【オフィスミギ】晴れ男なものですから

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一周忌。

感謝。感謝。心から感謝。
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by officemigi | 2013-04-27 10:24 | 林建次の日々 | Comments(0)

葛藤の果てに

磯部 亘 ISOBE Wataru TE/LB 足立学園

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 チームは入れ替え戦に勝利することが出来ず、
1部リーグ昇格の夢は叶わなかった。この試合
が最後となった4年生たちは涙を流していた。
すべてが終わってしまった。磯部亘は、同期の
彼らが涙する理由を十分に理解していた。この
代は2年生の時に、多くの同期が裏切るように
辞めていった。悔しかった。辞めていった彼ら
に対して、1部で闘えることを証明したかった
という想いは、みんな持っていたはずだ。伊藤
淳太や、千尋海渡、あの斎藤大樹まで人目もは
ばからずに、泣いていた。そんな彼らを見て、
磯部も一瞬、心が揺れた。しかし、すぐに冷静
を保って、無意識に周りの状況を判断していた。
磯部も精一杯闘った。当然、悔しさや、後輩た
ちに対しての申し訳なさも感じていた。
「俺は、涙を流しちゃいけない。」

 磯部は中高一貫校の足立学園でバスケットボ
ールに情熱を捧げていた。練習や上下関係など、
相当厳しかったが、6年間やりきって、燃え尽
きたという想いがあった。この時に感じた達成
感は、何者にも代えられなかった。
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「毎日が練習漬けだったけど、本当に楽しかっ
た。チームが負けたとしても、1対1のマッチ
アップには負けたことはなかった。自分がスキ
ルアップしていくことが嬉しかったです。」

 しかし、磯部はチームに対して心を開くこと
が出来なかった。小学生の頃から、なんとなく
自分は相手や状況ばかりを考えていて、自分の
芯を持っていないように感じていた。表向きに
は人と良好な関係を築くことも出来たが、本当
の心の中を見せることはなく、つかみどころの
ない存在に自分はなっていると思った。磯部は
このままではいたくなかった。そういう心の殻
を破ってみたい。腹を割って人と向き合うこと
が出来るようにならなければと思っていた。磯
部の通っていた足立学園にはアメフト部があり、
全国でも有数の強豪だった。大学へ進学して、
アメフトを続ける同級生も多く、また、バスケ
ットボール出身者であっても、大学でも活躍す
るケースが多かった。友人から大学で一緒にア
メフトをやってみようと誘われた。アメフトは
チームで「殺してやる」といったような、激し
い気持ちを持って挑んでいく、特殊なスポーツ
だと聞いていた。磯部はそういう熱い連中の中
に入っていけば、もしかしたら自分に足りない
ものが得られるんじゃないかと思った。そして
磯部は友達の熱い想いに、促されるように、ア
メフトに魅了されていった。勉強はろくにして
こなかった磯部だが、なんとか駒澤大学へ進学
して、アメフトをやることを決めた。そこにあ
るはずの「何か」を求めて。
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 磯部は6年間バスケで鍛え上げて来た身体能
力を生かして、1年生から試合に出場していた。
戦術はなかなか理解するのは難しかったが、確
実に成長していった。2部優勝と入れ替え戦に
勝利して、チームは1部リーグへ行くことが決
まった。素晴らしい先輩たちにも恵まれた1年
目は、本当に楽しいと思える日々だった。
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 2年生となった磯部は、後輩たち対していろ
いろ指導しなければならなかった。今までのよ
うに、甘える環境ではなくなっており、しっか
りしなければと思った。そんな中、磯部は日大
との合同練習中で大ケガをした。右肘が脱臼し
てしまい、内側の靭帯は断裂、外側の靭帯はの
び切ってしまった。復帰まで手術、リハビリで
4ヶ月を要した。チームは1部リーグの厳しい
洗礼を浴びて、1勝も出来ずにいた。多くの同
期が辞めていったり、ケガ人も続出していたチ
ームは、いい状態と言えるものではなかった。

 2部リーグに落ちた翌年もチームは足踏みし
てしまい、結局、入れ替え戦に出場することは
なかった。最後の年を迎え、最上級生となった
磯部たちの代は、リーダーシップがとれてない
と新倉監督から叱られていた。チームをどう引
っ張っていくかの話し合いで、主将の伊藤淳太
を4年全員でサポートしていこうと決めた。
磯部自身も意識を変えて、最後の年に望もうと
していた。
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「ワタル、お前優しすぎるんだよ! ハードに
いけよ! 鬼になれよ、鬼に!」

 よく新倉監督に言われたことだった。言って
いる意味や、期待されているのは十分に分かっ
ていた。磯部は目の前の相手を殺しにいくよう
な気持ちを、持たなければならなかった。

「メットを被っている間だけでも、絶対に鬼に
なれなければいけないのは、分かっていました
。でも、どうしても、そうなり切れない自分が
いるんです。もしかしたら、この激情を必要と
するスポーツに向いていないんじゃないかと感
じていました。それを求めていたはずなのに。」

