【オフィスミギ】晴れ男なものですから

カテゴリ:アメフト( 9 )


終われない想い


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渋谷桃子 SHIBUYA momoko マネージャー 田園調布学園

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「これで最後なんだ。」

いつもの様に慌ただしく試合の準備
に追われながら、渋谷桃子は思った。
12月の夕暮れが迫ったアミノバイタ
ル・フィールドは、2試合目の入れ
替え戦が終わったばかりだった。
 敗退して1部昇格を逃した学芸大の
選手やマネージャーが、涙を流しなが
ら戻ってきた。
渋谷はそれを見て、思った。

「勝ちたい、勝たなければならない。
このチームはその可能性を持っている。」

 チームを1部に上げること、それを証
明して、渋谷はすべてを終わりにしたか
った。日は陰り、照明がフィールドを照
らし始めた頃、ついに試合は始まった。
渋谷は戦況を見守った。いや、正確には、
彼女も、チームと一緒に闘っていた。
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 渋谷は中学、高校と6年間バスケット
に打ち込んできた。選手として充実した
日々を送っていた渋谷は、大学ではもう
体育会系の部活をするつもりはなかった。
何かスポーツのサークルでも入ろうと、
いくつか廻ってみたが、どれにするか決
めかねていた。そのうち、以前から、ア
メフト部のマネージャーから熱心に勧誘
されていた渋谷は、勧誘した先輩が同じ
学科ということもあって、友達について
きてもらい練習を見学しに行った。マネ
ージャーの先輩が楽しそうにやっている
のを見て、渋谷は雰囲気がいいなと感じ
ていた。しかし、いままで選手としてや
ってきた渋谷は、逆の立場となるマネー
ジャーなど出来るのか不安な部分もあっ
た。彼女は、4月の終わりにアメフトの
早慶戦を観に連れて行ってもらった。そ
こで初めてアメフトの凄さと迫力を知っ
た。ルールなどを教えて貰いながら、マ
ネージャーの先輩と打ち解けた渋谷は、
迷いはあったが、アメフト部のマネー
ジャーになることを決めた。自分でも、
ここまで決断できた理由は分からなかった。
 
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 中学、高校と女子校だった渋谷は、
男ばかりの世界というのは、初めてで
戸惑ったりもした。選手たちのハード
な練習を、最初は直視することが出来
ず、人間離れしていると思っていた。
一年目はとにかく雑用だった。選手の
ために炎天下の暑い日も、凍えるよう
な寒い日も、ひたすら、水くみなどで
グラウンドを走り廻った。様々な決ま
り事や、全体の流れを覚えるのに必死
だった。ただ、渋谷は6年間続けた部
活動のおかげで、要求に対応すること
は苦ではなかった。むしろ、忙しく動
き回るの方が楽しかった。
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 2年生になった渋谷は、新入生の勧
誘を初めて経験した。勧誘の仕方がま
だわからず焦っていた彼女は、本来し
てはいけない禁止されてるエリアで、
勧誘をしてしまった。このことがチー
ムの主将の耳に入り、こっぴどく叱ら
れてしまった。渋谷は来年から勧誘で
きなくなるのではないかと、責任を感
じて号泣した。その時初めて、自分一
人の行動がチーム全体に迷惑をかけて
しまうんだと自覚した。

 そんな出だしだったが、渋谷には学
生委員という役職が与えられた。選出
された各大学1名の代表者が集まる、
裏方でチームを代表する大切な役職だ
った。仕事内容は、他の大学の学生委
員とのやりとりをして、練習試合や合
同練習を企画、運営し、また関東学生
アメリカンフットボール連盟が主宰す
る会議に出席して、連盟から受けた通
達をチームに伝えることだった。他に
も多くの仕事を任されるなど、試合当
日はは1日に40回以上電話がかかって
くるのが普通で、大変なことは多かっ
たが、その分、やりがいも大きかった。
渋谷はこの仕事に取り組む中で失敗す
ることあったが、必死でこなしながら
学んでいった。様々なことを同時進行
させていくので、優先順位をつけなが
ら仕事を片付けていった。その結果、
3年生の時には、学生委員の仕事も見
事にこなせるようになっていた。ただ
伝えるだけでなく、何が最良なのか自
分の意見も言えるようになっていた。
この頃がマネージャーの仕事として、
一番充実していたと渋谷は言う。

「この仕事は、ずっとやっていたかっ
たです。でも2年間で交代という決ま
りがあるので仕方ないですよね。この
仕事のおかげで、もの凄く視野が広が
りました。」

 最後の年を迎えた渋谷は、学生委員
の仕事を後輩に引き継ぎ、マネージャ
ーとして全体を見て、円滑に流れるよ
うに、同期で主務の幅美幸のフォロー
をしつつ、後輩たちの面倒をみていた。
チームは最上級生となった6人の同期
の選手たちの中から、主将は伊藤淳太、
副将は佐伯勇造となった。だがあとの
副将は同期からではなく、3年生の近
藤圭介と齋藤龍太郎だった。3年生の
彼らが副将となることに対して異論は
なかったが、本来は4年生から選ばれ
るはずで少し残念だった。今の4年生
は、選手としてのスキルの高さは認め
られても、チームを引っ張っていくこ
とに関して頼られていないのかと実感
した。1部リーグで全敗していた2年
生の頃に、さまざまなことから同期の
チームメイトの多くが辞めていった。
そういう苦しいこともあって残ってき
た6人だからこそ、あと少し頑張って
後輩たちに示してほしい、と願うよう
な気持ちがあった。渋谷は今年で最後
となる同期の彼らを、幅とともに、な
んとか支えていきたいと強く思ってい
た。
 
 チームは2部優勝して、入れ替え戦
の出場を勝ち取った。渋谷は嬉しかっ
た。マネージャーとして何より嬉しい
のは、チームが勝った時だった。一見
、控えめそうに見える渋谷が言った。

「サポートしてきたことが報われる瞬
間ですね。選手が闘って勝った時が、
本当に嬉しい。私はフィールドに立つ
ことはなくても、チームメイトとして
一緒に闘っているつもりなんです。マ
ネージャーの仕事ですらも、チームの
戦力になってるはずだって思っている
し、思いたいんです。最後は絶対に勝
ちたいです。」

 渋谷は辞めていった多くの同期に対
しても、みんなで結果を出して証明し
たかった。
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2012年12月8日、アミノバイタル・
フィールドは、寒さの中でナイターの
試合が進んでいった。上智は駒澤を出
だしから圧倒していた。3Qで伊藤淳
太がタッチダウンを奪うも、4Qに入
り、さらに点差は広がり31対7となっ
ていた。しかし、フィールドの立つ選
手やサイドラインの監督、コーチ、マ
ネージャーたちも必死で闘っていた。
残り時間が無くなっていく中で、渋谷
は、もはや勝てる状況ではないことを
悟っていた。何も考えられず、呆然と
していた。その時、彼女はある感情が
湧いてきたことに気付いた。
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「このままでは終われない。社会人に
なっても、マネージャーをやってみたい。」

試合が終わり、伊藤淳太が観客席にむ
けて皆を整列させた時、渋谷は顔を上
げられないくらいに泣いた。観客席に
は父や、先輩や友人たちが見守ってい
た。終わってしまったという寂しさと、
勝つことが出来なかった悔しさ。さま
ざまな想いがこみ上げてきた。だが、
泣いてばかりもいられない渋谷は、マ
ネージャーとして最後の仕事をこなし
ていった。自分に湧いてきた感情に不
思議だなと思いながら。

 渋谷は振り返って言った。

「楽しかったことしか思い出せないで
す。辛いこととか、大変なこともあっ
たけど、忘れました。そして、まさか
私が社会人でマネージャーを続けたい
なんて思うなんて。自分でも、驚いて
いるんです。就職したら土日は普通に
休んで、暮らしてくものだと思ってい
たんです。それが、どこのチームなら
入れそうかなとか考えてる自分がいる
んです。」

 4年生は入れ替え戦で戦い終えたそ
の日に、食事をした。その後、みんな
は帰ると言ったが、渋谷はどうしても
カラオケに行きたいと強引に連れて行
った。

「私、カラオケが、死ぬほど好きなん
です。生きてる瞬間で一番好きかも。」

 普段、控えめで大人しそうに見える
彼女の意外な一面だった。

「歌うことも好きなんですが、みんな
を楽しませるのが好きなんです。」

 彼女は、そう言って笑った。
 渋谷は、最後に勝てなかった悔しさ
を吹き飛ばすかのように歌い、みんな
にも歌わせて、大いに楽しんだ。結果
は出せなかったけれど、頑張って闘い
抜いた4年間を、みんなで肯定したか
ったのだろう。

 最後の試合が終わるあの瞬間に、彼
女の心にかすかな灯火が宿った。
 もしかしたら数年後、渋谷桃子は社
会人のマネージャーとして、どこかで
闘っているかもしれない。
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by officemigi | 2013-05-16 09:27 | アメフト | Comments(0)

全ては尊敬する人のために

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島瀬信利 SHIMASE Nobutoshi SB/LB 東京都立石神井

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 2012年の秋季リーグ戦が開幕した。
1部リーグを目指すチームは初戦を迎え、程よい
緊張感に包まれていた。これが最後のシーズンと
なる4年生の島瀬信利は、張り裂けそうなくらい
に緊張していた。うまくプレー出来るのか、不安
が気持ちを支配していた。島瀬はこれまでを振り
返って、ようやくここまで辿り着いたとう感慨が
あった。入部してから3年以上ずっとケガの連続
で、そのほとんどが手術やリハビリに費やされて
いた。彼は、選手として初めての試合を迎えよう
としていた。やっとフィールドに立つことが出来
る。何よりも、望み続けたことだった。
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 島瀬は一般入試で駒澤に入学した。高校時代に
バンドに熱中していたが、大学では何をしようか、
まだ決めてなかった。都立石神井高校でラクビー
をやっていた島瀬は、駒澤大学のアメフト部にラ
クビー部の先輩がいたことを知った。先輩の熱心
な勧誘に島瀬は、断るよりは入部した方がた楽だ
と思ってアメフトを始めた。高校時代やっていた
ラクビーもケガの連続で鼻で陥没骨折を2回した
り、両足の靭帯を切ったりと大変な目に遭ってい
た。実際にプレーできたのは1年半だった。しか
し、大学で島瀬はさらにきつい思いをすることに
なってしまう。

