感じ取った櫻井は、自分の気持ちに折り合
いをつけて、与えられた新しいポジションを全う
しようと決めた。監督やチームに対して責任感が
湧いてきた。彼はスナッパーの練習に集中した。
リーグ戦終盤で、櫻井のシーズンは、ようやく始
まろうとしていた。

 2012年11月11日、4勝1分で迎えた第6戦。
2部優勝の瞬間は迫っていた。駒澤は今シーズン
最高のプレーを展開して、1部常連校の東海大を
31対9と圧倒していた。4Q、残り時間はもうほ
とんどない。ラストプレイ。これ以上ないシーン
で、ついに櫻井はスナッパーとしてフィールドに
立った。言葉にならないくらい嬉しかった。サイ
ドラインからは、チームメイトの声援が聞こえる。
だが、試合慣れしていない櫻井はミスをしてしま
った。このプレーがきっかけで、東海大に失点を
許してしまったが、勝負に影響するものではなか
った。チームは優勝して喜びに湧いている中で、
櫻井は悔し涙を流した。失点のきっかけを与えて
しまったことに責任を感じていた。だが、これま
での櫻井の苦労を想い、皆が気遣ってくれた。

「練習だと思ってください。入れ替え戦が本番で
すから。それまでに、しっかり仕上て下さいね。」

 キッカーで副将である後輩の三年生、近藤圭介
は笑ってねぎらってくれた。櫻井は皆の温かさに
救われていた。

 入れ替え戦は、完全に上智に支配されていた。
チームは3Qですでに4つのタッチダウンを奪われ
ていた。12月に入り、寒さが厳しくなったフィー
ルド脇で、櫻井はいつでも出られるように、戦況
を見守りながら黙々とアップしていた。重苦しい
空気が流れる中で、ようやく、ワイドレシーバー
の伊藤淳太がタッチダウンを奪う。
フィールドゴール。櫻井の出番がやって来た。彼
は慌てることなく、フィールドに出て、冷静にプ
レーした。最後の試合に出られる。櫻井は同期の
伊藤が決めたタッチダウン後のプレーだったので、
なおさら嬉しかった。チームの士気は上がった。
「なぜか、試合が終わるまで負けるんだという感
覚はなかった。点差が開いたからといって、手を
抜くことは絶対にしたくない。」
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 試合終了のホイッスルが鳴った。チームは完敗
した。櫻井は観客席の両親の姿を見た時に、涙が
溢れ出した。
思えば、この1年、ずっと心配をかけっぱなしで
あった。

「いいチームでした。監督にも恵まれた。最後は
大きな試練だったけど、結果的に自分は運がいい
と思いました。この4年間で得たものは、周りへ
の感謝。これしかないんです。」
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 彼は与えられた試練を乗り越えた。これからも
病気のことはつきまとうかもしれないが、葛藤し
ながら闘い抜いた1年間の経験が、彼にとって意
味のあるものに変わった。その価値は生涯、色褪
せることはないだろう。

 試合が終わって、数日後、彼は後輩から何気な
く声をかけられた。

「解放された顔をしてますね。」

 そうかもしれない。櫻井裕太は、「フットボール」
を無事に「終える」ことをようやく実感した。
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by officemigi | 2013-05-09 10:31 | アメフト | Comments(0)