 だが、磯部は苦くても、始めたからには最後
までやり切ると決めていた。その考えに対して、
揺らぐことは一度もなかった。

 リーグ戦終盤を迎えて、チームは4勝1分で、
2部リーグ優勝を決める東海戦を控えていた。
磯部は大事な試合を前に、練習中にケガをして
しまう。右手の中指と薬指で骨折で手術をした。
チームは勝利して優勝を決めたが、磯部は出場
できなかった。次に1試合を挟んで、入れ替え
戦を迎えるのだが、磯部はこの最後の試合に無
理をしてでも間に合わせてようと考えていた。
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「あぁ、もう終るんだな。」

 磯部は自分が1年生だった頃の4年生の先輩
を想った。怖かったけれどあの素晴らしい先輩
たちのおかげで、本当に充実した時間を過ごす
ことができた。結果、自分たちを1部リーグへ
導いてくれた。今の自分は先輩たちのように、
後輩に何かを与えることが出来ているのだろう
か。自分自身、成長することが出来たのだろう
か。振り返って、磯部はそんなことを考えてい
た。
 磯部は常に、最悪の状況を想定する気質を持
っていた。一歩引いたところから、物事を冷静
に眺めて状況を判断して行動する。それはディ
フェンスリーダーとしての役割を担うのに十分
な才能だった。たとえば、チームでエースライ
ンバッカーの後藤生織が倒れた場合どう対処す
るかとか、その他の試合の様々な起こりうる状
況も考えに考え抜いていた。そして、みんなで
勝ち取った入れ替え戦で、もし負けてしまった
時、この試合に賭けてきた同期の仲間はどうな
るのか。1部リーグでプレーを夢見ている後輩
たちが、どんな思いをするのか。期待をしてい
てくれている新倉監督やコーチたち、支えてく
れているマネージャーたち・・・

「負けるわけにはいかない。」

 磯部は入れ替え戦を闘って、チームを1部リー
グに上げることを強く願っていた。

 上智は強かった。相手の個人の能力の強さもあ
ったが、磯部はディフェンス・リーダーとして責
任を感じていた。点差は開いていき、4Qに入った
頃には、もやは勝つのが厳しい状況になっていた。
悔しかった。だが磯部はディフェンスとして、や
られっぱなしで終わるわけにはいかなかった。た
とえ負けることになったとしても、相手に突かれ
たところを素早く対応して、やり返すことが出来
るのを示さなければならないと思っていた。これ
から先、自信を持って生きていくためにも、後輩
たちに何かを示すためにも。


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 磯部は振り返って言った。

「勝ちたかったし、勝たせてあげたかった。期待
に答えられないことに、申し訳ないという気持ち
が大きかった。自分みたいなやつが、ディフェン
スリーダーをやってたから、こういう結果になっ
たんじゃないかなって。たた、この部活をやって
よかったです。多くの仲間たちと出会えたから。
彼らと腹を割って、話せるようになれたと思いま
すよ。」

 磯部は常に自分よりも、相手や状況を優先させ
ていた。そういった性格は、磯部自身この激しい
競技を続けていっていいのだろうかと想い悩ませ
ていた。いろんなことがあっても、この4年間ア
メフトを続けてきたのは、事実だった。

 磯部は何気なく、こんなこいとを言っていた。

「自分の肩書きは駒澤大学仏教学科卒業というよ
り、駒澤大学アメリカン・フットボール部卒業と
言った感じです。」

 自分を認めた言葉だった。
 それは、磯部亘がこの4年間に誇りを持っている、
何よりの証だった。

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by officemigi | 2013-04-26 02:03 | アメフト | Comments(0)

敗戦からの旅立ち

伊藤淳太 ITO Jyunta WR/DB 東京都立芦花高校
 
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「主将、伊藤淳太!」

 伊藤は我が耳を疑った。毎年リーグ戦が終わり、
納会が来年度の主将を発表する場だった。自分に
は関係ないことだと思っていた。おそらく、何か
と面倒見のいい櫻井裕太になるんじゃないかと呑
気に高をくくっていた。だが、自分が主将だと指
名されている。これは何かの悪い夢ではないのか。

「嘘だろ。これからどうしよう。」

予想もしてなかったことと、責任の重さに暗い気
持ちになった。過去を振り返っても、伊藤はリー
ダーになったこともないし、なりたいと望んだこ
ともなかった。どうして俺が、と思った。
 伊藤淳太は学生最後の年を、駒澤大学アメフト
部の主将として迎えなければならなかった。純朴
な青年の苦しい1年が始まった。
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 伊藤は高校時代、バスケットボールに熱中した。
都立ではレベルの高い学校で、部員として認めら
れるのも大変だった。高校1年の時、顧問の先生
に言われた。