 1年生の10月の練習中だった。島瀬はパスを取
って、初めてのタッチダウンを決めた。気を緩め
たその時、強烈なタックルを貰った。大怪我だっ
た。島瀬の右肩は、あらぬ方向へ曲がってしまっ
た。強い痛みを感じた。だが、島瀬は痛みに対し
て、かなり免疫があった。本来スポーツはそいう
ことがあって当たり前で、これくらいはみんな我
慢するものだろうと思った。いいのか悪いのか判
断出来ないが、ここが島瀬の不思議な魅力でもあ
った。次の日も痛みを堪えて、練習に行ったとこ
ろ、チームメイトに言われた。

「なんか、肩がへこんでるよ」

 よく見るとあきらかに陥没していた。病院でレ
ントゲンをとったら、脱臼と靭帯損傷と骨折とい
う最悪な状態だった。気落ちはしたが、なってし
まったことはしょうがないと気持ちを入れ替える
ことが出来た。独特な考えを持つ島瀬は、放って
おけば治るだろうと思い、そのままにしていたが、
それでは治るはずもなく、翌年の2月になってよ
うやく手術をした。島瀬にとってこの1年は、つ
らい思い出しかなかった。
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 手術後、練習も出来ずに悶々としていた島瀬は、
信じられないくらいの有名なバンドからメンバー
にならないかという誘いが来た。それは70年代に
活躍した、イギリスの「レイプド」というパンク
バンドだった。ひょんなことから来た話だったが、
そうそうあるチャンスではない。アメフトをやめ
てバンドをやろうか。

「一度部活に入ったら、辞めるもんじゃない。最
後までやり切るのが当たり前だと思う。」

 そう言い続けていた島瀬の気持ちが始めて揺ら
いだ。怪我もあって迷っていることを、新倉監督
に相談した。思わぬ答えが返ってきた。

「チームとしては残念だが、プロのバンドに行く
べきだ。そんなチャンスはない。アメフトでいう
なら、認められてNFLに行くようなことだから。」

 新倉監督は、快く送り出そうとしてくれた。
それは、島瀬にとって衝撃だった。

「こんな自分を応援してくれる人を、裏切っては
いけない。」

 初めて、監督へ尊敬の念が生まれた。自分のこ
とより、新倉監督のために頑張りたい。そして、
チームに貢献したい。島瀬は、アメフトを続ける
ことを強く決心した。
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 しかし、島瀬の試練はまだ続く。2011年、2
年生だった11月、ようやく復活したかと思った矢
先、再び両足の靭帯が切れかかり、歩くのも困難
な状況になる。チームをサポートしながら辛抱し
て年を越し、翌2012年2月から再び練習に参加
するが、3年生となった 4月になって、タック
ル練習で頸椎を痛めてしまう。頸椎は神経層があ
り激しい頭痛も伴った。コルセットを首に撒き、
とにかく動かず、安静にしながら時を待った。そ
して10月に復活をするが、今度はまた練習中で左
手の親指を粉砕骨折してしまう。チームのサポー
トを続けながら4年生となり、2012年4月に練
習に合流するが、そこで信じられないことに、百
日咳という病気にかかってしまう。咳が止まらず、
血を吐き苦しんで1ヶ月間チームから完全に離れ
た。

怪我のオンパレードで、とどめが病気だ。永遠に
アメフトは出来ないんじゃないか。いくら島瀬で
も、今回はさすがに参っていた。だが、5月から
は、今までのことが嘘のように、何事も起こらな
かった。島瀬は練習に集中した。とにかく必死だ
った。同期はもう4年目の実力があったが、島瀬
はいってみれば1年生と同じ経験値しか持ってい
なかった。スターターなんてとても無理だろう。
ワンポイントのポジションでもいいから、試合に
出て、チームに貢献したかった。島瀬は厳しい夏
の練習を乗り切り、初めて選手としてリーグ戦を
迎えた。

 緊張で何が何だか分からないうちに、試合は終
わった。とりあえず、チームが勝利していたこと
に安堵した。島瀬は怪我をした選手の代わりに出
場したのだが、今まで外から見てきた感覚と、実
際にフィールドに出て戦った感覚のズレは大きか
った。それを埋めるために、もっとアメフトを理
解しなければならないし、練習もしなければなら
ない。
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 島瀬は試合を重ねるたびに、プレーの精度を上
げていった。いままで何もできなかたことを晴ら
すかのように、フィールドを走り回った。チーム
は連勝を重ねて、リーグ戦を制し2部優勝を飾っ
た。チームの目標であった1部リーグ昇格は、入
れ替え戦に勝つことで果たすことが出来る。密度
の濃い7試合を経験した島瀬は、急激に成長し、
選手として最高の状態となっていた。

 そして、チームは上智戦を迎えた。そこでは、
イメージしていたゲーム展開にはならなかった。
上智は足が速くて、ヒットの強い選手が多かっ
た。点差が開いていく中で、島瀬は勝利が遠の
いていくことを感じていた。それでも、精一杯、
闘うしかなかった。試合後に涙した島瀬は、悔
しさを露にし、やはり勝って終わりたかったと
言っていた。そこには尊敬する新倉監督と後輩
たちに対して、申し訳ないという思いがあった。
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 数日後、島瀬は全てが終わって安堵していた。

「もう誰かと争わなくていいんだ。レギュラー
争いだったり、対戦相手だったり。好きな本を
読んで、映画を見て、音楽を聞いて。もともと、
そういうことが好きなんです。」

 3年間は地獄を味わったが、最後の1年は充実
した日々を過ごした。この4年間で得られたもの
はあるか、との問いに島瀬は、少し考えてから、
ためらくことなく素直に答えた。

「カタチになるものはないです。何か思い浮かぶ
ものもないんです。ただこれから生きていく中で、
アメフトをやっていてよかったと思えることがあ
るんじゃないでしょうか。続けてきたからこそ、
知らずに強くなっている自分に気付くことが出
来たんです。」
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 島瀬は、自分のためにアメフトをやってきたと
いう感覚はなかった。なにより、熱い思いをもっ
て、自ら望んでチームに入ったわけではなかった。
ただ、入ったからには、最後までやり抜くものだ
という絶対的な信条があった。それは古風なとこ
ろを持ち合わせている、島瀬独特の個性だった。
満身創痍の身体でも、それに耐えうる精神と身体
を持ち合わせていた。そして、新倉監督の男気に
惚れ込んだからこそ、何度も大怪我をしていても、
続けてこられた。

 島瀬信利は、自分のことよりも、尊敬する人の
もとで生きることで、忍耐を養い、その潜在能力
を発揮してきた。まるで、君主に使えるサムライ
のような。

「あんなに試合に出れるなんて思ってなかった。
一番嬉しかったのは、最後の試合で、スターター
に選ばれたことです。誇りです。本当に嬉しかっ
た。」

 怪我だらけの男は、胸を張って言い切った。
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by officemigi | 2013-05-15 07:58 | アメフト | Comments(1)

与えられた試練の先に

櫻井裕太 SAKURAI Yuta OL/DL 麻布大渕野辺

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 チームはリーグ戦を勝ち進んで、2部優勝を狙
える位置にいた。最後のシーズンを送る4年生の
櫻井裕太にとって、本来は喜ぶべきことだった。
だが、彼はこれまでの秋季リーグ戦に1試合も出
場していなかった。どんなに望んでも、出れない
ことは分かってはいた。しかし、プレーヤーとし
てフィールドに立ちたいという欲求は捨てられな
かった。自分はこのまま終わってしまうのだろう
か。残された試合は入れ替え戦を含めても、残り
3試合だった。やり切れない想いを抱えたまま、
チームを見守るしかなかった。試練にしては、あ
まりに厳しすぎる現実を、櫻井は突きつけられて
いた。

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 2012年に入ってのことだ。櫻井は身体に違和
感を覚えていた。筋トレ中に、左右の力の入り具
合が違うことを感じた。それに、いつもより重く
感じる。疲れているのだろうか。さらに自宅付近
を軽く走っていた時に、左足につまずいて3回も
転んでしまう。おかしい。こんなことは今までに
なかった。練習中も、まるでパンクした自転車に
乗っているかように身体が重く感じられた。自分
ではいつものように走っているつもりだったが、
同期の磯部に言われた。