「能力的にプレーヤーとしは無理だから審判でも
やるか」

悔しかった。人よりも特別な身体能力はないと思
っていた伊藤は、認められたい一心で朝から晩ま
で厳しい練習に励んだ。そして3年生の時に、よ
うやく試合に出れるようになる。何より監督に認
められたのが嬉しかった。ダメだと言われた自分
が努力によって這い上がり、チームにとって目標
達成するための戦力になれたこと。それが最高の
経験だった。以後、この時の経験が伊藤を突き動
かす原動力となる。
 
 伊藤は部活動を真剣に取り組んでいたが、勉強
は真面目に取り組むことはなかった。大学に行き
たいと望んだのも、スポーツをして、また高校の
時のような体験をしてみたいという単純なものだ
った。とりあえず、体育系の大学を受けてみたが、
やはり落ちてしまった。大学へ行きたいので浪人
したいと親に懇願した。

「勉強もしていないのに、何が大学だ。浪人する
ぐらいなら自分で働け。」

そう言われて家を追い出されてしまった。伊藤は、
住み込みで新聞配達をしながら予備校へ通う。午
前2時半に起きて朝の7時まで朝刊の配達、その
後勉強して、また夕方の3時から夕刊を配るとい
う、仕事の毎日を過ごした。単調とした刺激のな
い毎日に、何をやってるんだろうと思うこともあ
った。結局二浪した後に、2009年3月、駒澤大
学になんとか合格する。彼は胸をなで下ろした。
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 伊藤は大学でバスケットをしようと考えてみたが
、バスケットは2部でも3部でも全国レベルの選手
が集まり、都内で少し強かった程度の自分では無理
なんじゃないかと弱気になった。どうしようか思っ
ていたところに、アメフト部の熱心な勧誘があり、
詳しいルールも分からないまま入部した。伊藤は二
浪していたが、毎日自転車で新聞配達をしていたお
かげで、高校時代の厳しい練習によって作られた基
礎体力を維持していた。そして1年目から試合に出
場することができた。それは伊藤の能力の高さを示
すものだったが、高校の時のように、這い上がって
ポジションを掴み獲るということもなく、なにか拍
子抜けしていた。

「1年の時は、がむしゃらにやっているだけでよか
った。先輩たちにのおかげで、1部へ上がることが
出来たんです。先輩たちに甘えていた分、やり切っ
たという達成感をあまり感じられなかったんです。」

伊藤は、プレーヤーとしての能力を上げることだけ
を考えていた。1対1の状況で、自分の能力で勝つ
ことができるかどうか。足りないものをどう補うか。
それを追求することが楽しみだった。しかし、それ
が出来たのは2年までで、3年からポジションリー
ダーをまかされる。伊藤は、いままで人を教えたり
、まとめたりすることがなかった。とまどうことも、
しんどいことも多かった。チームは2部リーグで停
滞したまま、2012年、伊藤にとって最後の年を迎
える。まさか自分が主将になるなど、この時は思い
もしなかった。
 
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 主将となった伊藤は、チームを引っ張って、なんと
か責任を全うしようと思った。不安だらけだったので
、かつての主将にどうすればよいか相談したりもした。
やったこともないことばかりで、気持ちが落ち着く日
はずっとなかった。始めの頃は、ハドルでも皆になか
なかうまく言葉を伝えることは出来ず、チームをまと
めるどころではなかった。「だめだな、俺は」と思う
散々な日々だった。ただ、伊藤の純朴で、真っ直ぐな
性格には、周りがなんとか助けなければと思わせてし
まうところがあった。それが、この男の長所でもあった。

「自分は主将として至らぬことばかりでした。本当に
まわりに助けてもらってばかりで感謝しかないです。」

 今年の4年生はリーダーシップが足りないと言われ
ながらも、日々なんとか役目をこなしていた。


 伊藤には、この年に期するもがあった。なにがなん
でも入れ替え戦に出場し、1部昇格を勝ち取らなけれ
ばと決意していた。
「このチームでは先が見えない。」
 2年生の時、そう言って辞めていった多くの同期がい
た。悔しかった。だからこそ、最後に揺るぎない結果を
出して、残った自分たちが間違っていなかったことを証
明したい。この4年間を価値のあるものにするには、結
果を残すことだった。
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 2012年のリーグ戦を闘い続けてトップを走ってきた
チームは、6戦目で優勝を賭けた試合に挑んだ。そして
、2部最強と言われた東海大に完勝する。伊藤は不意に
涙が溢れた。

「生き残ったんだ。」

 嬉しかったというよりも、入れ替え戦を決めれたこと
に心底、安堵した。主将として特別なことが出来たとは
思わなかったが、目標の1つはクリアしたのだ。チーム
がプレッシャーのかかった大一番で、力を発揮出来たの
が何より嬉しかった。

 そして、入れ替え戦の相手は上智に決まった。昨年2
部リーグで対戦し、僅差で敗れていて、そのリベンジで
もあった。泣いても笑っても、これが最後となる試合に、
伊藤は主将としてやるべきことを実行した。それはかつ
て選手として共に過ごし、今はスタッフとしてチームを
支えてくれている同期の千尋海渡に対してのことだった。
彼は練習中の怪我で脳出血により、選手として1年で引
退していた。その後、献身的にチームを支えてきた千尋
の選手時代の背番号は「16」。それを、全ての選手の
ヘルメットに付けることを皆に提案した。

「千尋と共に闘う。」

 チームが千尋の想いを背負っていることを、形にした
かった。
 そして伊藤は、上智戦を控えた練習後のハドルで皆に
語りかけた。

「上智に負けるのが怖い。それを考えたら、本当に怖い
よ。でもだからこそ、その恐怖を乗り越えて皆で闘おう。
それを克服して、上智に勝って1部リーグへ行こう。」

 そう言い切った伊藤の姿は、チグハグで自信がなかっ
た頃とは違い、主将としての存在を皆に示していた。
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 12月8日の夕刻、アミノバイタル・フィールドで決戦
は始まった。あの上智は、さらに強くなっていた。昨年
同じ2部リーグで対戦したチームではなかった。1部で
闘ってきた上智の実力に、駒澤は圧倒されていた。試合
のスコアは3Qで、すでに27対0だった。逆転するには
かなり厳しい状況の中で、ついに上智から伊藤がタッチ
ダウンを奪った。曇っていたチームの士気は上がった。

「よし! ここからだ。」

 しかし、動揺することもない上智は、さらに4Qで追
加点を奪い31対7とする。残り時間は3分を切っていた。
皆、必死で闘っていたが、敗北という重い空気が流れ始
めていた。それでも、伊藤は勝負を捨てていなかった。
必ず勝って1部リーグへ行く。しかし、敗色濃厚のハド
ルの中で誰かが言った。

「来年に繋げるためにも、諦めずにしっかり闘い切ろう。」

 伊藤はそれを聞いた瞬間、頭の中で何かが飛んでいった。
初めて、現実を受け入れなければならなかった。

「あぁ、負けるんだ。俺たちはもう、1部リーグへ行けな
いんだ。」

 終了を告げるホイッスルが鳴った。伊藤は選手を整列さ
せ、応援に来てもらった観衆を見渡して、感謝の想いを伝
えた。

「精一杯、戦いましたが、残念ながら1部リーグへの夢は
叶えられませんでした。自分たち4年生はもうプレーする
ことはありませんが、来年は頼もしい後輩たちが、必ず、
その夢を達成してくれると信じています。応援、本当にあ
りがとうございました。」
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 伊藤は深々と頭を下げて、主将としての最後の仕事を終
えた。新倉監督に握手を求められた時、堪えていた涙が溢
れ出した。精鋭揃いの3年生たちは、1部でプレーする機
会は完全に失われた。主将として、申し訳ないと思った。
そして高校で得た、あの達成感はついに得られなかった。
自分は選手として、主将として全う出来たのだろうか。ま
だ何も達成にしてないという、悔いがあった。このままで
は、終われない。伊藤は内定していた会社を辞めて、社会
人でアメリカン・フットボールを続けようと、この時に決
めた。迷いは微塵もなかった。
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 伊藤淳太が生きるために求めるものは、社会的な地位や
名誉ではなく、純粋に「フットボール」で己を高めること
だった。厳しい環境であっても、自分の好きなことで、ど
こまで出来るのか試したい。
 未知の自分と出会うために、伊藤は真っ直ぐに旅立った。 
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by officemigi | 2013-04-24 12:10 | アメフト | Comments(2)

見守り続けた日々


幅 深幸  主務 浦和実業学園

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 2012年、春。マネージャーとして主務となった
幅深幸は、主将に就任したばかりの伊藤淳太が、ス
ポーツ推薦の新部員へ行った挨拶を聞いていた。

「主将の伊藤です。」

それだけだった。幅は彼が口べたなのは分かってい
たが、さすがに唖然とした。
「え? それで終わり? せめて、頑張って、一緒
に1部リーグへ行きましょう! とか言わないの?」
主務の幅がパートナーとして取り組まなければなら
ない相手が、チームの主将である伊藤だった。

「これは大変なことになるな。」

なにかと気苦労の多い年になりそうだと思いながらも、
幅は主務として、影から伊藤を支えなければならない
と思った。マネージャーである幅の最後の年が始まっ
た。

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 幅は小学生の頃に、初めて箱根駅伝を見に行った。
その時に紫色のチームを応援しようと決めたのがきっ
かけで、駒沢のファンになり、幅は大学も駒澤を選ん
だ。入学した幅は、多摩川キャンパスの最初の授業で、
たまたま隣の席にいた渋谷桃子と出会う。ある日、仲
良くなった渋谷から懇願された。彼女はアメフト部の
マネージャーになったばかりで奮闘中だった。