「お前、走り方おかしいよ。」

 櫻井は、片足で10秒も立っていられないことに
気づいた。これはまずいかもしれない。自分の身
体に異常があることを、認めなければならなかっ
た。

 櫻井は病院へ行った。レントゲンで、脳に腫瘍
らしきものがあることだけが分かった。さらに検
査手術で頭を開いた結果、脳が炎症を起こしてい
ることが発見され、「多発生硬化症の疑い」と診
断された。多発生硬化症とは、脳や視神経などに
病変が起こり、様々な神経症状が再発を繰り返す
疾患で、未だ原因不明の指定難病とのことだった。
次、もし再発すれば、アメフトをやるどころか、
社会生活に支障をきたすことを覚悟しなければな
らなかった。やがて、一時期の症状はなくなり、
櫻井の身体はいつものように戻っていた。だが、
彼のポジションはハードコンタクトがあるオフェ
ンスラインだった。チームとしては、プレーさせ
るわけにはいかなかった。だが、櫻井は現役最後
となる、2012年に賭けていた。
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 それは、苦しかったこれまでを、ようやく乗り
越えて来たからこそだった。スポーツ推薦の櫻井
は1年生の時から試合に出てチームに貢献してき
たが、2年生になると、本来の面倒見のよい性格
が認められ、下級生の教育係になった。一生懸命
やっていたが、その分、自分のスキルアップが全
く出来ずストレスになっていた。さらに、スポー
ツ推薦の同期の多くが辞めていくというトラブル
もあった。チームも1部で全敗という状況で、せ
っかく昇格したのに1年しかもたず、2部降格に
なった。そして、3年生となった櫻井はオープン
戦で、スターターから外されてしまう。気がつけ
ば、不平、不満ばかりを言って独りよがりになっ
ている自分がいた。ありのままを真摯に受け止め
て、変わらなければならなかった。一度、スター
ターから外れたことは、自分自身を見つめ直し、
チームの一員として自分に出来ることは何かを考
える機会になった。だからこそ、最後の年を全力
で取り組みたかった。しかし、肝心の年に、多発
硬化症の疑いに見舞われるという、大きな試練が
待っていた。櫻井は神様を恨みたくなった。納得
がいかない。どうしても試合に出たい。櫻井は、
練習も試合も、学生スタッフとなっている同期の
千尋と同じく、チームをサポートする側にまわっ
ていたが、いつでも試合に出てもいいように、密
かに筋トレもしていた。モチベーションを維持す
ることが出来ずに、心が折れそうになることは、
何度もあった。ただ表向きは、最上級生として振
る舞わなければならない。落ち込んでいる素振り
は見せず、嫌われようとも懸命に後輩たちを指導
した。
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 そんな日々の中で、櫻井は僅かな可能性に賭け
ていた。あきらめることなく、打診を繰り返した
結果、やっと医師の許可書が出たのだ。あとは、
チームの判断にかかっている。新倉監督と墨田ト
レーナーに「試合に出たい」と直訴した。しかし、
新倉監督は、何が起こるか分からない状態である
選手に、プレーをさせるという選択は取れなかっ
た。何度も懇願する櫻井に、彼の心は揺れていた
のは事実だった。櫻井の気持ちは痛いほど分かる。
学生最後の年に思う存分、闘わさせてあげたい。
だが、涙を堪えて言い切らねばならなかった。

「プレーヤーとして残り、チームのために闘うこ
とも大切だと思う。だけど俺は、お前を健常者と
して卒業させてあげたい。オフェンスラインのポ
ジションではダメだ。」

 櫻井は泣いた。わがままなのは分かっていた。
だが、試合に出るならば、どうしてもオフェンス
ラインのポジションでやりたかった。彼は高校2
年から、アメフトを始めた。通っていた高校には
アメフト部がなかったので、よその学校の部活に
参加していた。そこまでして、やってみたいとい
う憧れを、中学から持っていた。当初、ラインを
任された櫻井は、もっと目立つポジションをやっ
てみたかったが、実際に経験してみると、やりが
いがあることが分かった。ある練習試合の時だっ
た。櫻井が相手をブロックしてスペースを作った
ところを、ランニングバックが走り抜けていった。
自分が味方の道しるべを作る。これだ、と思った
。以来、櫻井は、そのポジションに誇りを持って
いた。

 だが、新倉監督としては、接触の危険を伴うラ
インで櫻井を出場させるわけにはいかなった。彼
は考え抜いた結果、コンタクトの可能性がほぼな
い、スナッパーという役目を櫻井に与えることに
した。フィールドゴールを狙う時のみに発生する、
ワンポイントのポジションだった。

「体を壊すことなく、チームの人間として、最後
まで残って欲しい。」

 新倉監督の櫻井に対する、最大限の愛情だった。
それを感じ取った櫻井は、自分の気持ちに折り合
いをつけて、与えられた新しいポジションを全う
しようと決めた。監督やチームに対して責任感が
湧いてきた。彼はスナッパーの練習に集中した。
リーグ戦終盤で、櫻井のシーズンは、ようやく始
まろうとしていた。

 2012年11月11日、4勝1分で迎えた第6戦。
2部優勝の瞬間は迫っていた。駒澤は今シーズン
最高のプレーを展開して、1部常連校の東海大を
31対9と圧倒していた。4Q、残り時間はもうほ
とんどない。ラストプレイ。これ以上ないシーン
で、ついに櫻井はスナッパーとしてフィールドに
立った。言葉にならないくらい嬉しかった。サイ
ドラインからは、チームメイトの声援が聞こえる。
だが、試合慣れしていない櫻井はミスをしてしま
った。このプレーがきっかけで、東海大に失点を
許してしまったが、勝負に影響するものではなか
った。チームは優勝して喜びに湧いている中で、
櫻井は悔し涙を流した。失点のきっかけを与えて
しまったことに責任を感じていた。だが、これま
での櫻井の苦労を想い、皆が気遣ってくれた。

「練習だと思ってください。入れ替え戦が本番で
すから。それまでに、しっかり仕上て下さいね。」

 キッカーで副将である後輩の三年生、近藤圭介
は笑ってねぎらってくれた。櫻井は皆の温かさに
救われていた。

 入れ替え戦は、完全に上智に支配されていた。
チームは3Qですでに4つのタッチダウンを奪われ
ていた。12月に入り、寒さが厳しくなったフィー
ルド脇で、櫻井はいつでも出られるように、戦況
を見守りながら黙々とアップしていた。重苦しい
空気が流れる中で、ようやく、ワイドレシーバー
の伊藤淳太がタッチダウンを奪う。
フィールドゴール。櫻井の出番がやって来た。彼
は慌てることなく、フィールドに出て、冷静にプ
レーした。最後の試合に出られる。櫻井は同期の
伊藤が決めたタッチダウン後のプレーだったので、
なおさら嬉しかった。チームの士気は上がった。
「なぜか、試合が終わるまで負けるんだという感
覚はなかった。点差が開いたからといって、手を
抜くことは絶対にしたくない。」
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 試合終了のホイッスルが鳴った。チームは完敗
した。櫻井は観客席の両親の姿を見た時に、涙が
溢れ出した。
思えば、この1年、ずっと心配をかけっぱなしで
あった。

「いいチームでした。監督にも恵まれた。最後は
大きな試練だったけど、結果的に自分は運がいい
と思いました。この4年間で得たものは、周りへ
の感謝。これしかないんです。」
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 彼は与えられた試練を乗り越えた。これからも
病気のことはつきまとうかもしれないが、葛藤し
ながら闘い抜いた1年間の経験が、彼にとって意
味のあるものに変わった。その価値は生涯、色褪
せることはないだろう。

 試合が終わって、数日後、彼は後輩から何気な
く声をかけられた。

「解放された顔をしてますね。」

 そうかもしれない。櫻井裕太は、「フットボール」
を無事に「終える」ことをようやく実感した。
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by officemigi | 2013-05-09 10:31 | アメフト | Comments(0)

葛藤の果てに

磯部 亘 ISOBE Wataru TE/LB 足立学園

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 チームは入れ替え戦に勝利することが出来ず、
1部リーグ昇格の夢は叶わなかった。この試合
が最後となった4年生たちは涙を流していた。
すべてが終わってしまった。磯部亘は、同期の
彼らが涙する理由を十分に理解していた。この
代は2年生の時に、多くの同期が裏切るように
辞めていった。悔しかった。辞めていった彼ら
に対して、1部で闘えることを証明したかった
という想いは、みんな持っていたはずだ。伊藤
淳太や、千尋海渡、あの斎藤大樹まで人目もは
ばからずに、泣いていた。そんな彼らを見て、
磯部も一瞬、心が揺れた。しかし、すぐに冷静
を保って、無意識に周りの状況を判断していた。
磯部も精一杯闘った。当然、悔しさや、後輩た
ちに対しての申し訳なさも感じていた。
「俺は、涙を流しちゃいけない。」

 磯部は中高一貫校の足立学園でバスケットボ
ールに情熱を捧げていた。練習や上下関係など、
相当厳しかったが、6年間やりきって、燃え尽
きたという想いがあった。この時に感じた達成
感は、何者にも代えられなかった。
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「毎日が練習漬けだったけど、本当に楽しかっ
た。チームが負けたとしても、1対1のマッチ
アップには負けたことはなかった。自分がスキ
ルアップしていくことが嬉しかったです。」

 しかし、磯部はチームに対して心を開くこと
が出来なかった。小学生の頃から、なんとなく
自分は相手や状況ばかりを考えていて、自分の
芯を持っていないように感じていた。表向きに
は人と良好な関係を築くことも出来たが、本当
の心の中を見せることはなく、つかみどころの
ない存在に自分はなっていると思った。磯部は
このままではいたくなかった。そういう心の殻
を破ってみたい。腹を割って人と向き合うこと
が出来るようにならなければと思っていた。磯
部の通っていた足立学園にはアメフト部があり、
全国でも有数の強豪だった。大学へ進学して、
アメフトを続ける同級生も多く、また、バスケ
ットボール出身者であっても、大学でも活躍す
るケースが多かった。友人から大学で一緒にア
メフトをやってみようと誘われた。アメフトは
チームで「殺してやる」といったような、激し
い気持ちを持って挑んでいく、特殊なスポーツ
だと聞いていた。磯部はそういう熱い連中の中
に入っていけば、もしかしたら自分に足りない
ものが得られるんじゃないかと思った。そして
磯部は友達の熱い想いに、促されるように、ア
メフトに魅了されていった。勉強はろくにして
こなかった磯部だが、なんとか駒澤大学へ進学
して、アメフトをやることを決めた。そこにあ
るはずの「何か」を求めて。
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 磯部は6年間バスケで鍛え上げて来た身体能
力を生かして、1年生から試合に出場していた。
戦術はなかなか理解するのは難しかったが、確
実に成長していった。2部優勝と入れ替え戦に
勝利して、チームは1部リーグへ行くことが決
まった。素晴らしい先輩たちにも恵まれた1年
目は、本当に楽しいと思える日々だった。
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 2年生となった磯部は、後輩たち対していろ
いろ指導しなければならなかった。今までのよ
うに、甘える環境ではなくなっており、しっか
りしなければと思った。そんな中、磯部は日大
との合同練習中で大ケガをした。右肘が脱臼し
てしまい、内側の靭帯は断裂、外側の靭帯はの
び切ってしまった。復帰まで手術、リハビリで
4ヶ月を要した。チームは1部リーグの厳しい
洗礼を浴びて、1勝も出来ずにいた。多くの同
期が辞めていったり、ケガ人も続出していたチ
ームは、いい状態と言えるものではなかった。