「とにかく1年生は私ひとりで大変だから、手伝って
欲しい。」

 幅は、とりあえずアメフト部の練習を見に行ったが、
どうしようか迷っていた。そもそも、アメフトのルー
ルなど知らず、ラクビーとの違いも分からなかった。
さらに、身体の大きい「マッチョな」男の人は苦手だ
った。しかも、内心は陸上部のマネージャーに憧れて
いることもあった。だが、渋谷の誘いがあったのと、
となりのグラウンドで憧れの陸上部の練習が見られる
こともあって、なんともなしに練習を手伝うようにな
っていた。

「とりあえず1年頑張ってみようよ。」

 先輩にそう言われた幅は、流れにまかせて1年間は
やってみようと、アメフト部のマネージャーになるこ
とを決めた。

 最初は選手たちとは一言も喋ることはなかったが、
ひたすら練習をこなす彼らに、水を渡したり、洗濯
をしたりすることが、支えているという実感が純粋
に沸き起こって嬉しくなった。幅は、意外に自分が
そいうことがわりと好きなんだということも分かっ
た。
スポーツ同好会とは違い、みんなで勝利のために
目標を持ってやることに意義も感じていた。そして、
先輩たちと一緒にいるのは居心地がよく、共に仕事
をすることが、なにより楽しかった。2人しかいな
いけど、仲が良くて仕事も出来る、4年生の先輩を
幅は尊敬していた。サバサバしているけれど、誰よ
りも選手のことを考えて仕事をこなしている姿を見
て、あんな2人のようになりたいと渋谷と語り合っ
た。
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 2年生になって、高校時代は体育会系にいた、や
んちゃな後輩2人が入ってきた。とにかく意欲的で、
彼女たちの勢いに押されそうになりがらも、幅も仕
事をこなしていった。1年目は授業のことも考慮して
、週3日の活動だったが2年目は週5日になって、様
々なことを把握していった。

 幅は3年生になって、会計の仕事のすべてを任され
た。その仕事をこなしながら、1年生にも教えていて、
慌ただしい毎日を過ごしていた。会計の仕事は休日で
あっても、頭から離れることはなかった。部費や通帳
は常に持ち歩かなければならず、細かいお金を責任を
持って管理していた。ひとり学校で会計の仕事をして
いる時、選手である斎藤大樹と磯部亘が手伝ってくれ
ることもあった。幅はマネージャーとして、一番充実
した時を過ごしていた。

 幅にとってこれまでに一番辛かったことは、3年生
であった2011年の上智戦だった。チームは僅か1点差
で負けた。幅はチームの一員として、あまりにも悔しか
った。しかし、選手たちは幅が思っているほど悔しそう
にしてるように見えなかった。

「どうして悔しがらないの。もう、こんな部活、辞めて
やるっとか思ちゃいました。」

 チームのために一生懸命サポートしてきたのに、やる
せなかった。
「お互いの立場が違うのは、頭では分かるんです。ただ、
選手とマネージャーが、お互い理解し合えないことがあ
ると実感した時は辛かった。」

 だが、幅は、これまでどんな苦しいことがあっても、本
気で辞めようと思ったことはなかった。

 主務の仕事は、幅にとって考えていた以上に大変だった。
シフト組みなど周りのマネージャーを仕切っていくことに、
神経をすり減らしていた。全体の進行状況を判断しながら、
的確な指示を出さなければならなかった。時にはあえて後
輩を叱らねばならず、それでも同期の櫻井裕太からは、も
っと厳しくしてもいいんじゃないかと助言されることもあ
り、自分は甘いんじゃないのかと葛藤することもあった。
様々な場面で重要な決断は主務の幅がしていたが、そこに
至まで、多くのことを渋谷に相談していた。

「桃子のサポートがなければ、厳しかったかな。4年間一
緒にやってきた彼女には本当に感謝してます。」

 苦しい時でも、お互いを助け合ってきた2人の絆は強か
った。1年生の頃に憧れていた、あの2人の先輩のように
なれたのかもしれない。
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 そして、引退試合ともいえる入れ替え戦を迎えた。幅は
いつも以上に熱くなって闘っていた。試合中、彼女は何度
も叫んでいた。

「いけ、淳太! しっかりしろ!」

 しかし、点差は開くばかりだった。なんとか勝って、後
輩たちを1部リーグに連れて行ってあげたい。幅は最後の1
秒まで闘おうとしているチームを、祈るような気持ちで見
守っていた。
だが、試合に刻まれた最後のスコアは、駒澤7ー上智31。
上智大学の圧勝だった。

「完敗なんだから、素直に受けとめました。悔しいのは間
違いないけど、最後は笑って終わりたかったから。」

 試合終了のホイッスルを聞いた時、幅は冷静に頭を切り替
えていた。スタッフを統括する主務として、マネージャーと
して、精一杯闘ってきた彼らをサポートする、最後の仕事を
こなしていった。
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 マネージャーの仕事は広範囲に及んでいて、その仕事ぶり
は目にみえないことも多い。ただ、直接選手と触れ合う仕事
もある。選手にテーピングしたり、マッサージをしたり。幅
は父親の足を借りて、テーピングの練習をすることもあった。
それらは、もちろん彼女たちの仕事ではあるのだが、選手から、
「ありがとう」という何気ないひとことをもらえるとやはり
嬉しかった。そんなちょっとしたことで、マネージャーとして
彼らをサポートしてきたことが報われ、また頑張ろうと思えた。

 昔、幅はコーチからこんなことを言われたことがある。

「あいつら、かあちゃんみたいに使ってくるから、ダメなものは
ダメって言わなきゃ。」

 確かにそうなのだが、幅は、マネージャーはそれが好きでやっ
てるところでもあるのだと言う。

「オフの日に食事を盛りつけて、お皿洗うためだけに来るのも、ど
うかなと思うこともありました。だけど、食べることも練習で、そ
れも支えになるのならと思ってやっていましたよ。」


 幅にとってこの4年間で得たものは、という問いに、冗談混じり
にこう答えた。

「どの洗剤が泡立ちやすいとかですかね。」

 勝つために純粋に闘っている彼らを見守ったり、支えたりするこ
とが、マネージャーという仕事だった。彼女は、それを4年間しっ
かりとやり抜いた。最後は主務として、葛藤しながら。

 かつて、主将になった頃の伊藤がハドルで緊張してしまい、うま
く喋れなかった時、幅は頑張れ、頑張れと念じていた。また、逆に
伊藤がうまく言えた時は、密かに喜んでいた。

「よし! えらいぞ、淳太!」

 まるで、おせっかいな母親にでもなったような気持ちだった。そ
の想いは幅にとって、主将の伊藤に限らず、すべての選手に当ては
まることだった。

 「チームのみんなは、本当に家族って感じるんです。1年生から
4年生まで。嫌でも毎日顔を会わせなければいけないでしょ。」

 幅深幸はそう言って、愛情たっぷりに笑ってみせた。
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by officemigi | 2013-04-22 12:33 | アメフト | Comments(0)

4月22日

昨日は深いお話を聞くことができました。

どこまでも生き様であり、その経験があってこその志というのは、
美しいと感じました。

言葉に説得力を持たせたのは、やはり“目”でした。
その奥で、喜怒哀楽が揺らめいていた。

どんな時に祈っていたのだろう。
また是非お聞きしたいと思いました。

室生寺へ行きたいと思った。
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by officemigi | 2013-04-22 10:14 | 林建次の日々 | Comments(0)

フィールド・アゲイン


佐伯 勇造 SAEKI Yuzo SB/DB 日大鶴ヶ丘

 2012年11月11日。優勝を争う大事な試合で、
佐伯勇造はスターターとしてフィールドに立った。
不思議と気持ちは落ち着いていた。

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相手は1部常連の東海大で、彼らもこの試合に入
れ替え戦進出を賭けていた。2部に落ちてきたと
はいえ、東海大はもっとも強い相手と目されてい
た。佐伯は緊張で、前日はなかなか寝付くことが
出来なかった。入れ替え戦までいくには、この強
敵に勝たなければならない。リーグ戦最大の山場
で、佐伯は闘う気持ちを最高の状態にしたかった。
怒りを力に変えて相手にぶつけてやれと思った。
自分たちが遊びもせずに毎日あんなに苦しいトレ
ーニングしなきゃならなかったのは、みんなあい
つらのせいなんだ、と言い聞かせていた。

「覚悟しとけよ。叩き潰してやる。」

 試合は駒澤大学の玉川グラウンドで始まった。
開始早々、いきなり東海大に先制される。しか
し、佐伯には焦りはなかった。

「取り返してやる。」

 チームはリーグ戦を戦うごとに、成長してい
た。負ける気がしない。力をつけたチームは一
体となって、すぐにタッチダウンを奪った。
その後、勢いを止めることなく試合を進め、
東海大に完勝した。2部優勝と、入れ替え戦進
出を決めたチームは喜びに沸いた。
佐伯は嬉しかった。今までやって来たことが、
ここで報われた。試合後、佐伯は「4年生みんな
で食事に行こう」と提案した。久々に同期で楽し
い時間を過ごした。このメンバーで過ごすのも、
あと2試合となっていた。佐伯は入れ替え戦に勝
って、再びみんなで勝利を分かち合いたかった。

それは、ここに集まった同期9人の最後の夢で
もあった。


 佐伯は高校でアメフトを始めた。クラスの友人
に誘われて、体験入部してみた。ルールはよく分
からないが、面白そうだったので始めてみること
にした。だが、練習は辛いし、やっていることが
理解出来ずに全く楽しいとは思えなかった。だが、
夏の練習試合で、今まで練習してきたことの意味
や成果を感じて、ようやくアメフトの面白さを知
った。そして、高校の3年生となった春に、佐伯
はケガをしてしまう。右膝の靭帯を痛めてしまっ
た。夏になってようやく回復したと思った矢先、
再び同じ右膝の全十字靭帯を切ってしまった。重
症で手術の必要があったが、佐伯はテーピングや
装具などで固定して、高校最後のトーナメントに
賭けようとしていた。しかし、一回戦敗退という
結果が待っていた。このままでは終われないと思
っていた佐伯は、大学へ行って続けようと決めて
いた。卒業と同時に手術を受けて、駒澤大学に入
学した。