 2部リーグに落ちた翌年もチームは足踏みし
てしまい、結局、入れ替え戦に出場することは
なかった。最後の年を迎え、最上級生となった
磯部たちの代は、リーダーシップがとれてない
と新倉監督から叱られていた。チームをどう引
っ張っていくかの話し合いで、主将の伊藤淳太
を4年全員でサポートしていこうと決めた。
磯部自身も意識を変えて、最後の年に望もうと
していた。
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「ワタル、お前優しすぎるんだよ! ハードに
いけよ! 鬼になれよ、鬼に!」

 よく新倉監督に言われたことだった。言って
いる意味や、期待されているのは十分に分かっ
ていた。磯部は目の前の相手を殺しにいくよう
な気持ちを、持たなければならなかった。

「メットを被っている間だけでも、絶対に鬼に
なれなければいけないのは、分かっていました
。でも、どうしても、そうなり切れない自分が
いるんです。もしかしたら、この激情を必要と
するスポーツに向いていないんじゃないかと感
じていました。それを求めていたはずなのに。」

 だが、磯部は苦くても、始めたからには最後
までやり切ると決めていた。その考えに対して、
揺らぐことは一度もなかった。

 リーグ戦終盤を迎えて、チームは4勝1分で、
2部リーグ優勝を決める東海戦を控えていた。
磯部は大事な試合を前に、練習中にケガをして
しまう。右手の中指と薬指で骨折で手術をした。
チームは勝利して優勝を決めたが、磯部は出場
できなかった。次に1試合を挟んで、入れ替え
戦を迎えるのだが、磯部はこの最後の試合に無
理をしてでも間に合わせてようと考えていた。
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「あぁ、もう終るんだな。」

 磯部は自分が1年生だった頃の4年生の先輩
を想った。怖かったけれどあの素晴らしい先輩
たちのおかげで、本当に充実した時間を過ごす
ことができた。結果、自分たちを1部リーグへ
導いてくれた。今の自分は先輩たちのように、
後輩に何かを与えることが出来ているのだろう
か。自分自身、成長することが出来たのだろう
か。振り返って、磯部はそんなことを考えてい
た。
 磯部は常に、最悪の状況を想定する気質を持
っていた。一歩引いたところから、物事を冷静
に眺めて状況を判断して行動する。それはディ
フェンスリーダーとしての役割を担うのに十分
な才能だった。たとえば、チームでエースライ
ンバッカーの後藤生織が倒れた場合どう対処す
るかとか、その他の試合の様々な起こりうる状
況も考えに考え抜いていた。そして、みんなで
勝ち取った入れ替え戦で、もし負けてしまった
時、この試合に賭けてきた同期の仲間はどうな
るのか。1部リーグでプレーを夢見ている後輩
たちが、どんな思いをするのか。期待をしてい
てくれている新倉監督やコーチたち、支えてく
れているマネージャーたち・・・

「負けるわけにはいかない。」

 磯部は入れ替え戦を闘って、チームを1部リー
グに上げることを強く願っていた。

 上智は強かった。相手の個人の能力の強さもあ
ったが、磯部はディフェンス・リーダーとして責
任を感じていた。点差は開いていき、4Qに入った
頃には、もやは勝つのが厳しい状況になっていた。
悔しかった。だが磯部はディフェンスとして、や
られっぱなしで終わるわけにはいかなかった。た
とえ負けることになったとしても、相手に突かれ
たところを素早く対応して、やり返すことが出来
るのを示さなければならないと思っていた。これ
から先、自信を持って生きていくためにも、後輩
たちに何かを示すためにも。


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 磯部は振り返って言った。

「勝ちたかったし、勝たせてあげたかった。期待
に答えられないことに、申し訳ないという気持ち
が大きかった。自分みたいなやつが、ディフェン
スリーダーをやってたから、こういう結果になっ
たんじゃないかなって。たた、この部活をやって
よかったです。多くの仲間たちと出会えたから。
彼らと腹を割って、話せるようになれたと思いま
すよ。」

 磯部は常に自分よりも、相手や状況を優先させ
ていた。そういった性格は、磯部自身この激しい
競技を続けていっていいのだろうかと想い悩ませ
ていた。いろんなことがあっても、この4年間ア
メフトを続けてきたのは、事実だった。

 磯部は何気なく、こんなこいとを言っていた。

「自分の肩書きは駒澤大学仏教学科卒業というよ
り、駒澤大学アメリカン・フットボール部卒業と
言った感じです。」

 自分を認めた言葉だった。
 それは、磯部亘がこの4年間に誇りを持っている、
何よりの証だった。

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by officemigi | 2013-04-26 02:03 | アメフト | Comments(0)

敗戦からの旅立ち

伊藤淳太 ITO Jyunta WR/DB 東京都立芦花高校
 
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「主将、伊藤淳太!」

 伊藤は我が耳を疑った。毎年リーグ戦が終わり、
納会が来年度の主将を発表する場だった。自分に
は関係ないことだと思っていた。おそらく、何か
と面倒見のいい櫻井裕太になるんじゃないかと呑
気に高をくくっていた。だが、自分が主将だと指
名されている。これは何かの悪い夢ではないのか。

「嘘だろ。これからどうしよう。」

予想もしてなかったことと、責任の重さに暗い気
持ちになった。過去を振り返っても、伊藤はリー
ダーになったこともないし、なりたいと望んだこ
ともなかった。どうして俺が、と思った。
 伊藤淳太は学生最後の年を、駒澤大学アメフト
部の主将として迎えなければならなかった。純朴
な青年の苦しい1年が始まった。
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 伊藤は高校時代、バスケットボールに熱中した。
都立ではレベルの高い学校で、部員として認めら
れるのも大変だった。高校1年の時、顧問の先生
に言われた。

「能力的にプレーヤーとしは無理だから審判でも
やるか」

悔しかった。人よりも特別な身体能力はないと思
っていた伊藤は、認められたい一心で朝から晩ま
で厳しい練習に励んだ。そして3年生の時に、よ
うやく試合に出れるようになる。何より監督に認
められたのが嬉しかった。ダメだと言われた自分
が努力によって這い上がり、チームにとって目標
達成するための戦力になれたこと。それが最高の
経験だった。以後、この時の経験が伊藤を突き動
かす原動力となる。
 
 伊藤は部活動を真剣に取り組んでいたが、勉強
は真面目に取り組むことはなかった。大学に行き
たいと望んだのも、スポーツをして、また高校の
時のような体験をしてみたいという単純なものだ
った。とりあえず、体育系の大学を受けてみたが、
やはり落ちてしまった。大学へ行きたいので浪人
したいと親に懇願した。

「勉強もしていないのに、何が大学だ。浪人する
ぐらいなら自分で働け。」

そう言われて家を追い出されてしまった。伊藤は、
住み込みで新聞配達をしながら予備校へ通う。午
前2時半に起きて朝の7時まで朝刊の配達、その
後勉強して、また夕方の3時から夕刊を配るとい
う、仕事の毎日を過ごした。単調とした刺激のな
い毎日に、何をやってるんだろうと思うこともあ
った。結局二浪した後に、2009年3月、駒澤大
学になんとか合格する。彼は胸をなで下ろした。
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 伊藤は大学でバスケットをしようと考えてみたが
、バスケットは2部でも3部でも全国レベルの選手
が集まり、都内で少し強かった程度の自分では無理
なんじゃないかと弱気になった。どうしようか思っ
ていたところに、アメフト部の熱心な勧誘があり、
詳しいルールも分からないまま入部した。伊藤は二
浪していたが、毎日自転車で新聞配達をしていたお
かげで、高校時代の厳しい練習によって作られた基
礎体力を維持していた。そして1年目から試合に出
場することができた。それは伊藤の能力の高さを示
すものだったが、高校の時のように、這い上がって
ポジションを掴み獲るということもなく、なにか拍
子抜けしていた。

「1年の時は、がむしゃらにやっているだけでよか
った。先輩たちにのおかげで、1部へ上がることが
出来たんです。先輩たちに甘えていた分、やり切っ
たという達成感をあまり感じられなかったんです。」

伊藤は、プレーヤーとしての能力を上げることだけ
を考えていた。1対1の状況で、自分の能力で勝つ
ことができるかどうか。足りないものをどう補うか。
それを追求することが楽しみだった。しかし、それ
が出来たのは2年までで、3年からポジションリー
ダーをまかされる。伊藤は、いままで人を教えたり
、まとめたりすることがなかった。とまどうことも、
しんどいことも多かった。チームは2部リーグで停
滞したまま、2012年、伊藤にとって最後の年を迎
える。まさか自分が主将になるなど、この時は思い
もしなかった。
 
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 主将となった伊藤は、チームを引っ張って、なんと
か責任を全うしようと思った。不安だらけだったので
、かつての主将にどうすればよいか相談したりもした。
やったこともないことばかりで、気持ちが落ち着く日
はずっとなかった。始めの頃は、ハドルでも皆になか
なかうまく言葉を伝えることは出来ず、チームをまと
めるどころではなかった。「だめだな、俺は」と思う
散々な日々だった。ただ、伊藤の純朴で、真っ直ぐな
性格には、周りがなんとか助けなければと思わせてし
まうところがあった。それが、この男の長所でもあった。

「自分は主将として至らぬことばかりでした。本当に
まわりに助けてもらってばかりで感謝しかないです。」

 今年の4年生はリーダーシップが足りないと言われ
ながらも、日々なんとか役目をこなしていた。


 伊藤には、この年に期するもがあった。なにがなん
でも入れ替え戦に出場し、1部昇格を勝ち取らなけれ
ばと決意していた。
「このチームでは先が見えない。」
 2年生の時、そう言って辞めていった多くの同期がい
た。悔しかった。だからこそ、最後に揺るぎない結果を
出して、残った自分たちが間違っていなかったことを証
明したい。この4年間を価値のあるものにするには、結
果を残すことだった。
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 2012年のリーグ戦を闘い続けてトップを走ってきた
チームは、6戦目で優勝を賭けた試合に挑んだ。そして
、2部最強と言われた東海大に完勝する。伊藤は不意に
涙が溢れた。