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 アメフト部に入部した佐伯は、すぐに練習には
参加出来ず、サイドラインに立って黙々と手術後
のリハビリメニューをこなす日々だった。正直な
ところ、うまくチームに馴染めるか不安もあった。
だが、この時のチームは、勢いがあり、2部リー
グ優勝、そして、入れ替え戦にも勝利して最高の
年を過ごしていた。2年生の時は、惜しい試合は
あったものの、1部リーグの実力に圧倒され1勝
も出来ずに終わった。佐伯はようやく試合に出場
していたが、悔しい思いだけが残った。やがて、
多くの同期がチームを辞めていくという、やり切
れないことも経験した。同期のみんなで乗り越え
て行くしかなかった。3年生となった佐伯は、な
んとしても1部リーグへ上がりたいという思いを
強く持った。高校の同期が、日大のアメフト部で
活躍している。日大は1部リーグという舞台で闘
っていた。佐伯はチームを1部に上げて、来年に
彼らと思い切り勝負したいという夢を描いていた。
しかし、結果は4勝3敗で、それが叶うことはな
かった。やり切れなかった。もっとフィジカルを
鍛えておけばよかった。戦術の理解を深めておけ
ばよかった。佐伯は、この結果を前にして、自分
の甘さを認識して後悔した。

 最上級生となった佐伯は、副将となった。主将
となった伊藤淳太に対して、どうサポートするか
を4年で話し合ったこともあった。佐伯は自分た
ちの代が頼りないとは言われたくなかった。自分
たち4年生はもう1部でプレーすることは出来な
いが、後輩たちのためにも2部リーグを制して、
チームを1部リーグに上げることが目標となった。
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 いよいよリーグ戦が開幕した。厳しい練習をこ
なしてきたチームは、初戦の農大戦を勝利した。
佐伯はスターターとしてフィールドに立った。し
かし、彼ははこの試合で右足の肉離れをおこして
しまう。自信もあったし、調子がよかっただけに、
残念だった。以後、復活するまで、サイドライン
で地道に、リハビリに励んでいた。医者にすぐ治
ると言われて辛抱したが、復帰して練習を開始し
た直後にまたやってしまった。ケガで思うように
挑むことが出来なかった高校の時代が、彼の脳裏
をよぎった。試合ごとにチームはまとまりつつあ
って、勝利を重ねていたが、自分が置いていかれ
るように感じられた。焦れば焦るほど気持ちが空
回りして、どうすることも出来なかった。スター
ターを外されて、ポジションを島瀬信利に奪われ
る形になった。佐伯はオフェンスなら島瀬と、ディ
フェンスなら斎藤大樹とポジションを争わなけれ
ばならなかった。チームの中では、オフェンスと
ディフェンスの穴を埋めるような形で試合に出場
していたが、自分の立ち位置が分からなかった。
自信を失ってしまい、とても苦しい状況に陥って
いた。佐伯はその胸の内を、千尋海渡に聞いても
らった。
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「千尋がいて、よかったと思う。本当に救われた。
あいつは、頼れるものを内に秘めていた。」

 佐伯が最後の試合となる入れ替え戦にスターター
としてフィールドに立つことは、難しい状況だった。
それを十分理解した上で、彼は上智戦の前日に、幹
部と4年生を集めて、副将としての想いを伝えた。

「必ず勝って、1部リーグへ行こう。」

 そこには、自分の分も闘ってくれという願いを込
めていた。

 入れ替え戦は、アミノバイタル・フィールドで始
まった。相手は昨年まで同じ2部リーグにいた上智
大だった。昨年対戦してチームは僅差で敗れていた。

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「ぶっ潰してやる。」

 佐伯はサイドラインからでも、その気持ちを全面
に押し出して、フィールドやサイドラインにいる仲
間たちを懸命に鼓舞していた。彼は自分の役目に徹
して、上智と闘っていた。しかし、チームは1部で
闘ってきた上智の実力に圧倒されていた。4Qの半
ばを過ぎて、すでに逆転するには不可能な状況とい
ってよかった。それでも佐伯は、チームの士気を下
げてはならないと思っていた。しかし、時間ととも
に、その気持ちは失われていった。

「これで終わっちまうのかよ。」

佐伯はサイドラインで立ち尽くしていた。

 結局、あれほど望んでいた夢は、手にすることが
出来なかった。主将の伊藤淳太や櫻井裕太、ほかの
みんなも泣いていた。涙する仲間の姿が目に入り、
佐伯にも、当然こみ上げてくるものがあった。だが、
彼は意地でも涙を流すつもりはなかった。
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「泣いてたまるか。」

 頭を上げ、堂々と胸をはってサイドラインを歩いた。
彼の毅然としたその振る舞いは、闘い終えた戦士とし
て実に立派な姿だった。だが、佐伯の父が、新倉監督
に涙を流しながらお礼の言葉を伝えているのを見た時、
必死に堪えていたものが溢れ出した。

「お世話になりました。本当にありがとうございまし
た。」

 父は毎試合欠かさず、試合を見に来てくれていた。
常に大声でチームを応援してくれていて、誰が佐伯の
父なのかみんなが分かっているくらいだった。母とと
もにアメフトをやっている自分に、ありったけの情熱
を注いでくれた。佐伯は監督やコーチ、仲間たちにも
当然、感謝の気持ちを持っていたが、この4年間で一
番に感謝したいと思ったのは両親だった。
 佐伯は精一杯闘ったチームメイトを感慨深く見つめ
ていた。

「もう、お前らと一緒になることはないのか。」

 そして高校の時と同じように、ある想いが湧いてきた。

「このままじゃ、終われないな。」

 佐伯勇造は、社会人として再び闘うことを誓っていた。
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by officemigi | 2013-04-21 13:58 | アメフト | Comments(0)

4月19日

午前中は梅が丘で、散歩がてら羽根木公園経由で。

夕方から和氣チャンプの撮影。
1年前とは別人というか、素晴らしいと思った。
本当に尊敬できると思う。
今まで多くの選手を見てきました。
やはり、チャンピオンになることは容易ではない。
彼は東洋チャンプという枠では収まらないだろう。
どこまでも高く。
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撮影後、小澤大将の試合にいく。
凄まじ打ち合いだったが、小澤さんが負けた。
そうとう強い相手だった。
小澤さんの気迫も覚悟も申し分なし。
勝敗を分けるのは、一体なんだろうといつも思う。
ただ、勝った奴が強いということなんだろうか。

その後、世田谷の分かち合いの会にいくつもりだったが、
さすがに間に合わず。
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by officemigi | 2013-04-20 00:53 | 林建次の日々 | Comments(0)

4月18日

写真家アントン・コービンのドキュメント映画観る。
独自の世界観で多くのトップアーティストを撮り続けている。
シリアスな写真だと思う。誰をとってもアントン・コービンになる。
世界中を駆け巡り、U2、ルーリード、などアントンの写真を支持している。
このドキュメント映画を観る限り、彼は基本ネガティヴだ。

「自分は人間として未成熟だ。だからアーティストとして、その欠点を補ってるんだと思う。
だが結局、人間としてかなりの遅れをとっている。写真では本当の人間関係は築けないとわ
かった。」
なるほどなと思う。彼の写真はどこか悲哀を感じてしまう。
満たされない何かがあるのか、逃げてきたのかわからないけど、
アントン・コービンの世界は十分に理解できる。
写真家としては超一流だが、人間として果てしない葛藤を繰り広げて、
ようやく一歩を踏み出そうとしているように感じる。
撮る人間として、類似してる部分と、正反対の部分を発見できたのは収穫だ。

そして僕は土門拳さんを想う。
あの火柱のような執念のごく一端は理解出来ても、
本当の心の奥底はまだ理解出来ない自分がもどかしい。
それぐらい土門さんの写真に圧倒させられるのだ。
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by officemigi | 2013-04-19 02:11 | 林建次の日々 | Comments(0)

4月16日

返す返すも、鈴木武道さんには感謝です。
ありがとうございます。

さて、
山田くんという写真を勉強している方と
お会いする。
なかなか頑張ってるようです。

主に自分のやってきたことを話すのだが、
喋ることで、自分がなにをやってきたん
だかがよくわかる。

彼に経験を伝えているのだが、なるほど、
と思う。講演もそうだが、何より自分の
ためになる。

さすがに疲れたのだろうか、よい疲労感
である。

明日は午後から文藝春秋へ。
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by officemigi | 2013-04-16 23:30 | 林建次の日々 | Comments(0)

4月15日

本日は渋谷に納品を終え、その足で先輩の関根虎洸さんと
ご一緒させて頂きました。

関根さんは現役プロボクサーでありながら写真家である
という異色の肩書きで、ボクサーとして様々な国で闘い
ながら、自身の記録を収めてきました。

その作品がDOG & GOD
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これを見たときは衝撃だった。誰にも真似できないこと
いだった。
ボクシングを終えられても、写真の道を切り開き、
作家として生きている。

関根さんとお話していて思うのは、写真家としての
誇りを強烈に感じます。
カッコいいという言葉は生易しいですかね。
厳しい世界で孤高に生き抜いてきたからこそ、言葉に説得
力がある。
写真の先輩と語らうのは本当に久しぶりで、生き方も
含めて凄く勉強になりました。いい刺激です。
まだまだ話たりなかったですが、またよろしくお願いします。

沸々と心に何かが湧いてきた。
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by officemigi | 2013-04-16 00:09 | 林建次の日々 | Comments(0)