「生き残ったんだ。」

 嬉しかったというよりも、入れ替え戦を決めれたこと
に心底、安堵した。主将として特別なことが出来たとは
思わなかったが、目標の1つはクリアしたのだ。チーム
がプレッシャーのかかった大一番で、力を発揮出来たの
が何より嬉しかった。

 そして、入れ替え戦の相手は上智に決まった。昨年2
部リーグで対戦し、僅差で敗れていて、そのリベンジで
もあった。泣いても笑っても、これが最後となる試合に、
伊藤は主将としてやるべきことを実行した。それはかつ
て選手として共に過ごし、今はスタッフとしてチームを
支えてくれている同期の千尋海渡に対してのことだった。
彼は練習中の怪我で脳出血により、選手として1年で引
退していた。その後、献身的にチームを支えてきた千尋
の選手時代の背番号は「16」。それを、全ての選手の
ヘルメットに付けることを皆に提案した。

「千尋と共に闘う。」

 チームが千尋の想いを背負っていることを、形にした
かった。
 そして伊藤は、上智戦を控えた練習後のハドルで皆に
語りかけた。

「上智に負けるのが怖い。それを考えたら、本当に怖い
よ。でもだからこそ、その恐怖を乗り越えて皆で闘おう。
それを克服して、上智に勝って1部リーグへ行こう。」

 そう言い切った伊藤の姿は、チグハグで自信がなかっ
た頃とは違い、主将としての存在を皆に示していた。
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 12月8日の夕刻、アミノバイタル・フィールドで決戦
は始まった。あの上智は、さらに強くなっていた。昨年
同じ2部リーグで対戦したチームではなかった。1部で
闘ってきた上智の実力に、駒澤は圧倒されていた。試合
のスコアは3Qで、すでに27対0だった。逆転するには
かなり厳しい状況の中で、ついに上智から伊藤がタッチ
ダウンを奪った。曇っていたチームの士気は上がった。

「よし! ここからだ。」

 しかし、動揺することもない上智は、さらに4Qで追
加点を奪い31対7とする。残り時間は3分を切っていた。
皆、必死で闘っていたが、敗北という重い空気が流れ始
めていた。それでも、伊藤は勝負を捨てていなかった。
必ず勝って1部リーグへ行く。しかし、敗色濃厚のハド
ルの中で誰かが言った。

「来年に繋げるためにも、諦めずにしっかり闘い切ろう。」

 伊藤はそれを聞いた瞬間、頭の中で何かが飛んでいった。
初めて、現実を受け入れなければならなかった。

「あぁ、負けるんだ。俺たちはもう、1部リーグへ行けな
いんだ。」

 終了を告げるホイッスルが鳴った。伊藤は選手を整列さ
せ、応援に来てもらった観衆を見渡して、感謝の想いを伝
えた。

「精一杯、戦いましたが、残念ながら1部リーグへの夢は
叶えられませんでした。自分たち4年生はもうプレーする
ことはありませんが、来年は頼もしい後輩たちが、必ず、
その夢を達成してくれると信じています。応援、本当にあ
りがとうございました。」
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 伊藤は深々と頭を下げて、主将としての最後の仕事を終
えた。新倉監督に握手を求められた時、堪えていた涙が溢
れ出した。精鋭揃いの3年生たちは、1部でプレーする機
会は完全に失われた。主将として、申し訳ないと思った。
そして高校で得た、あの達成感はついに得られなかった。
自分は選手として、主将として全う出来たのだろうか。ま
だ何も達成にしてないという、悔いがあった。このままで
は、終われない。伊藤は内定していた会社を辞めて、社会
人でアメリカン・フットボールを続けようと、この時に決
めた。迷いは微塵もなかった。
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 伊藤淳太が生きるために求めるものは、社会的な地位や
名誉ではなく、純粋に「フットボール」で己を高めること
だった。厳しい環境であっても、自分の好きなことで、ど
こまで出来るのか試したい。
 未知の自分と出会うために、伊藤は真っ直ぐに旅立った。 
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by officemigi | 2013-04-24 12:10 | アメフト | Comments(2)

見守り続けた日々


幅 深幸  主務 浦和実業学園

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 2012年、春。マネージャーとして主務となった
幅深幸は、主将に就任したばかりの伊藤淳太が、ス
ポーツ推薦の新部員へ行った挨拶を聞いていた。

「主将の伊藤です。」

それだけだった。幅は彼が口べたなのは分かってい
たが、さすがに唖然とした。
「え? それで終わり? せめて、頑張って、一緒
に1部リーグへ行きましょう! とか言わないの?」
主務の幅がパートナーとして取り組まなければなら
ない相手が、チームの主将である伊藤だった。

「これは大変なことになるな。」

なにかと気苦労の多い年になりそうだと思いながらも、
幅は主務として、影から伊藤を支えなければならない
と思った。マネージャーである幅の最後の年が始まっ
た。

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 幅は小学生の頃に、初めて箱根駅伝を見に行った。
その時に紫色のチームを応援しようと決めたのがきっ
かけで、駒沢のファンになり、幅は大学も駒澤を選ん
だ。入学した幅は、多摩川キャンパスの最初の授業で、
たまたま隣の席にいた渋谷桃子と出会う。ある日、仲
良くなった渋谷から懇願された。彼女はアメフト部の
マネージャーになったばかりで奮闘中だった。

「とにかく1年生は私ひとりで大変だから、手伝って
欲しい。」

 幅は、とりあえずアメフト部の練習を見に行ったが、
どうしようか迷っていた。そもそも、アメフトのルー
ルなど知らず、ラクビーとの違いも分からなかった。
さらに、身体の大きい「マッチョな」男の人は苦手だ
った。しかも、内心は陸上部のマネージャーに憧れて
いることもあった。だが、渋谷の誘いがあったのと、
となりのグラウンドで憧れの陸上部の練習が見られる
こともあって、なんともなしに練習を手伝うようにな
っていた。

「とりあえず1年頑張ってみようよ。」

 先輩にそう言われた幅は、流れにまかせて1年間は
やってみようと、アメフト部のマネージャーになるこ
とを決めた。

 最初は選手たちとは一言も喋ることはなかったが、
ひたすら練習をこなす彼らに、水を渡したり、洗濯
をしたりすることが、支えているという実感が純粋
に沸き起こって嬉しくなった。幅は、意外に自分が
そいうことがわりと好きなんだということも分かっ
た。
スポーツ同好会とは違い、みんなで勝利のために
目標を持ってやることに意義も感じていた。そして、
先輩たちと一緒にいるのは居心地がよく、共に仕事
をすることが、なにより楽しかった。2人しかいな
いけど、仲が良くて仕事も出来る、4年生の先輩を
幅は尊敬していた。サバサバしているけれど、誰よ
りも選手のことを考えて仕事をこなしている姿を見
て、あんな2人のようになりたいと渋谷と語り合っ
た。
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 2年生になって、高校時代は体育会系にいた、や
んちゃな後輩2人が入ってきた。とにかく意欲的で、
彼女たちの勢いに押されそうになりがらも、幅も仕
事をこなしていった。1年目は授業のことも考慮して
、週3日の活動だったが2年目は週5日になって、様
々なことを把握していった。

 幅は3年生になって、会計の仕事のすべてを任され
た。その仕事をこなしながら、1年生にも教えていて、
慌ただしい毎日を過ごしていた。会計の仕事は休日で
あっても、頭から離れることはなかった。部費や通帳
は常に持ち歩かなければならず、細かいお金を責任を
持って管理していた。ひとり学校で会計の仕事をして
いる時、選手である斎藤大樹と磯部亘が手伝ってくれ
ることもあった。幅はマネージャーとして、一番充実
した時を過ごしていた。

 幅にとってこれまでに一番辛かったことは、3年生
であった2011年の上智戦だった。チームは僅か1点差
で負けた。幅はチームの一員として、あまりにも悔しか
った。しかし、選手たちは幅が思っているほど悔しそう
にしてるように見えなかった。

「どうして悔しがらないの。もう、こんな部活、辞めて
やるっとか思ちゃいました。」

 チームのために一生懸命サポートしてきたのに、やる
せなかった。
「お互いの立場が違うのは、頭では分かるんです。ただ、
選手とマネージャーが、お互い理解し合えないことがあ
ると実感した時は辛かった。」

 だが、幅は、これまでどんな苦しいことがあっても、本
気で辞めようと思ったことはなかった。

 主務の仕事は、幅にとって考えていた以上に大変だった。
シフト組みなど周りのマネージャーを仕切っていくことに、
神経をすり減らしていた。全体の進行状況を判断しながら、
的確な指示を出さなければならなかった。時にはあえて後
輩を叱らねばならず、それでも同期の櫻井裕太からは、も
っと厳しくしてもいいんじゃないかと助言されることもあ
り、自分は甘いんじゃないのかと葛藤することもあった。
様々な場面で重要な決断は主務の幅がしていたが、そこに
至まで、多くのことを渋谷に相談していた。

「桃子のサポートがなければ、厳しかったかな。4年間一
緒にやってきた彼女には本当に感謝してます。」

 苦しい時でも、お互いを助け合ってきた2人の絆は強か
った。1年生の頃に憧れていた、あの2人の先輩のように
なれたのかもしれない。
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 そして、引退試合ともいえる入れ替え戦を迎えた。幅は
いつも以上に熱くなって闘っていた。試合中、彼女は何度
も叫んでいた。

「いけ、淳太! しっかりしろ!」

 しかし、点差は開くばかりだった。なんとか勝って、後
輩たちを1部リーグに連れて行ってあげたい。幅は最後の1
秒まで闘おうとしているチームを、祈るような気持ちで見
守っていた。
だが、試合に刻まれた最後のスコアは、駒澤7ー上智31。
上智大学の圧勝だった。

「完敗なんだから、素直に受けとめました。悔しいのは間
違いないけど、最後は笑って終わりたかったから。」

 試合終了のホイッスルを聞いた時、幅は冷静に頭を切り替
えていた。スタッフを統括する主務として、マネージャーと
して、精一杯闘ってきた彼らをサポートする、最後の仕事を
こなしていった。
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 マネージャーの仕事は広範囲に及んでいて、その仕事ぶり
は目にみえないことも多い。ただ、直接選手と触れ合う仕事
もある。選手にテーピングしたり、マッサージをしたり。幅
は父親の足を借りて、テーピングの練習をすることもあった。
それらは、もちろん彼女たちの仕事ではあるのだが、選手から、
「ありがとう」という何気ないひとことをもらえるとやはり
嬉しかった。そんなちょっとしたことで、マネージャーとして
彼らをサポートしてきたことが報われ、また頑張ろうと思えた。

 昔、幅はコーチからこんなことを言われたことがある。

「あいつら、かあちゃんみたいに使ってくるから、ダメなものは
ダメって言わなきゃ。」

 確かにそうなのだが、幅は、マネージャーはそれが好きでやっ
てるところでもあるのだと言う。

「オフの日に食事を盛りつけて、お皿洗うためだけに来るのも、ど
うかなと思うこともありました。だけど、食べることも練習で、そ
れも支えになるのならと思ってやっていましたよ。」


 幅にとってこの4年間で得たものは、という問いに、冗談混じり
にこう答えた。

「どの洗剤が泡立ちやすいとかですかね。」

 勝つために純粋に闘っている彼らを見守ったり、支えたりするこ
とが、マネージャーという仕事だった。彼女は、それを4年間しっ
かりとやり抜いた。最後は主務として、葛藤しながら。

 かつて、主将になった頃の伊藤がハドルで緊張してしまい、うま
く喋れなかった時、幅は頑張れ、頑張れと念じていた。また、逆に
伊藤がうまく言えた時は、密かに喜んでいた。

「よし! えらいぞ、淳太!」

 まるで、おせっかいな母親にでもなったような気持ちだった。そ
の想いは幅にとって、主将の伊藤に限らず、すべての選手に当ては
まることだった。

 「チームのみんなは、本当に家族って感じるんです。1年生から
4年生まで。嫌でも毎日顔を会わせなければいけないでしょ。」

 幅深幸はそう言って、愛情たっぷりに笑ってみせた。
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by officemigi | 2013-04-22 12:33 | アメフト | Comments(0)

フィールド・アゲイン


佐伯 勇造 SAEKI Yuzo SB/DB 日大鶴ヶ丘

 2012年11月11日。優勝を争う大事な試合で、
佐伯勇造はスターターとしてフィールドに立った。
不思議と気持ちは落ち着いていた。

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相手は1部常連の東海大で、彼らもこの試合に入
れ替え戦進出を賭けていた。2部に落ちてきたと
はいえ、東海大はもっとも強い相手と目されてい
た。佐伯は緊張で、前日はなかなか寝付くことが
出来なかった。入れ替え戦までいくには、この強
敵に勝たなければならない。リーグ戦最大の山場
で、佐伯は闘う気持ちを最高の状態にしたかった。
怒りを力に変えて相手にぶつけてやれと思った。
自分たちが遊びもせずに毎日あんなに苦しいトレ
ーニングしなきゃならなかったのは、みんなあい
つらのせいなんだ、と言い聞かせていた。

「覚悟しとけよ。叩き潰してやる。」

 試合は駒澤大学の玉川グラウンドで始まった。
開始早々、いきなり東海大に先制される。しか
し、佐伯には焦りはなかった。

「取り返してやる。」

 チームはリーグ戦を戦うごとに、成長してい
た。負ける気がしない。力をつけたチームは一
体となって、すぐにタッチダウンを奪った。
その後、勢いを止めることなく試合を進め、
東海大に完勝した。2部優勝と、入れ替え戦進
出を決めたチームは喜びに沸いた。
佐伯は嬉しかった。今までやって来たことが、
ここで報われた。試合後、佐伯は「4年生みんな
で食事に行こう」と提案した。久々に同期で楽し
い時間を過ごした。このメンバーで過ごすのも、
あと2試合となっていた。佐伯は入れ替え戦に勝
って、再びみんなで勝利を分かち合いたかった。

それは、ここに集まった同期9人の最後の夢で
もあった。


 佐伯は高校でアメフトを始めた。クラスの友人
に誘われて、体験入部してみた。ルールはよく分
からないが、面白そうだったので始めてみること
にした。だが、練習は辛いし、やっていることが
理解出来ずに全く楽しいとは思えなかった。だが、
夏の練習試合で、今まで練習してきたことの意味
や成果を感じて、ようやくアメフトの面白さを知
った。そして、高校の3年生となった春に、佐伯
はケガをしてしまう。右膝の靭帯を痛めてしまっ
た。夏になってようやく回復したと思った矢先、
再び同じ右膝の全十字靭帯を切ってしまった。重
症で手術の必要があったが、佐伯はテーピングや
装具などで固定して、高校最後のトーナメントに
賭けようとしていた。しかし、一回戦敗退という
結果が待っていた。このままでは終われないと思
っていた佐伯は、大学へ行って続けようと決めて
いた。卒業と同時に手術を受けて、駒澤大学に入
学した。

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 アメフト部に入部した佐伯は、すぐに練習には
参加出来ず、サイドラインに立って黙々と手術後
のリハビリメニューをこなす日々だった。正直な
ところ、うまくチームに馴染めるか不安もあった。
だが、この時のチームは、勢いがあり、2部リー
グ優勝、そして、入れ替え戦にも勝利して最高の
年を過ごしていた。2年生の時は、惜しい試合は
あったものの、1部リーグの実力に圧倒され1勝
も出来ずに終わった。佐伯はようやく試合に出場
していたが、悔しい思いだけが残った。やがて、
多くの同期がチームを辞めていくという、やり切
れないことも経験した。同期のみんなで乗り越え
て行くしかなかった。3年生となった佐伯は、な
んとしても1部リーグへ上がりたいという思いを
強く持った。高校の同期が、日大のアメフト部で
活躍している。日大は1部リーグという舞台で闘
っていた。佐伯はチームを1部に上げて、来年に
彼らと思い切り勝負したいという夢を描いていた。
しかし、結果は4勝3敗で、それが叶うことはな
かった。やり切れなかった。もっとフィジカルを
鍛えておけばよかった。戦術の理解を深めておけ
ばよかった。佐伯は、この結果を前にして、自分
の甘さを認識して後悔した。

 最上級生となった佐伯は、副将となった。主将
となった伊藤淳太に対して、どうサポートするか
を4年で話し合ったこともあった。佐伯は自分た
ちの代が頼りないとは言われたくなかった。自分
たち4年生はもう1部でプレーすることは出来な
いが、後輩たちのためにも2部リーグを制して、
チームを1部リーグに上げることが目標となった。
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 いよいよリーグ戦が開幕した。厳しい練習をこ
なしてきたチームは、初戦の農大戦を勝利した。
佐伯はスターターとしてフィールドに立った。し
かし、彼ははこの試合で右足の肉離れをおこして
しまう。自信もあったし、調子がよかっただけに、
残念だった。以後、復活するまで、サイドライン
で地道に、リハビリに励んでいた。医者にすぐ治
ると言われて辛抱したが、復帰して練習を開始し
た直後にまたやってしまった。ケガで思うように
挑むことが出来なかった高校の時代が、彼の脳裏
をよぎった。試合ごとにチームはまとまりつつあ
って、勝利を重ねていたが、自分が置いていかれ
るように感じられた。焦れば焦るほど気持ちが空
回りして、どうすることも出来なかった。スター
ターを外されて、ポジションを島瀬信利に奪われ
る形になった。佐伯はオフェンスなら島瀬と、ディ
フェンスなら斎藤大樹とポジションを争わなけれ
ばならなかった。チームの中では、オフェンスと
ディフェンスの穴を埋めるような形で試合に出場
していたが、自分の立ち位置が分からなかった。
自信を失ってしまい、とても苦しい状況に陥って
いた。佐伯はその胸の内を、千尋海渡に聞いても
らった。
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「千尋がいて、よかったと思う。本当に救われた。
あいつは、頼れるものを内に秘めていた。」

 佐伯が最後の試合となる入れ替え戦にスターター
としてフィールドに立つことは、難しい状況だった。
それを十分理解した上で、彼は上智戦の前日に、幹
部と4年生を集めて、副将としての想いを伝えた。

「必ず勝って、1部リーグへ行こう。」

 そこには、自分の分も闘ってくれという願いを込
めていた。

 入れ替え戦は、アミノバイタル・フィールドで始
まった。相手は昨年まで同じ2部リーグにいた上智
大だった。昨年対戦してチームは僅差で敗れていた。

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「ぶっ潰してやる。」

 佐伯はサイドラインからでも、その気持ちを全面
に押し出して、フィールドやサイドラインにいる仲
間たちを懸命に鼓舞していた。彼は自分の役目に徹
して、上智と闘っていた。しかし、チームは1部で
闘ってきた上智の実力に圧倒されていた。4Qの半
ばを過ぎて、すでに逆転するには不可能な状況とい
ってよかった。それでも佐伯は、チームの士気を下
げてはならないと思っていた。しかし、時間ととも
に、その気持ちは失われていった。

「これで終わっちまうのかよ。」

佐伯はサイドラインで立ち尽くしていた。

 結局、あれほど望んでいた夢は、手にすることが
出来なかった。主将の伊藤淳太や櫻井裕太、ほかの
みんなも泣いていた。涙する仲間の姿が目に入り、
佐伯にも、当然こみ上げてくるものがあった。だが、
彼は意地でも涙を流すつもりはなかった。
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「泣いてたまるか。」

 頭を上げ、堂々と胸をはってサイドラインを歩いた。
彼の毅然としたその振る舞いは、闘い終えた戦士とし
て実に立派な姿だった。だが、佐伯の父が、新倉監督
に涙を流しながらお礼の言葉を伝えているのを見た時、
必死に堪えていたものが溢れ出した。

「お世話になりました。本当にありがとうございまし
た。」

 父は毎試合欠かさず、試合を見に来てくれていた。
常に大声でチームを応援してくれていて、誰が佐伯の
父なのかみんなが分かっているくらいだった。母とと
もにアメフトをやっている自分に、ありったけの情熱
を注いでくれた。佐伯は監督やコーチ、仲間たちにも
当然、感謝の気持ちを持っていたが、この4年間で一
番に感謝したいと思ったのは両親だった。
 佐伯は精一杯闘ったチームメイトを感慨深く見つめ
ていた。

「もう、お前らと一緒になることはないのか。」

 そして高校の時と同じように、ある想いが湧いてきた。

「このままじゃ、終われないな。」

 佐伯勇造は、社会人として再び闘うことを誓っていた。
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by officemigi | 2013-04-21 13:58 | アメフト | Comments(0)

孤高の裏側で

孤高の裏側で 

斎藤大樹 17 QB/DB

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 完敗だった。逆転の余地もないまま、
試合終了のホイッスルは鳴った。それ
は選手たちにとって、2012年のシーズ
ンが終わったことを意味していた。上智
大学に破れ、1部リーグ昇格の夢は叶わず
、駒澤大学の選手たちは打ちのめされて
いた。とりわけ4年生たちにとっては最後
の試合であり、涙する者が多かった。
 その中でも、グランドにしゃがみ込んで、
立つことすら出来ずにいる選手がいた。
それは同期や後輩たちにとっても、まさか
と思う人物だった。普段クールに振る舞っ
ていた男は、溢れる感情を押さえ切れずに
ひたすら号泣していた。
「あぁ、俺は泣いてるんだ。」
 斎藤大樹は、そんな自分に驚いていた。
本当に想像すらしていなかった。
 彼は内に秘めた想いを初めて、人に、
そして自分にもさらけ出していた。

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 斎藤は一見してクールな人間に見える。
皆でべたべたするようなタイプではない。
練習においても、激しく声を上げて自己
主張することもあまりしない。ヘルメット
越しの表情は真剣な時もあるが、不思議
と穏やかなことのほうが多い。2012年の
リーグ戦。いつも試合前に、彼は笑顔で
同じことをチームメイトに語りかけていた。

「いいか、緊張するなよ! 表情筋を
緩めよう! この瞬間を楽しむんだ、
試合を楽しむんだぞ!」

楽しむこと。これは斎藤が生きていく上で
、最も大切にしていることだっだ。
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 中学まで陸上をしていた斎藤は、高校から
アメフトを始めた。小学校の時の友人と横浜
の白山高校で再び出会い、その彼に誘われる
ままに入部した。廃部寸前だったアメフト部
には、斎藤も含めてなんとか7人集まったが、
当然試合をすることは出来ず、ひたすら走っ
て当たっての厳しい練習の日々だった。
 まだアメフトを理解することが出来ず、正直、
何をやっているのかよく分からなかった。
辞めようかとも思ったが、7人の仲間意識の強さ
に抜けるに抜けられず、続けることにした。

2年生になって、ようやく部員も増えて試合が
出来るようになり、斎藤もテレビでNFLを観た
りして、アメフトの楽しさや、奥深さを理解す
るようになった。3年生の時に副部長となった
斎藤は、アメフトにのめり込んで真剣に取り組
んでいた。後輩たちにも厳しく指導することも
あった。ただ、アメフトはひとり頑張っても勝
てる競技ではなく、結局、高校の試合ではすべ
て一回戦負けだった。斎藤は1度も勝てないまま
辞めてしまうのは、どうしても嫌っだった。
白山高校の監督が駒澤大学のOBということもあり、
大学で何度も練習してきた斎藤は、アメフトの
スポーツ推薦で駒澤大学へ進学出来ることになった。
斎藤は4年間、アメフトに没頭する喜びに湧いていた。 

「1年の時は本当に楽しかったです。初めてチーム
として勝つ喜びを味わえた。2部優勝で次の年は1部
リーグという最高の舞台だったから、こんなに嬉しい
ことはなかった。下級生だから責任というのもなく、
自由にやらせてもらっていたと思う。当時の4年生
の先輩たちは、本当に凄い人たちばかりで尊敬出来た。
あの先輩たちに引っ張られて来たんです。」
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 1年目から試合に出場していた斎藤は、最高の経験
をした。しかし、2年生になってから彼は苦しむこと
になる。チームは1部リーグではまったく歯が立たず、
レベルの差を見せつけられていた。さらに様々な問題
で同期の選手たちが次々と辞めていった。同期がいな
くなってしまうのは、辛いことだった。斎藤にとって
アメフトとは楽しむものだった。そのために真剣に取り
組むことは当たり前で、練習から楽しむことを意識した。
それが斎藤の持論だった。だから、つまらなさそうに
やっている者をみると何故だろうと思っていた。
精神的にきつい時にこそ、斎藤はあえて楽しもうと
自分の気持ちを高めるように努めた。
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 3年生の年、斎藤は左足の靭帯のケガによって
試合に出れず、ほぼシーズンを棒に振ってしまった。
だたグランドを眺めて指導するだけだった。本音を
言えば辞めたいと思うことが多かった。あえて楽し
もうと試みても思うようにいかなかった。
さすがに気持ちは折れそうになった。
それでも斎藤は後輩たちをどう指導していけばよいか、
自分なりに模索していた。アメフトは激しい競技だ。
それは練習も同じで、常に罵声や怒号が飛び交う。
斎藤はそういうものを高校時代に経験していた。
チームプレイ故に、一人のミスが大きく状況を左右する。
ミスした人間を怒鳴ったりすることは、悪いことだとは
思わない。それも必要だと思う。ただ皆がそれをしてし
まえば、ミスを犯した人間は萎縮してしまい、思い切っ
たプレーが出来なくなってしまうこともある。斎藤は
敢えて、怒鳴ったりしたこともあったが、これでよくな
っているのか疑問だった。本当にその相手のためを思う
ならと、少しでもいい状況になるように、後で冷静に接
して優しくアドバイスを送るようにした。周りの状況を
見て何が必要なのかを考えた結果、これが自分の役目な
のではないかと判断した。まれに怒鳴りたくなることも
あったが、そこは辛抱強く堪えた。ただ時として斎藤の
そのような姿勢は、新倉監督からすると、上級生として
物足りなく見えることがあった。それは斎藤のみならず、
4年生の選手の全てに言えることだった。もちろん斎藤
は監督の想いを感じていたが、自分をアピールするため
にそれをするつもりはなかった。
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「周りから見て自分は冷めてるように見えるかもしれない。」

斎藤はポツリと言った。先輩としての後ろ姿を見せていない。
お前は何もしていないと言われることもあった。だが斎藤は
個人で出来る努力を、わざわざ人に見せるものでもないと思
った。よいものは積極的に取り入れようと思っているが、た
とえ仲間であれ自分が納得しないことに同調するつもりはな
かった。自分の意見を持たないで、流されるのは嫌だった。
自分の行動や考えをいちいちアピールしない斎藤は、外から
みれば飄々として、そっけなく見えていたところもあった。
心の中にある真を、人に見せることはなかった。だから誤解
されることもあっただろう。良くも悪くも、それが斎藤という
男だった。 

 4年生となり、チームの目標はやはり1部昇格だった。
斎藤は、ケガで試合に出られずにいた一時期の辞めたいとい
う想いを振り切って、やるしかないと決めていた。
「アメフトを楽しむ」

斎藤は自分の役目も含めて、それに徹しようとした。
 2012年秋季リーグ戦、チームは勝ち続けて、6戦目で
2部優勝を決めた。1部昇格への夢は目前だった。
「次が最後なんだなって思ってる。勝てば終えれると思う
んです。いま言えることはないです。自分がどう感じるの
かは、その時になってみないと分からないから。」
斎藤自身、これまでを想いながら、自分がどう変化するの
か期待しているようにも見えた。

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 上智大学との入れ替え戦に敗退してから数日がたった。
斎藤はアメフトを終えていた。彼は振り返ってこう言った。

「強かった。負けるのは分かっていても、精一杯闘った。
最後は勝つことが出来ずに悔しいけれど、本当にやって
てよかったと思う。辞めてたら何もなかった。なんとな
く生きて、なんとなく終わってたかもしれない。最後ま
で続けてきたからこそ、新しいものに会えたと思う。」

新しいもの。それは斎藤が人前で「泣いた」ことだった。

「試合が終わって観客に挨拶をした後、後輩に声を掛け
たんです。勝てなくてごめんなって。何故かその瞬間に
崩れちゃった。自分が人前でこんなに泣くとは思わなか
った。止められない。堪えられない。なんでか分からな
い。やりきったからか。悔しかったのか。人生最後のア
メフトだったからなのか。いま思い出すだけでも恥ずか
しいけど。」

そう言って笑った。
 斎藤は努力している姿を人に見せることはなく、どん
な状況でも俯瞰から冷静に物事を観ようと努めてきた。
自分を理解してもらうことよりも、チームが勝つために
どうすればよいか、彼なりに考え行動することを選んで
いた。誰にどう思われようとも、一人で苦しむことにな
っても、考えを曲げることはなかった。すべてはチーム
で勝つこと。そして、それを皆で分かち合い、楽しむた
めだった。

 かつて同期の千尋海渡が、何度も辞めたいと斎藤に漏
らしていたことがあった。彼はその度に励まし続けた。

「一緒に頑張ろう。続ければ必ず楽しいことがあるから。」

それは、普段隠していた斎藤の本質だった。
 優しさを持った、この意地っ張りな青年は、あえて孤高を
貫き通した。最初で最後に見せたあの涙は、突っ張り通した
自分を、ようやく解放させたという証だった。
孤高の裏側で、斎藤大樹は必死で生きていた。
彼はこれからも、自分を信じて生きていくのだろう。
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by officemigi | 2013-04-14 02:13 | アメフト | Comments(0)

「ルディ」のように

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千尋海渡には夢があった。念願だった学生生活を手に入れた彼は、
4年間しっかりと部活に取り組んでみたかった。今までの自分に出
来なかったことをやってみたい。正直なところ、喜びよりも不安の
方が大きかった。2009年、千尋は大きな一歩を踏み出す。春の風
は、永い冬を過ごしてきた千尋の背中を優しく押してくれているよ
うだった。


 中学から千尋は青森で育った。野球部として3年間在籍。しかし、
ついに試合に出ることはなかった。もともと控えめな性格であった
が、もっとしっかりやっておけばよかったという悔いだけが残る。
卒業後、工業専門学校へ。人見知りだった彼は、なかなか友達も
出来ず、ひとりポツンとしていた。さらに勉強が思った以上に難
しく感じていた。学校へ行くことが出来ずに、何故か行ったことも
ない道をひとり歩いてしまうこともあった。そして、授業について
いくことが全く出来なくなってしまい、1年生の秋に学校を中退し
てしまう。
「いま思えば追いつめられていました。情けなかった。高校辞めるっ
ていうのは、人生終わりみたいな感覚だった。」
 千尋は、青森から逃げるように、生まれ育った宮城へ戻り、祖母の
もとから大検の資格を得るために学校へ通う。そこでは年齢も様々で、
いろいろな道を模索してる人たちがいた。もしかしたらドロップアウト
した自分でも、やり直せるかもしれない。
「大学へ行ってみたい。」
 ぼんやりとそんな夢を描いた千尋は、予備校に通う。しかし18歳、
19歳と二度受験するも、受かることはなかった。大検とは違い、受験
はやはり全くレベルが違っていた。以後、千尋はバイトもしながら、
受験生という肩書きに乗って安易な日々を過ごしていた。そして、
気がつけば21歳になっていた。マンネリとした毎日と、実はたいして
勉強もしていない自分に気づいていた。このままでいいはずがない。
本気で取り組もうと決めて、バイトを辞めた。予備校では誰とも話す
こともなく孤独だったが、なんとかスタートラインにつきたい一心で、
必死に勉強に取り組んだ。
もう後がない状況の中、ついに駒澤大学に合格する。

 千尋は晴れて、駒澤大学へ入学した。22歳だった。もちろん嬉しさ
はあったが、自分が年齢的にも遅れをとっていることは十分理解して
いた。勉強や人間関係も含めて、本当にここでやっていけるのか、卒
業さえ出来るのか不安になった。だが、ようやく辿り着いたスタート
ラインで、これまでの自分を変えてみたいと願う。この4年間に賭け
る決意は大きかった。昔、千尋はアメリカン・フットボールの映画
『ルディ』を観たことがあった。アメフトを愛する主人公のルディは、
高校卒業後、鉄工所で働きながら勉強し、様々な障害を乗り越えて、
憧れだったアメフトの名門ノートルダム大学へ行く。そして、エリート
ばかりのアメリカン・フットボールチームのテストにも合格する。
小柄で身体的に恵まれていないルディ。名門校ゆえに、彼はどんなに
頑張ってもベンチにすら入れなかった。ルディはそんな状況でも腐ら
ずに、誰にも負けないハードな練習とチームへの献身的な姿勢を貫いた。
その情熱は切ないほどに誰もが認めるものだった。だからこそ、憧れの
フィールドに立ちたいというルディの夢を、チームメイトたちは叶えさ
せたいと監督に直訴する。
「自分の代わりにルディを試合に出してください。」
 大学最後の試合。ゲーム終了のホイッスルまで僅か27秒。
ついにルディは、求め続けた夢のフィールドに立った。与えられた27
秒を、これまでの想いを乗せて全力で走り、そして最後に渾身のタック
ルを決めた。チームメイトやスタジアムの観衆は、ルディの真摯な姿に
喝采を送り続ける。この真っ直ぐな主人公を描いた映画は、実話だった。
千尋は、困難にも諦めずに夢を叶えたルディと、この場所までようやく
辿り着いた自分の未来を重ねた。
「学生スポーツで活躍してみたい。」
 熱心な勧誘もあって、千尋は駒澤大学アメリカン・フットボール部へ
入部する。想像していた以上に、毎日がハードな練習だった。中学時代
に野球を経験しただけで、165センチ50キロという身体の千尋には、つ
いていくのさえ困難だった。体力的にも、運動神経という意味でも劣っ
ていると感じた。同級生に出来ることが、自分には出来ない。やはり自
分には無理なんだと何度も思った。実際に帰りの電車で、いつも一緒だっ
た同期の斉藤大樹に、もう辞めたいと漏らしていた。その度に「一緒に
頑張ろう」と励ます斉藤の言葉を聞いていた。ここで辞めたらいつもの
自分に戻ってしまう。揺れ動く千尋は、斉藤の優しさでなんとか踏みと
どまった。
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 駒澤大学はこの年、2部リーグで優勝。そして入れ替え戦にも勝利し
て、1部昇格という最高の結果を残した。千尋はレギュラーはおろか、
試合にすら出ることはなかったが、こんなにも素晴らしいことがあるの
かと胸を震わせていた。尊敬する先輩たちの努力の姿勢、勝利を勝ち取っ
てゆく姿はチームの一員として何よりの誇りだった。2部リーグから
1部リーグへ。千尋はチームが這い上がる姿を、これまでの自分に重ね
ていた。自分が一番望んでいた体験が、1年目で叶えられたのだ。振り
返ってみれば、千尋にとって人生で一番がむしゃらに過ごした1年だっ
た。ひ弱だった身体はハードな練習の積み重ねで、10キロも増えていた。
2部優勝を決めた後の消化試合だったが、試合にも出してもらえた。
まさか自分が出れるなんて考えもしなかった。緊張と喜びで、頭の中
は真っ白になった。初めて公式戦のフィールドに立った自分に、チーム
メイトは声援を送ってくれた。忘れられない時を過ごした。本当はあま
りの辛さに、今シーズン終わったら辞めようと考えていたが、もう一回
頑張ってやると強く思った。再び最高の感動をチームで共有したい。
そして、千尋は自分がルディのようにフィールドで活躍する姿を夢見た。
次は自分の番だと、素直に思えた。こうして1年目は瞬く間に過ぎてい
った。
 

 それは2年生になる頃のタックル練習中の出来事だった。
 千尋はまったく意識していないところから強い衝撃を感じた。いつも
のとは違う痛みが一瞬、頭に走った。倒れ込むことはなかったが、脳震
盪のようでふらついた。もっと注意深くしていれば貰わずにすんだと思
い、そのまま練習をしたが、どうも頭の違和感が消えない。家に帰って
から頭が痛み出し、氷枕をしてみたが、よくなることはなかった。さら
に深夜になって嘔吐する。翌日、痛みを抱えたまま病院に行った。レン
トゲンを撮ると脳に出血が見られ、かなり危険な状態であることが分か
り即入院となる。病院に来てからは頭の痛みはさらに激しさを増して、
もうベッドの上では身動きがとれなくなっていた。こんな激しい痛みは
経験したことはなく、寝ることすら出来なかった。両親が来て、周りは
とにかく慌ただしかったようだが、千尋はひたすらに痛みに耐えるのみ
だった。
「もう「フットボール」は出来なくなるかもしれない。」
 ベッドの上でぼんやりそんなことを思った。結果は大事にはいたらず、
安静を保ったまま回復し、10日で退院出来た。ただ今後については、一
度でも脳に障害を持ってしまうと、チームとしても続けさせるわけにはい
かなかった。脳は一度ケガをしてしまうとクセになってしまい、激しいコ
ンタクトをするアメリカン・フットボールにおいては、そのリスクが高す
ぎるということだった。病院や新倉監督も含めて話し合いをしたが、最終
的に選手として終わりにするという結論に達した。
「正直、もうあんなに激しくて辛いことは、もうしなくていいんだと思い
ました。入院した時にも、あんなに痛い思いしなくてもいいんだって、
ホッとしたんです。だけど、やっぱり寂しい気持ちがありました。スポー
ツで活躍する最後のチャンスがなくなってしまったって。ただ自分は今年
からこのチームが1部リーグでどんな戦いをするのか、それを間近で感じ
てみたかったんです。選手としてはもう無理だけど、スタッフとしてサ
ポートしながら応援するっていうスタンスなら続けられるかなって。」
 選手としての未練は当然あったが、学生スタッフとしてチームに残る
ことになった。それは千尋にとって賢明な選択だった。2年生の時はス
タッフとしての勉強の年でもあり、様々な経験をしながらチームの戦い
を見守ってきた。1部リーグでのチームの戦いは全敗というもので、
トップリーグでのレベルの違いを痛感した。ただ勝てる試合もあったと
感じていた。3年生になった時は、もう先輩の学生スタッフが卒業して
しまったので、千尋ひとりがその責任を持つことになった。自分なりに
考えてチームのために行動する。千尋のサポートは、チームにとってな
くてはならない大きな存在へと変化していった。
「3年生の時の目標は、2部に落ちたチームを再び1部リーグに上げて、
僕は新倉監督を1部で初勝利をさせることでした。けれど、入れ替え戦
にも出れなかった。僕は本当に監督によくしてもらったからこそ、今の
自分があるんだと思うんです。なんとかして恩返しがしたかった。」
 2012年、千尋にとって最後となるリーグ戦。千尋はチームをサポート
し、駒澤大学は見事に2部リーグを制した。そして、入れ替え戦に挑むが
上智大学に完敗する。
「悔しかった。上智に勝って、もう一度あの感動を味わいたかった。
1部リーグに上げて、後は後輩たちに託す。それが自分たちに出来る全て
でしたから。後輩たちに申し訳ない気持ちで一杯でした。」
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 最後の最後で、求めていた結果を手にすることは出来なかった。
しかし、千尋は結果には表れない、思いがけないものを手にした。
 12月8日のアミノバイタル・フィールド。入れ替え戦の試合前の控え室。
いつものように、選手たちがユニフォームに着替えていた。千尋も慌しく
試合の準備に追われていたが、ふと選手が持つヘルメットに目が止まった。
そこには「16」という数字が小さく、しかしはっきりと刻まれている。
見渡すとそれは全ての選手のヘルメットに刻まれていた。皆、なにも言わず
黙々と準備している。千尋は胸が熱くなって、震えた。「16」というのは、
千尋が1年生の時に背負っていた背番号だった。献身的にチームを支えてき
た千尋への、仲間からの感謝のメッセージだった。
「千尋と共に闘う。」
 映画『ルディ』のように、皆が彼を認めていたとうことに他ならない。
 それは、千尋海渡がアメリカン・フットボールに情熱を捧げた4年間の
勲章だと言っていいかもしれない。
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by officemigi | 2013-04-03 00:00 | アメフト | Comments(0)